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2007.03.27

生命の輝き

美人は写真に撮っても、その輝きまでは写せない。
それはちょうど、ロウソクを写真に撮っても、灯りにはならないようなものだ。
・・・うまいこと言うなあ(笑)。

写真と本物との違いは何だろうか?
ここで当たり前に、写真画像の被写界深度(ピントの合う奥行きの範囲)、コトラストの精妙さや連続性、ブレあるいは過度の停止、解像度やインクの発色といった話をしてもあまり面白くない。

写真と本物との違いを1つの考え方で言えば、「存在の影響力」である。
本物のロウソクが存在すれば闇を照らすし、本物の美人がいれば、男共は下品な振る舞いをしない。偉大な聖者が居れば、心が安らぐこともあるかもしれない。
「モナ・リザ」ほどの名画なら、生きた本物の美人ほどの影響を与えるであろうか?

ところで、こんな話がある。
ロマン・ゲイリの「天国の根っこ」という小説で、ドイツ軍の捕虜になったフランス兵が、時が経つにつれ人間性が堕落してくる。そこで、フランス兵の隊長は、奇妙な遊戯を提案する。フランス兵を閉じ込めた兵舎に、少女が1人いると想像するだけのゲームだ。おそらくは、理想的な可愛い少女を思い浮かべるはずだ。すると、これだけのことで、フランス兵はみるみる規律とモラルを回復する。仲間と話す話題に注意し、シャワーに行く際にも身体をタオルで隠すようになった。

想像上の少女が本物の少女と同じ、あるいはそれ以上の影響力を持ったのである。
さらに続きがある。
フランス兵の変化に驚き、彼らの遊戯に気付いたドイツ軍将校は、フランス兵に少女の引渡しを要求する。フランス兵は断り、彼らの隊長は独房に入れられる。二度と生きては戻れぬような独房であったが、隊長は生きて戻ってくる。少女との遊戯で得た想像力の使い方は、彼の生命をもつなぎ止めた。
(以上の話は、コリン・ウィルソン「至高体験」からの引用)

実際には、この想像の力の意味はさほど単純ではない。
本来であれば、少女である必要はなかったが、状況から言って、理解しやすく好ましいものが都合良かったのであろう。
また、独房の隊長が想像したのは、地鳴りを起こして走って移動する象の大群であった。
いずれにせよ、女房ではなかったようだ(笑)。

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