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2006.12.15

真の幸福とは

さて、「真の自由」、「真の勇気」ときたので、今回は「真の幸福」についてである。
幸福についての面白い定義をいくつか聞いたことがある。
例えば

幸福とは夢中になることである

これは分かりやすい。夢は、それをかなえるよりもかなえる過程の方が楽しいはずである。
しかし、最近は、誰かにかなえてもらう夢や、すぐにもかなう夢しか分からない人が多く、これらの人は幸福と無縁ということになる。
他には、

幸福とは自己満足である

なかなか正直な意見であるし、的は外していない。
その人の自己満足が人類に恩恵をもたらすこともあるし、逆に災難となることもある。能力の高い人の自己満足には注意が必要である。
誰が言ったのでもないが、こんなのはどうか?

幸福とは幸福であることを知ることである

幸福であることを忘れることで不幸と感じる。
これは、アンデルセン童話「モミの木」の教訓でもある。
この童話では、モミの木は、幸福が奪われた時に初めて幸福だったことを悟る。それでは遅い。
ただ、このお話に書かれてはいなかったが、幸福を奪われた後も実は幸福であるのだ。

実際には、日本に生まれたことが最大の幸福ではないかと思う。
若い間なら、少し働けば、好きなものを好きなだけ食べられる。凍えることも、戦争に行くこともない。危険に遭うことはないではないが、その可能性は低く、さらに少なくすることも自主的にできる。
馬鹿げた学校制度のおかげで、精神的には貧しいのであるが、運が良ければ、学校と関わり無く生きることで賢くなることもできる。

さて、小説などでも「幸福とは?」というテーマを扱ったものも多いのだろうが、私がよく憶えているものがある。
CLAMP原作のアニメ「ちょびっツ」である。人型パソコン(早い話がアンドロイド)であるちぃ(見かけは15歳くらいの超美少女)を愛する秀樹は、初期化され、記憶の一切をなくしたちぃに言う。「ごめんな。幸福とは何かを教えてやれなくて・・・(中略、というか憶えていない^^;)・・・幸福ってのは、一緒にいることなんだ」
これって、加山雄三の「幸せだなあ、ボクはキミといる時が一番幸せなんだ」と同じような気もするが、フツフツと湧き上がる幸せというよりは、もっと静かで意識されないものと思う。
そこで、初期化されたはずのちぃの目に涙が溢れ、なぜか記憶が復活する(ファイル復帰ツールが作用したか?^^;)。
しかし、秀樹はなかなかのものだと思う。ちぃが人でなくパソコンであるだけに、その愛は純粋である。
一緒にいること以外、何も求めない愛・・・いいですね!(笑)
しかし、まだ欠点がある。「一緒」というところである。では、一緒でないといけないのか?このブログでもあひるのワルツオルゴールを貼っているアフラックのCMのように「一緒が嬉しいね」は、「一緒じゃないと悲しいね」となるのか(※当方、アフェリエイトは一切やっておりません。単に面白いから貼ってるだけ)。
米米クラブの歌でもあったではないか。「例えばキミがいるだけで」って。愛する人がここにいなくても、ただどこかで存在しているというだけで幸福なはずである。どこにいようが、いや、たとえ死んでしまっていようが存在する。心の奥深くに。
存在ということ自体が幸福なのである。

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