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2007.01.24

無限の覗き方

人間のマインドでは、無限を捕えることはできない。
無限という言葉はよく使われるが、実際には人間には無限は想像もできないはずだ。
もし人間の精神に無限なるものが流れてきたらどうなるだろう?きっと意識に空白ができるのではないかと思う。もし、神が無限者というに相応しいものであれば、神に出逢ったとしても、それを憶えていることはできないに違いない。

私は、精神の限界を超えるものと接触した覚えがある。それは、子供の時に、風邪で熱を出したような時によくあった。
精神の限界を超えるものであるのだから、それを憶えているはずもないのだが、印象としては、可能な範囲で想像できる限界をさらに推し進めたものであるという感覚がある。
そういえば、禅の考案である「無門関」の中に「百尺竿頭進一歩」というものがあり、百尺の竿の先から更に1歩を進めよといったような意味と思う。禅語であるから、それがどんな意味か確としたものがあるのかどうかは知らないが、いろんな人がいろんな解釈をしている。
最も簡単な解釈では、百尺の竿の先頭とは悟りの境地であるが、そこに到達しても更に先に進まねばならないとかいうものがある。私はこんな解釈は成り立たないと思う。そんな解釈が出るうちはまだ悟っていないはずだ。

私が感じた精神の限界を、なんとか言葉にするなら、こんな話が私としてはぴったりする。
例えば、デタラメに紙にインクを塗りたくるとする。猿にでもやらせると良い。そしたら、それが辞書や百科事典になるということは、あり得ない話ではあるが、絶対に無いとも言えない。それにはどのくらいの時間がかかるか想像もできない。休み無く繰り返しても、100億年や千億年でも、1ページもできるとは思えない。奇跡的に1行完成しても、2行目の先頭がうまくいかなければ最初からやり直しである。
こんなことが、リアルに精神の中で展開されるのである。無限とはかくも恐ろしく、うかつに無限を得るなんてことは言いたくないものである。
ところで、こういった荒唐無稽な話は、仏教の経典である法華経に多く語られている。馬鹿馬鹿しくなるほどの巨大な数が扱われる。頭がおかしくなるような気もするが、普通、聞く機会もないようなことなので、囚われた精神を破壊するために挑んでみても面白いかもしれない。「無限のパターン」なんて言葉がよく使われるが、本物の無限と比べれば、なんとも限定されたものである。無限の中で自在であることが悟りである。

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