極意
極意・・・誰しも、自分の目指す道でそれを極めたいと思うだろう。それがなくなったら人生、終わりかもしれない。
しかし、イチローですらバッティングを年々進化させ、新しいやり方に挑戦するのだから、たやすく極意を得たと言うことはできまい。
だがしかし、逆に、極意は先に分かってしまうということもあるかもしれない。
例えば、絵の極意であれば、つまるところ、描かなということと思う。
詩でも小説でも、その極意は、やはり書かないということだろう。
写真の極意であれば、撮らないとなる。
極めたわけではないが、私はコンピュータプログラミングの一応は上級者だが、その極意はやはりプログラミングしないことと言える。
中島敦の短編に「名人伝」というのがある。
弓の名人を志した男が修行を重ね、ついに名人となる。
だが、弓を極めたその男は弓を取らない。
年月は流れ、名人は、どこかで見たことがあるが、それが何か分からないというあるものを見る。それは・・・弓だった。
「沈黙の聖者」ラマナ・マハリシに謁見した者の多くは気付く。沈黙こそ最大の雄弁であることを。
本日のラクガキ。
ラクガキの極意は・・・なんだろう?(笑)。
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