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2007.02.24

セレンディピティ

最近、狂気の寸前にある(笑)。
と言うのは、人間の脳には限界があるのに、無限の情報が精神の中に流れ込んでくるからだ。
気が狂うのを防ぐのに言葉は都合が良い。巨大な情報でも一言で曖昧に言い表せば精神はある程度納得する。
その都合の良い言葉とは、シンクロニシティとかセンレンディピティだ。
いずれの言葉も、本来は言葉で言い表せず、それなりに説明しようとしてもかなり長くなる。
曖昧に言うなら、シンクロニシティ(共時性)とは、「意味のある偶然」で、セレンディピティは「幸運な偶然を得る能力」だ。ちょっと似たところがある。
現在の私の生活は24時間がシンクロニシティだ。
漫画家のCLAMPさんが、作品の登場人物に「この世に偶然はない、あるのは必然だけだ」と度々言わせるが、必然も何も、全ての出来事は自分が作っているのである。
簡単な例をあげるなら、本を1冊手にすると良い。本を開くと文章(絵の場合もある)が書かれている。それらの文字や絵は、本を開く前は決して書かれていなかった。全てあなたのマインドが瞬間に書くのだ。夢の中で本を読むことを考えると想像しやすいだろう。
20世紀最大の詩人と言われるW.B.イェイツが絶賛したインドの詩人タゴールは、アインシュタインに「あなたが月をいまのように感じなくなれば、もはや月ではない」と言ったのも同じである。
私は、子供の頃、何かに興味を持てば、そのすぐ後で、それに関連するものが現れた。それがまた頻繁に起こるようになってきた。
ただ、これもそう珍しいものではないに違いない。
ポップミュージックの詩にも、このような体験を綴ったものは結構あり、それを聴いて不思議な感覚を覚えるのも、やはり大なり小なり、誰でも知っているからであると思う。

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Comments

よくわかります。52枚のトランプで神経衰弱をしていて、例えばエースを選択しなければならないとき、「必ずこれだ」と信じ切れることがあります。信じる心のまま札を裏返すとそれは必ずエースです。いやというほど経験してきたことです。それでも、私の場合、信じた「時」と、札を開こうとする「時」のわずかなタイムラグに何かが入り込んでくることがあり、違和感を感じたりすると、伏せられたエースはエースではないと確信するに至ります。まあ、いいやと、札を裏返すと、やはりそれはエースではありません。ところが、違和感を感じたときに、少し目を閉じ、深呼吸をして、エースを思い浮かべ、安心した心になったときに、札を返すと、それはエースです。

なんか、表現が下手ですね。私。
kayさん、私のコメントにお返事なんてしなくてもいいですから。お気にされずに。kayさんの何かのヒントになればとの思いだけで書かせて頂いています。ではでは。

Posted by: dandan | 2010.05.22 at 11:51 AM

★dandanさん
認知科学的に言うと、そういう思い込みは持ちやすいもののようです。
つまり、印象的な出来事はよく記憶に残るということです。

Posted by: Kay | 2010.05.23 at 07:27 AM

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