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2007.02.02

自らの正義を貫く

「自らの正義を貫け。これはあなたの言葉ですよ、理事長」
この言葉を聞いたのは10年以上前だが、あれ以来、ずっと引っかかっていた。
同じ言葉を、現在、およそ25歳以下の女性の多くが聞いているはずなのだ。
これは、アニメ「美少女戦士セーラームーンS」124話での、セーラーウラヌスのセリフである。

「自らの正義」ということは、個人的な信条を表していると受け取れ、それが独断であって、普遍的な正義でないことはもちろん、悪とみなした方が良い場合もあるかもしれない。
よって、その言葉が間違いであると反発したことで憶えていたのであろうか?
だが、最近になって、私はこの言葉に価値があると理解した。
正義には3つある。
「個人的正義」「大衆的正義」「真の正義」である。
このうち、「真の正義」は人間に行なえるものではない。そもそもが、人間には認識不可能なものだと思う。よって、人間の立場から言うなら、「真の正義」は存在しない。
なぜこう言えるかというと、正にして義なると言う時、それは何らかの目的に対して言うものであるはずだから、真の正義と言うからには、宇宙全体のあらゆる目的の中でも最高の目的に対する有効性がなければならない。神とか宇宙の意志とかが存在するのかどうかは分からないが、もし最高の目的があるなら、それは、こういった至高の存在の知るところのものであり、人間には不知としか言いようがない。

では、残り2つの「個人的正義」と「大衆的正義」では、どちらが正しいか?
少なくとも、圧倒的に危ないのは大衆的正義である。
大衆の中に真理は無いと言ったのはイェイツだし、エリオットは、大衆が求めるのは憎しみであって愛ではないと著作で登場人物に言わせていたが、全く同感だ。
歴史的にも、個人一人一人で見ると良い人なのに、集団になると残虐な行為に走る例はいくらでもあった。
ただ、では個人に真理があるのかといえば、それも無いだろう。しかし、個人は賢くなる瞬間があるが、大衆にはそれが決してない。
個人が賢くなる瞬間とは、心が静まり、欲望が消えた状態だ。もし、大衆がそんな状態になるなら、それはもはや大衆とは言えず、他人というものが存在しない状態であろう。

これらから考え、自らの正義を貫くということは、人間の行動の中でも崇高なものと言えるかもしれないと思う。

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