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2006.12.25

消し去りたいもの

アイザック・ニュートンは死の前に、膨大な数のノートや書簡を燃やしてしまったらしい。
いったい、これらに何が書かれていたのか、非常に興味深いものである。

ところで、あなたは余命僅かと宣告されたら、処分したいものがあるだろうか?
ノート、手紙、写真、ビデオ・・・、そして、ある時期からは電子データであるeメール、デジタルフォトやデジタルムービーが記録された固定ディスク、CD、DVD、SDカードなどなど。
ありますでしょう?(笑)
もちろん、私にも沢山ある(爆)。とても人にお見せできない、あんなものやあんなものが(笑)。

ところで、そういう「死ぬ前に処分したいもの」は本当に処分する必要があるのだろうか?
自分がこの世からいなくなっても、世界は相変わらず存続するなんて証拠があるのだろうか?
自分が死んだら、案外、世界も消え去るのではないだろうか・・・なんて考えを一度くらい持ったことがある方もいると思う。私など、幼い頃はそう確信していたくらいである。

ところで、こういった考え方は、意外に突飛でもないように思う。
というのは、世界を「こういったものだ」と認識しているのはあくまで自分であり、他人が同じように認識しているとは限らないし、それは絶対に分からないことである。
では、そのように世界を認識している主体が存在しなくなれば、そのような世界は存在しないことになる。
養老猛司さんも「唯脳論」で、全ては脳の中のバーチャルワールドであると書いていたし、岸田秀さんは「唯幻論」で、全ては幻想でしかないとしている。
そして、唯物論の代表のように言われるデカルトにしたって、「確なものは何もない。ただ、疑っている我が存在することが確かなだけ」という結論に至ったわけである。

そんなわけで、死後のことを思い煩うなかれである。子供に大金を残したつもりでも何の意味もないかもしれない。死後のことは死後が面倒みてくれるだろう。
それで良いのではないだろうか?

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