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2007.01.03

崩れていく世界

NHK紅白歌合戦のOZMAのパフォーンマンスの苦情問題でNHKのお粗末な対応が取り沙汰されているが、私はリハーサル中に倒れたNHK職員の方が亡くなられたことについて考えていた。
亡くなられたのは翌日と聞くが、倒れた時に、もうかなり危険な状態であったことは明らかと思う。
現在の常識では考えにくいかもしれないが、こんな時、誰からの文句が出ることもなく、ごく自然に紅白が中止になる時が、真に人類が進歩した時かもしれない。

話は変わるが、宗教的な儀式で、少女達が皆、白い衣装をまとうようなものがあるかもしれない。それが学校で行われることも普通にあったと思う。
大昔であれば、貧しい人も多かったので、そんな儀式の時もあまり衣装にこだわらないか、あるいは、白い衣装を用意できないだろう子は、近所でもよく分かっていたので、代わりに用意してあげた家もあったかもしれない。
経済が発達し始めていくと、貧しい家は少しずつ減っていき、やがては少なくなるが、やはりある時期までは、白い衣装を用意できない子が1クラスに何人かはおり、彼女達は肩身の狭い思いはするのだが、自分一人ではないので、なんとか耐えられた。
しかし、時代が更に進み、1クラスに1人、あるいは、学校で1人だけ白い衣装が用意できず、かなり辛い思いをする子がいる。
そんなことがある場合、いかに重要な儀式としても、儀式自体が普通に中止される世界こそ、精神的に進化した人類の世界ではあるまいかと思う。儀式より、人の心が優先される正常な世の中である。

いつの時代か分からないので適当に言うが、70年前なら、学校に靴を履いてこない子もかなりいたし、50年前は少なくはなったがまだいた。これが40年前になると、学校で数人あるいは1人となる。靴でピンとこなければ、給食のない時代、学校にお弁当を持ってこれない子がこのような割合でいたといえばもっと実感が沸くかもしれない。
私は、そのような時代、子供達が自主的に靴をはいてこなくなったり、お弁当を持ってこなくなったという話は聞いたことがない。
創作ではないかと思うが、アムンゼン(人類初の南極点到達を達成)が近所の子供達とケンカして楽勝した際、相手の子供達が「お前は俺たちと違って肉を食べてるから強いんだ」と言うのを聞いて、肉を食べなくなったという話がある。このような気持ちも、多少は必要ではないかと思う。

楽しみや、肉体的な安楽を心のために多少我慢する。現在の欲望刺激過多時代には、ますますできなくなっており、社会の歪みも大きくなるように思える。

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