« きれいな感情 | Main | 白人はこうして生まれた? »

2007.02.27

乙女の誘惑

禅宗には「公案」と言って、修行者のための問題があります。いわゆる禅問答です。
あまりにも訳の分らない問題が多く、「こんにゃく問答」と言われることもあります。

その中に「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という、面白い(?)ものがあります。
だいたいのお話がこんなものです。

お婆さんと若くて美しい娘が二人で住んでいた。
このお婆さんは、1人の修行僧の面倒を見、寝食の世話をしていた。
その僧の修行も20年になった時、お婆さんは、娘に僧を誘惑させる。
娘は、年の頃15・6の萌え萌え美少女であった・・・とは公案にないが(笑)、まあ、そんなものと思って欲しい。そんな美少女が「ねえん、好きにして・・・」と恥じらいながら寄り添う・・・とも書かれていないが、まあ、そんなところだ(笑)。
しかし、僧は、「ふっ、私のハートは凍った岩のごとし。無駄なことじゃ」と相手にしません(ごりっぱ!)。
これを娘から聞いたお婆さん、僧を追い出し、僧のために立てた庵を焼き捨てた。

で、公案は、この意味を問います。
さて、なぜお婆さんは怒ったのか?僧はどうすべきだったのか?

あくまで、昔の本ですが、仏教学者の増原良彦(ひろさちや)氏は、「人間的欲望を捨ててしまうことが修行ではない。チューくらいまでは良かったのではないか」と書かれていました。
しかし、チューで火を付けて後は知らんというのはあまりに・・・^^;

有名な一休禅師は、老いてからこの公案について、「こんなことがあったら、この枯木(老いぼれた自分のこと)にも青い芽が出ますぞえ」と言いましたが、つまり「いただきます!!」ということでしょうか(笑)。
いえ、一休さんって、確かにそういう生臭坊主でした^^;

総じて言えば、人間的でないものになってしまっては、人を救うこともできない。そこを、この修行僧は勘違いしているといったところでしょうか?

この公案は難しいものとされていますが、禅問答集などを見ると、大体が増原氏と同じような解答になっているような気がします。

しかし、それは優れた解答ではありません。
私が真の正解を述べましょう(をを!)
まず、僧が正しい修行者とします。
凍った岩のような人間であってはならないのはそのとおりです。
そして、彼は、娘に手を出しても出さなくてもどっちでも良かったのですが、多分、手は出さないでしょう。状況次第ではありますが。
とりあえず、僧も、若い萌え萌え美少女が好きですが、別に何もしなくても残念だとは思いません。また、何かしたらしたで、それもよしなんですが^^;
このような僧の境地は、決して冷淡で無味乾燥とした高みに超然とある・・・といった寂しいものではありません。感受作用も普通の人と同じです。
しかし、修行が進み、至福の境地にあるわけです。その幸福感の強さは、萌え萌え美少女の誘惑などよりはるかに高いので、別にどうでもよいわけです。
よって、正解は「幸福であるから手を出しても出さなくても良い」です。
セクハラや痴漢みたいなことをする者は幸福感がなく、自分が不幸でみじめであると感じているわけです。
また、アマゾンのような通販サイトを見ると、アダルト商品の数が凄いことが分ります(いえ、そんなに詳しくはないのですが^^;)。しかし、このようなものを欲しがるのも、やはり自分をひどく不幸だと感じている人たちです。
ただ、世間でいう「幸福」と真の幸福とは全く違うものであるかもしれません。

|

« きれいな感情 | Main | 白人はこうして生まれた? »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 乙女の誘惑:

« きれいな感情 | Main | 白人はこうして生まれた? »