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2006.12.31

見破ったぞ

世界が確たる存在であり、自分が生まれる前から在り、自分の死後も在ると思うのが普通かもしれない。
しかし、4つか5つの頃と思うが、私は世界が実際は存在しないことを見破った。
実に、世界は心が一瞬一瞬に作り出すものであり、過去、現在、未来という時間も実際は幻想と思う。

幼い頃、ふと何か(ドアノブとかいった何でもないもの)を見た時、思考を止めると、それが溶けるように消え去るのを感じた。しかし、心は断末魔から再び立ち上がり、その形を作り上げ、私にそれがあるように思わせようと必死になる。再び私は心を抹殺し、存在を消す。根競べである。私の心の奥底では「今、今・・・」という声がする。

これは、大切に思っているものを、火の中に投げ捨てるような瞬間に体験できる場合が多いと思う。その一瞬、心が死ぬからである。
あるいは、何か強い願いを諦めた瞬間にも空を体験する。昔から、願い事は諦めた瞬間に叶うという。ただし、本当に諦めた時であると思う。

この世が空であることを見破ったとて、心が完全に死んでいないと、世界は再び蘇る。そして、この世が空であることも忘れさせる。それは、悪夢に取り込まれながら、それが夢であることを忘れるようなものである。
心を殺すとは、冷淡になることではない。冷淡さは冷淡さという幻想を作る心の作用である。同じく優しい心というものはない。優しいという幻想ならある。心が死んだ時、真の意味で優しいのである。
心が死ねば、全ては思い通りになるのも確かだが、全てを思い通りにしようと思って心を殺そうとすると、より強い心に支配される。心は生物ではない。死んでも現れる。しかし、完全に自分を殺した相手とは関わりをもたない。
その時は、心が作り出す世界に苦しめられることはなく、ことによれば楽しむこともできるだろう。

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2006.12.30

年末年始も休まず営業?

この時期、テレビCMで「年末年始も休まず営業」といった言葉をよく聞く。
その度に私は陰鬱な気分になる。
そこの従業員は決して働きたいわけではないだろう。彼らの子供達はこの時期も、場合によっては夜遅くまで、お父さんやお母さんと過ごせないのである。
年末年始に料亭やレストランなんか行かず、家で過ごせよ!
もちろん、年末年始営業してお客さんが沢山来てくれるからこそ、そこの従業員に仕事があるのだということはできる。
しかし、不自然な営業や過剰消費で成り立つ経済というのもどこか納得がいかない。

かくいう私は、年末年始は暇である^^;
そこで、さっき「ULTRAMAN(ウルトラマン)」(2004年)のDVDを見た(笑)。
この映画の中で、F15イーグル戦闘機のパイロットである真木(まき)の6歳の息子がこう言うのを聞いた。
「飛行機に乗っているお父さんはカッコいいと思います」
では、スーパーの食品売り場で、オバさんにペコペコしているお父さんはカッコ悪いのか?
会社で上司にイヤミを言われながらアゴで使われるお父さんはカッコ悪いのか?
駅で、さして年でもない男性が、トイレ掃除をしているのを見るが、それもカッコ悪いのか?
いや、彼らはまだいい。よく見るんだ。背広ネクタイ姿で公園の隅の陰になった場所でお弁当を広げる、失業を家族に隠しているお父さんを。
パイロットだなんて息子に自慢すんじゃないよバカヤロー・・・とついひねくれて見てしまう(笑)。
しかし、この映画は悪くなかった。ウルトラマンとたまたま同化した真木は、敵を倒し、いよいよ死を迎える時に言う。「これも運命だったんだ。後悔はない」
世の中には、優れた能力を持ちながら低い立場に甘んじなければならない者も少なくはない。彼らが一生そのままで過ごし、いよいよ死を迎える時、「それも運命だったんだ。後悔はない」と言うなら良いことと思う。

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2006.12.29

夢とうつつ

江戸川乱歩は、「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」、つまり、「現実は夢で、夢こそ現実なのだ」と常に唱えていた。
信じているわけでもないが、ダリル・アンカをチャネラー(霊媒のようなもの。霊媒では恐山のイタコが有名)として出現する宇宙人バシャールも「夢の世界こそ現実」と言っているようだ。
私は、うつつと夢は同等と見る。これはインドの聖者として知られるラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジと同じ立場だ。我々は世界という夢を見ているだけだ。全ては幻想である。

20061229

和な乙女を描いてみる^^;
クリックすると、大きな絵がポップアップで出たりもします(*^^*)

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2006.12.28

突然に芸術を理解した

憎しみと愛の考察を続けるうちに、芸術が理解できてしまった(本当か?)
披露する(偉そうに・・・^^;)

みなさんも、家族、学校、会社の中で、嫌いな人、憎んでいると言ってもよい人というのが存在するかもしれない。
そして、強く憎んでいる相手を本当は愛しているのだと言われたら、決して認めない場合がほとんどと思う。
あるいは、憎しみと愛は同じということを信じないと思う。

萩尾望都さんの短編漫画の傑作に「半神」というものがある。
シャム双生児の姉妹がいた。腰のところでくっついた姉妹なのだが、姉の身体で二人分の栄養が作られるようになっていた。ところが、栄養のほとんどは妹の方に行ってしまう。姉はひなびたキュウリのような容姿で髪もほとんど生えないが、妹は天使のように美しい。
しかし、妹は知恵遅れで足腰も弱く、姉は妹を抱えて歩き、日常の全ての世話をしなければならなかった。姉は頭が極めて良く、本を読んだり勉強するのが好きだが、妹は砂場などで遊びたがる。そんな妹をたしなめると、いつも自分が怒られる。これはなんと、世の中の姉や兄の苦悩を常識外れな強さで味わうということである。しかも、みんなが美しい妹ばかり褒めるのである!
そして、二人は分離手術をされることになる。姉の身体でしか栄養が作られないのであるから、成長していく二人には足りず、放っておけば二人とも死ぬ。しかし、分離すれば、栄養を自分で作れない妹は死ぬ。
手術すれば二人とも死ぬ可能性もあった。しかし、姉はそれでも喜んだ。妹から解放される可能性があるなら、なんでもしたかった。
手術は成功し、姉は一人になった。リハビリが進み、普通の子供のようになった。そして、手術後、初めて姉は妹と面会することになる。妹はもう長くはないという。妹の病室に入ると、そこにはかつての自分がいた。ひなびたキュウリのような姿で髪もない。いや、かつての自分と違い、起き上がることすらできない。妹は姉に気付くと、そのグロテスクな顔で微笑む。妹は何も分からないまま死んでいった。
その後、自分の身体で作った栄養を自分の身体で使える姉は健康になり、髪も生えてきた。鏡を覗くと、日に日に普通の少女になっていく自分がいる。そして、天使のように美しかった妹とそっくりになった。普通に学校に行き、美少女なのでボーイフレンドも沢山できた。全てに恵まれ、青春の楽しさを満喫していた。
しかし、「鏡の中の妹」と逢う度に姉は思い知る。妹を憎むこともかなわぬほど憎んでいたことを。そして、愛することもかなわぬほど愛していたことを。


では、あきらかに憎しみを抱かせる行為をした相手に対してはどうだろうか?
同じであると言ったら、猛反発を喰らいそうだ^^;
紛らわしい言い方をしてきたが、愛というものに区別はない。愛するという時、本来、特定の対象はない。全てを愛しているのである。でなければ愛ではない。
イェイツは「愛は神の領域、憎しみは人の領域」と言ったのは、なんとも的確だ。
好ましくない行為をした相手に対しても、自分の愛を止められないのである。しかし、目の前の悲惨を見て、愛は無いと思う。となると、失ってもいないものを求めることとなり、これを憎しみというのである。
イエスは「汝の敵を愛せよ」と言ったらしいが、多くの人は「んなこと出来るか!」と言うであろう。しかし、実際は、言われなくても愛しているというのが事実だ。
愛と性的魅力は何の関係もない。誰もが、美人もブスも同じように愛している。しかし、ブスは愛していないと思うから、憎しみを感じるのである。

芸術の恩恵とは、ロマン・ロラン(「ジャン・クルストフ」の著者であるノーベル賞作家)によれば、「大洋感情」であるらしい。没我的な世界との一体感として体験される感情である。
おそらくは、岡本太郎の「爆発」、夏目漱石の「天賓」も同じことを言っている。
心理学者のマスローのPE(Peek experience.心理学用語「至高体験」)も同じと思う。
イェイツは、ドストエフスキーやエリオット同様、特別な名前を付けなかったと思うが、これを強く意識していた。そして、「それは、憎むのをやめた時に起こりやすい」と書いている。当然である。失われてもいない愛を狂ったように探すことをやめるのであるから。
芸術は憎しみの昇華であると思う。よって、芸術は爆発なのである。

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2006.12.27

愛すべき豪傑

今年9月に亡くなられた丹波哲郎さんは好きだった。言ってることは滅茶苦茶(私見です^^;)でも、確かに、テレビで彼が登場すると、周りがぱっと明るくなるように思えた。
私は、まだ純心な頃に彼の本を読んだことがある(笑)。
およそ苦労をしたことがないと書かれてあった。ただ、勤務していた会社をクビになったことはあるらしい。とはいえ、全く仕事をせず、あげく出勤せず、入社の時にもらった鉛筆が何年もそのままであったというから、むしろ何年も給料を貰ってたことが凄い(笑)。
会社では「仕事しなくていいから、せめて席にいてくれ」と言われたらしいが、「用もないのになんで席にいないといけない」とばかりに遊びまわってたらしい(^^;
ニート体質であった私が、何もできない時代にも気楽に会社勤めできたのは、この話のおかげと思う。そういえば、私も仕事せずに高給を貰っている(笑)。
彼の著書や、雑誌の連載に載っていた彼の話は印象深い。常識とはかけ離れた豪快なものであるからだ。

車からゴミを捨てるのは殺人と同じ。自分さえよければ人はどうでも良いという心根は、殺人と全く変わらない。

勤務会社の社長に「愛人になれ」と言われたOLの社長に対する罵倒には、「あんたには愛がない。社長が社員のOLに愛人になれなんて人間臭くてよろしい」と返す。ただ、彼女に愛があれば、社長もそんなことは言わないもんだとする。

過去に5人の男性と関係があったことが、今の彼にうしろめたいという二十歳の女性については、「いまどき、二十歳で5人とは少ない。真面目なお嬢さんだ」と、つまり、全然気にせんで良いとする。ただ、私の考えでは、あくまで彼女に、彼に対する純心な思いがあってこそであるとは思う。
ところで、ヤクルトの古田選手(監督兼任)が奥さんと同時に3つ股していたと雑誌に書かれているのを見て、私は「あれだけのスーパースターで3つ股なら少ない。真面目ないい男だ」と思ったのは、その影響かもしれない^^;

こういった豪快な器量を持った人間としては、私はアントニオ猪木さんを思い出す。猪木さんの事務所に泥棒が入り、250万円の現金を盗んだ時、猪木さんが怒った。怒ったと言っても怒り方が並の人間とは違う。「なんで俺がいる時に来ない。俺がいたら500万やる。猪木の事務所は250万しかないなんて思われたらカッコ悪いじゃないか!」
豪快な人間てのは気持ちの良いものである。小さな悩みなど吹っ飛ぼうというものだ。

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2006.12.26

強い女の幻想

かなり昔だと思うが、「女は強くなった」と言われるようになった。
しかし、そう言われるようになってから、実は女は弱くなった。
女は元々強い。
ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「自信を持って(I have confidence)」という歌に、「強さは数じゃない。強さは富でもない」という詩がある。
物質やみかけの強さを求めると弱くなるのである。

最近、テレビで、あゆ(浜崎あゆみ)やエビちゃん(蛯原友里)を見ていると思うが、彼女達は女ではない(?)。男の強さを目指しているように思う。
誤解されている強さ、つまり偽者の強さとは、屈辱を与える側であるということだ。彼女達については噂だけなので事実ではないが、雰囲気だけでいうと、男に屈辱を与えて喜ぶ女と感じる。
つまり、わがままを押し通せる存在であるイメージが強い。そんな雰囲気が若い女性に受けているのである。そして、わがままを押し通せる最強の立場が、相手に屈辱を与えて容認されることであり、特に、女が男に屈辱を与えることがその最たるものとなる。
最近、不気味に性格の悪い女が多いのはそのためである(ぉ)。
しかし、女に屈辱を与えて喜ぶ男が弱いのと同様、傲慢な女も当然弱い。

では、「自信を持って」の歌では、「強さ」とは何であると言っているのか?
Strength lies in nights of peaceful slumbers.
直訳なら中学生でも可能だが、「強さは、平和な眠りの夜の中にある」と、全然意味不明(笑)。
映画の字幕では、「ぐっすり眠って元気いっぱい」とあった(笑)。そんな意味なのか?^^;

真の強さとは言葉で表せるものではない。
あえて言うなら、否定形でのみ表現できる。
「強さは富か?」
この質問に「イエス」と答えるなら、その者にとって強さは富であり、富を持たないと弱いということになる。
「ノー」と答えるなら、その者にとって強さは富でない。
「では、腕力か?」
「美貌か?」
「家柄か?」
「学歴か?」
これら偽者の強さにノーと答え続けることでしか、強さを表現することはできない。

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2006.12.25

消し去りたいもの

アイザック・ニュートンは死の前に、膨大な数のノートや書簡を燃やしてしまったらしい。
いったい、これらに何が書かれていたのか、非常に興味深いものである。

ところで、あなたは余命僅かと宣告されたら、処分したいものがあるだろうか?
ノート、手紙、写真、ビデオ・・・、そして、ある時期からは電子データであるeメール、デジタルフォトやデジタルムービーが記録された固定ディスク、CD、DVD、SDカードなどなど。
ありますでしょう?(笑)
もちろん、私にも沢山ある(爆)。とても人にお見せできない、あんなものやあんなものが(笑)。

ところで、そういう「死ぬ前に処分したいもの」は本当に処分する必要があるのだろうか?
自分がこの世からいなくなっても、世界は相変わらず存続するなんて証拠があるのだろうか?
自分が死んだら、案外、世界も消え去るのではないだろうか・・・なんて考えを一度くらい持ったことがある方もいると思う。私など、幼い頃はそう確信していたくらいである。

ところで、こういった考え方は、意外に突飛でもないように思う。
というのは、世界を「こういったものだ」と認識しているのはあくまで自分であり、他人が同じように認識しているとは限らないし、それは絶対に分からないことである。
では、そのように世界を認識している主体が存在しなくなれば、そのような世界は存在しないことになる。
養老猛司さんも「唯脳論」で、全ては脳の中のバーチャルワールドであると書いていたし、岸田秀さんは「唯幻論」で、全ては幻想でしかないとしている。
そして、唯物論の代表のように言われるデカルトにしたって、「確なものは何もない。ただ、疑っている我が存在することが確かなだけ」という結論に至ったわけである。

そんなわけで、死後のことを思い煩うなかれである。子供に大金を残したつもりでも何の意味もないかもしれない。死後のことは死後が面倒みてくれるだろう。
それで良いのではないだろうか?

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2006.12.24

クリスマス・キャロル

ディケンズの「クリスマス・キャロル」という小説をご存知と思う。今風には「クリキャ」か(をい)。
このお話は、よく知られている部分でいえば、悪しき生き方をしている者に、「いまのままを続ければ、将来こうなる」という姿を見せて震え上がらせ、更生させようというものだったが、現在流行のニートの場合、かなり意味があると思う。ただ、ニートの中にも、すでに将来の不安を感じている人も少なくはない。しかし、このままを続ければ当然訪れる悲惨に不安になるとしても、どうしようもない場合もあるかもしれない。つまり、引きこもり型ニートの場合である(ニートと引きこもりが混同される場合があるが、それは誤解である)。
「クリスマス・キャロル」の守銭奴のおやじ(スクルージ)の場合は、まがりなりにも経営者であり、お金に余裕もあり、後は少しの優しさを持てばよかった。しかし、現在のニートは、最低限の義務である自分の面倒を見れるようにならないといけないが、そのハードルが高い。

ただ、「クリスマス・キャロル」で、未来を見せたのは「未来のクリスマスの霊」だ。
「過去のクリスマスの霊」はスクルージの孤独だが純心だった子供時代を見せ、さらに「現在のクリスマスの霊」は、他の人々を見せ、「未来のクリスマスの霊」も、実は欲深い人間の醜さを見せ付けるのだ。
つまり、「クリスマス・キャロル」は、単に「悪いことすると地獄に落ちるぞ」式の単純な物語ではなく、人の不幸の原因は無知であること、大事なことを忘れることであることを思い出させるものである。
私は、子供の頃、イヴは毎年これを読もうと決めたのだが、ずっと実践していなかった。今年あたり復活といきますか・・・(笑)。

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イヴのラクガキ。
精霊に出逢うと、やはり誰でも恐れるものでしょうね。
スクルージはクリスマスの精霊の出現を受けましたが、聖書にはマリアに精霊が宿る際の記述はなかったように思います。それは秘密か・・・
クリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2006.12.23

天下のモテ男

キムタクのようないい男なら、クールに誘おうがハードに迫ろうが女は嬉しいものである(例外はあるが)。
しかし、キムタクのマスクもボディもなければ諦めるしかないのか?(笑)
ここである男の話をしよう。
激モテ男である。男にも女にもモテる。男にも・・・と言っても、ムフフの関係ではなく(笑)、義兄弟になりたがるという意味である。娘さんであれば、妾でいいから側に置いて欲しいという。男の天国である(笑)。
で、この男、キムタクもかすむ色男、あるいは、ホリエモンも真っ青の預金額かというと、なんと天下部類の醜男にして、とりえは一つもない(!)。
この男、名を哀駘它(あいたいだ)と言う。「荘子」の徳充符に登場する。
ある国の国王が、この哀駘它の評判を聞き、召抱えてみた。確かにひどい醜男であったが、すっかり魅き込まれ、国政をまかせてしまった。しかし、哀駘它は断るでなく、応ずるでもなかったが、やがて姿を消し、国王はすっかり落胆した。
こんな醜男がなぜこれほどまでに魅力があるのか?荘子は、なんと孔子に説明させる(もちろん、荘子の創作である)。この孔子の説明が素晴らしかった。これを読めば、あなたもキムタク以上の色男、上戸彩以上の萌え萌えガールになること疑いなしである(?)。

20061222_1

クリックすると大きな絵がポップアップで出ます。
紹介した書の該当部分を理解・実践すれば、女の子達はみんなこんな雰囲気になるでありましょう(?)。
わずか数ページです。

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2006.12.22

危険なささやき

本当か嘘かは知らないが、昔見た時代劇で、織田信長が戦場で、鉄砲の弾丸が飛び交う中を悠然と歩き、「わしに弾は当たらん。これに当たって死ぬなら、わしもそれだけの男だということだ」とか言った場面があったように思う。
また、本宮ひろし氏の漫画では、やはり大望を持つ若い武将が、病気(性病)持ちという女が、「死ぬ前にあなたのような美しい男に抱かれたい」と言うのを受け、「これで病気になるなら、俺もそれだけの男」と応ずる場面があった。
まあ、大きなことを成し遂げるには、大きな危険を背負うこともあるらしいが、それを切り抜けるには強運も必要であり、その運が自分にあるか試したものとも思える。

ただ、イエスは、「汝の神を試すな」と言ったし、有名な宗教家の五井昌久氏は、神様の命じるまま、目隠しをして車道を横切ろうとしたら、神様に「馬鹿野郎!目隠しをして車道を渡るやつがあるか!」と怒られたらしい^^;
しかし、これも真偽のほどは疑わしいが、空海は、自分が人々の救済者に値するかどうかを試すために、崖から身を躍らせて無事生還したという話もある。

皆さんは真似しないように(笑)。
ところで、私は8つかそこらの頃、なぜかそれをやってみた(笑)。
住んでいた団地の前に交通量が非常に多い車道があり、そこを横切るために車が途切れるのを待つのに、いつも長い時間がかかった。
また、車道へ出る直前のところが非常に見通しが悪く、注意が必要であった。
そこで、私は何を思ったか、その見通しの悪い場所から「目を閉じて飛び出せば車は来ない」と決め、車道に躍り出た。信長も真っ青かもしれない^^;;
車はなかった!再度やってみた。やはり来ない^^;;こりずにさらに・・・^^;;;;
私の姉がそれを見て、何度も肝を冷やしたらしい。
とにもかくも、私は何度そうやったかは知らないが、死にもせず、ケガもせずにスクスク育った。五井昌久先生が神様に怒られたことを見事(?)やってみせたわけだ(笑)。

だからどうというわけではない(笑)。
とにかく、良い子は真似しないように^^;;;

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2006.12.21

今後もいじめは増えると思える訳

私は、小学校時代、休み時間は一人で時間を持て余すような孤独症ではあったが、いじめにあった思い出はない。
また、クラスに、非常におとなしい女の子がいて、ほとんど喋らないし、私が休み時間に暇つぶしでもしようと誰もいない裏庭に行ったら、そこに一人でじっと立っていたのをよく見た。私を見ても無関心な様子だった。こんなに可愛いのに・・・(笑)
しかし、姉御的な女の子が、その子の面倒をかいがいしく見るようになり、やはりいじめられてはいなかった。
おとなしいというだけではいじめの対象にはならないのだろうか?
そして、常にいじめられていた子を二人憶えている。二人とも女の子だ。一人は、病原体ででもあるように扱われ、みな、彼女に接触しようとしなかった。ところが、彼女が明るいのである。今思えば、結構美人だった。あまり言いたくないが、私もいじめに加わっていた。そんな私にも、彼女は明るく接した。彼女は勉強はできなかった。だが、どういうわけか、何かの機会に、数百人の生徒を指揮する役が彼女に回ってきたことがある。そして、彼女は見事にそれをこなした。あんなことをいきなり出来る子は、今考えてもそうはいないと思う。その後、担任教師が皆の前で彼女にいやみを言った。「他の先生に言われたわよ。あの子、算数どのくらいできますかってね。私、恥ずかしくて何も言えなかったわ」と。それでも彼女は落ち込まず、教師を横目で睨んだ。
もう一人は、おとなしい子だった。やはりキタナイもののように扱われ、多くの子が、彼女から手渡しでモノを受け取るのを拒んだ。彼女は無表情だった。いくらいじめられても泣くこともなかった。彼女も勉強は全くできなかった。0点の試験を壁の彼女の手が届かない高さに貼られても、彼女はその前でただじっとしていた。

いじめられる子というのは、どこか変わっているということはあるらしい。
そして、いじめる子はその変わっていることを否定することで自分を保とうとするのかもしれない。いわゆる、変わっていることを許せないのである。自分にない個性が容認されたら、自分の身が危ういと思うのだろうか。あるいは、別に理由はなくても、弱い立場の者をいじめることで、いじめる集団の中で自分の立場を安定させたいとしているようにも思える。
つまり、いじめる方も不安で仕方なく、その不安を安直に解消する手段がいじめと思う。
自分に自信がある子がいじめに加わるのを見たことはない。
子供のことは複雑だが、大人でいじめを行う者も、やはり自分に自信がないことが特徴だ。つまり不安が心の中に渦巻いている。ところで、不安の原因は何であろう。多分、あさましい欲望と期待だ。執着なく、他人に期待しない者は他人を攻撃しない。
ところで、子供の場合は複雑と書いたが、親の影響が大きい。親が自分に自信がなく、不安で欲深いと子供に影響しないはずがない。欲深さの特徴は「損をしたくない」という態度に表れる。そして、今は損をしたくない者が多い。以前、ダスキンの経営理念を書いたことがあるが、それは「得な道と損な道があれば、自分に関しては損な道を取る」である。これが奇異な言葉と思われる間はいじめは、子供でも大人でもなくならないであろう。

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2006.12.20

良い魔法を!

仮にだが、魔法のような力が存在し、それを手に入れる方法が書かれた本があったとする。
あくまで、仮にだ(笑)。
そんな本が、一般書店やアマゾンなどのネット通販でおおっぴらに売られているとする。
その場合、世の中に魔法使いが溢れるかというと、そうはならず、むしろ、ほとんど魔法使いは現れない。

なぜそんなことが言えるかというと、魔法の力は強大であると思われ、それならば、その本は一般のノウハウ書より高度な教えが書かれていることになる。すると、それは必然的にほとんどの人にとって聞きなれない教えであるに違いない。
人間というのは、馴染んだ考え方から方向転換することは非常に難しいものであり、その教えを身につけるには、かなりの反復を必要とする。
ところが、そんな本は、1~2回読むうちは興味深く、熱意も持てるのだが、何の成果もなく、また希望があるかどうか分からない中で5回も読むとうんざりしてくる。すると、その本に疑いを持ち、別の教えの本を求めることになるだろう。
2400年以上前に書かれた中国の「荘子」には、そのような本から神秘な力を得た者の話がある。彼女は、かなりの年であるに関わらず、若い子に負けない容貌を持っていることから、その訳を聞かれる。そして、彼女は、面白いたとえ話で、魔術的な力を会得した方法を述べているが、つまるところ、反復読書から始まっている。何回とは書かれていないが、10回とか20回ではないはずだ。
うんざりし、効果も見えず、期待もない中であえて続ける者のみが成功する。これは確実だ。本で学ぶなら、良い本を選ぶことだ。いくらなんでも、一目で怪しいと分かるタレント霊能力者が書いたものや、軽い調子のものはやめたがいい。書かれてから少なくとも半世紀を過ぎたものが良い。また、その本自体の流通以外での収益を誰かが得ているものもダメである。一人の著者が複数書いているものも避けることをお勧めする。ましてや、10冊も20冊も書いている場合は絶対だめである。その著者は、教えのエッセンスを自分ですら掴んでいないし、1冊のマスターでも大変なのに、それだけ多いと人生1回では足りない(笑)。
早い話が、さっきの「荘子」でもいいんですけどね。
では皆さん、良い魔法をお使い下さい。
・・・魔法を習得する本があることになってしまった^^;

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2006.12.19

力なき正義は悪に劣る?

いつもは短時間で描けるラクガキしかしないが、私とて、時間をかければ少しは上手い絵が描ける・・・のではないかと思う(笑)。
しかし、プロの絵描きというものは、短時間で上手い絵を描くものであろう。
何ごともそうだが、プロというのは、高い品質を短時間で仕上げる者を言う(そして、「いつも」という要素が重要だ)。
私の専門のコンピュータソフト開発で、ビル・ゲイツが語ったこんな話がある。印刷された数万行におよぶプログラムコードがあったのだが、その概要を理解しないといけない時、2人のプログラマがそれぞれ次のように答えた。1人は「1週間ほどで読みます」で、もう1人は「今晩お借りしてよろしいですか?夕食の後にでも目を通します」である。能力の差とはこれほどのものであるというわけだ。
ビル・ゲイツはプログラマの能力は、純粋な知能指数だと言ったが、私の知る国際級の開発者もそう言っていたし、私も概ね賛成である(なら私はダメじゃん^^;)。
イラストレーターなら能力の判定も難しくないと思うが、芸術家となると作品の値段が判断基準であると信じるしかないように思う。もちろん、ゴッホのように在命中は1枚も売れず、死後にようやく認められる場合も少なくないようである。

人間の能力は、生まれついての頭の良さ、適正、熱意、誠実さ、経験などで決まると思う。頭脳に関しては、後天的にどれだけ発達させることが可能かは分からないが、有能な人間になるには、向いたこと(あるいは好きなこと)を熱意をもって真剣に取り組み、失敗と成功を重ねていくしかないように思う。
おかしな話だが、たとえ悪いことでも真剣に行えば得るものも多く、善いことを不真面目にやるよりマシという話もある。日本の宗教家で、有名であるがあまり悪評を聞かない教祖に白光真宏会の五井昌久さんという人がいたが、彼が著書で「小善人になるくらいなら大悪人になれ」と書かれていたのを思い出す。
子供向きのアニメ「ふたりはプリキュア」で、敵の女戦士ポイズニーが、プリキュアの2人に「力のない正義は悪に劣るのよ」と言ったのが面白いと思った。もっとも、私はこれをポイズニーが「所詮、悪とは劣るもの」と自分を蔑んだ苦悩の言葉と受け取ったのだが。
五井昌久さんといい、プリキュア制作者といい、もちろん悪を賞賛するわけではなく、小善人、小市民が一番悪いと言いたかったのだとは思う。力があってこその正義であると。本当に正しいといえる者は、真剣で有能でないといけないのである。

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2006.12.18

日本は侵略寸前

私は、日本はもう十分に侵略されかかっていると思う。
侵略にもいろいろな方法がある。最も単純なのは武力侵略であるが、これは実は「口実」が無いと難しい。例えば、日本の真珠湾攻撃が、アメリカが日本を攻撃する格好の口実を与えたようにである。最近でも、デッチあげのイラクの大量破壊兵器を口実にしてアメリカがイラクを占領したが、アメリカですら、口実のない武力攻撃は不可能だ。
アヘン戦争はイギリスの経済的な目的であったが、そうではなく故意に麻薬を流行させて国力を弱めてから静かに侵略する方法も考えられる(コストが高いかもしれないが)。
また、星新一氏のショートショート(極めて短い小説)や、レイ・ブラッドベリのSF小説にあった宇宙人の方法だが、何らかの方法で、侵略相手の人間の活力を奪ったり、精神的に支配することで楽々侵略するということも不可能ではない。
今、日本は、それがアメリカか韓国か中国か北朝鮮かは知らないが、侵略を開始されていない状態とは思えない。
まず、携帯電話やゲーム機をガンガン使わせることで日本人の能力を根こそぎ奪う作戦は確実に遂行されている。すると、自主的に協力しているか、支配されているかは不明だが、ソニーやソフトバンクといった企業が大きな役割を果たしている。
次に、日本人の幼児化を間違いなく狙っている。それは、女性用化粧品のテレビCMに顕著だ。ここに登場する女性達は、まさに知性のかけらもない幼児であるが、そんな彼女達に憧れ、同調するように仕向けられている。そんな女性達が母親になった日には、とんでもない子供を育てることになる。
最近、とみに売れているエビちゃんも、確実に言えるのだが、彼女は子供の役割を果たしており、そんな彼女の真似をする女性が増えている。CMに見る、彼女のはしゃいだ顔や、きっと見据えた顔は、知性のない幼児のものである。
また、頭の活動の鈍い早朝に、民放各局はおしなべて星占いを放送し、全く論理的でないものを無分別に受け入れる訓練を長年に渡って行ってきた。本来なら、このようなものは公共の電波を使った犯罪である。
日本は、根本的には義務教育により、これに馴染んだ者は完全無能化している。何に対しても無関心で、流行を疑わずに同調し、無駄な消費を繰り返す。
日本を防衛するには、国民一人一人が知性を磨き、鋭い洞察力を持つしかない。もちろん、学校は馬鹿は作るが知的な人間は作れない。自分で考え行動し、経験を積み、精神と頭を鍛えるしかない。
根本的には一芸を磨き、そこから真理を見出すことで洞察力を得る。私のようなITでも良いし、芸術でも良い。ただし、権威者に従ってはいけない。
既に手遅れとは思うが、心あればがんばって欲しい。

・・・以上、半分妄想である(笑)。残り半分は・・・

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2006.12.17

月のような優しさ

W.B.イェイツの「人間の威厳」という詩で、「恋人を理解することではなく、誰にでも同じように接してあげられること」が優しさだと書かれている。
そんな優しさは月のようであると。

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globeの“STARTING FROM HERE”が頭の中で回っている状態で絵を描きました。
それは、最初の「誇らしげに心をかざして」という部分がほとんどでしたが、最後の部分の詩も良いです。

忘れたくないもの 消し去って行くのだって
私の勇気 ひとつの勇気 優しさの勇気
(作詞:KEIKO & MARC)

2つの素晴らしい詩が絵を描く作業の中で融合し、真の優しさと勇気を理解できた・・・と勝手に思う(笑)。
絵をクリックすると、とりあえず大きな絵がポップアップで出ます^^;

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2006.12.16

小市民の就職案内

会社案内のパンフレットやWebページで、就職活動中の学生向けの企業PRがよく掲載されている。
それには、入社数年の社歴の若い社員が写真入りで会社の説明をしている場合が多い。学生にとっては、同世代の社員の視点でのその企業を知ることができるというものである。
主に、社風とか仕事のやりがいとかが書いてある。
ところで、私は、求職活動中、これらを見た会社は、全て応募しなかった。そこに書いてある通りなら、とてもではないが、そんなところで働く気にならなかった。
そこに書いてあるのは、みじめなまでの小市民発想である。社内が上司も含め、いかに和気アイアイとしているか。ほんの少しの趣味を持っていることで「個性的」と言ってもらえるか。自由とか仕事のやりがいとか言いながら、自分の役割は決まっていて、言われた通りにやればいいことも暗示されている。そして、それを語る若手社員の間抜けで平和な笑顔・・・。これに応募するなんて若者ではない。
そして、よく考えると、これは「うちの会社は、あんた方がいままで通っていた学校と同じなんだよ」と言っているのである。表向きには、「学生とは違う」なんて言いながら、実はそうである。管理者がいて、管理者に気に入られるようにやることが大事だと言うことである。会社というのは、そのような社員に労働を割り当てることで成り立っている面も確かにある。
そして日本の義務教育は、アメリカで政府や大企業に都合の良いワーカーや消費者を養成するために開発されたものをそのままコピーしたものであるのだからそれが当然であることが分かる。
ところで、そもそも、社会人一年生から、良い待遇や環境を求めること自体が間違いである。スタートは実力相応のみじめでカッコ悪いものが良い。一生、競馬の馬やタマゴを産む雌鳥の役をやりたくないならば。

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本日のラクガキ。
見返り美人・・・なんてね(笑)。
クリックすると、一応、大きな絵がポップアップで出ます^^;

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2006.12.15

真の幸福とは

さて、「真の自由」、「真の勇気」ときたので、今回は「真の幸福」についてである。
幸福についての面白い定義をいくつか聞いたことがある。
例えば

幸福とは夢中になることである

これは分かりやすい。夢は、それをかなえるよりもかなえる過程の方が楽しいはずである。
しかし、最近は、誰かにかなえてもらう夢や、すぐにもかなう夢しか分からない人が多く、これらの人は幸福と無縁ということになる。
他には、

幸福とは自己満足である

なかなか正直な意見であるし、的は外していない。
その人の自己満足が人類に恩恵をもたらすこともあるし、逆に災難となることもある。能力の高い人の自己満足には注意が必要である。
誰が言ったのでもないが、こんなのはどうか?

幸福とは幸福であることを知ることである

幸福であることを忘れることで不幸と感じる。
これは、アンデルセン童話「モミの木」の教訓でもある。
この童話では、モミの木は、幸福が奪われた時に初めて幸福だったことを悟る。それでは遅い。
ただ、このお話に書かれてはいなかったが、幸福を奪われた後も実は幸福であるのだ。

実際には、日本に生まれたことが最大の幸福ではないかと思う。
若い間なら、少し働けば、好きなものを好きなだけ食べられる。凍えることも、戦争に行くこともない。危険に遭うことはないではないが、その可能性は低く、さらに少なくすることも自主的にできる。
馬鹿げた学校制度のおかげで、精神的には貧しいのであるが、運が良ければ、学校と関わり無く生きることで賢くなることもできる。

さて、小説などでも「幸福とは?」というテーマを扱ったものも多いのだろうが、私がよく憶えているものがある。
CLAMP原作のアニメ「ちょびっツ」である。人型パソコン(早い話がアンドロイド)であるちぃ(見かけは15歳くらいの超美少女)を愛する秀樹は、初期化され、記憶の一切をなくしたちぃに言う。「ごめんな。幸福とは何かを教えてやれなくて・・・(中略、というか憶えていない^^;)・・・幸福ってのは、一緒にいることなんだ」
これって、加山雄三の「幸せだなあ、ボクはキミといる時が一番幸せなんだ」と同じような気もするが、フツフツと湧き上がる幸せというよりは、もっと静かで意識されないものと思う。
そこで、初期化されたはずのちぃの目に涙が溢れ、なぜか記憶が復活する(ファイル復帰ツールが作用したか?^^;)。
しかし、秀樹はなかなかのものだと思う。ちぃが人でなくパソコンであるだけに、その愛は純粋である。
一緒にいること以外、何も求めない愛・・・いいですね!(笑)
しかし、まだ欠点がある。「一緒」というところである。では、一緒でないといけないのか?このブログでもあひるのワルツオルゴールを貼っているアフラックのCMのように「一緒が嬉しいね」は、「一緒じゃないと悲しいね」となるのか(※当方、アフェリエイトは一切やっておりません。単に面白いから貼ってるだけ)。
米米クラブの歌でもあったではないか。「例えばキミがいるだけで」って。愛する人がここにいなくても、ただどこかで存在しているというだけで幸福なはずである。どこにいようが、いや、たとえ死んでしまっていようが存在する。心の奥深くに。
存在ということ自体が幸福なのである。

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2006.12.14

真の勇気とは

よく聞くのだが、「勇気をもらいました」という言葉ほど馬鹿げたものはない。

「勇気をもらいました」という言葉の何がそれほどおかしいのかお分かりだろうか?
そもそも勇気とは何だろう?
勇気のことを、向こう見ずとか博打と思っている人は多いと思う。そんな迷惑なものが勇気なら、全く不要である。

ロシアのベスラン学校占拠事件を憶えている人は多いだろう。
あの時、他の人質達のために、自発的に犯人グループに水を要求に行った少女がいた。
彼女は助からなかったらしいので状況が分からないが、これから「勇気をもらいました」という人はいないだろう。
別に彼女の行為の源を勇気と呼んでも良いが、むしろこれは誠意と覚悟である。もしこれが勇気であれば、誠意や覚悟をもらえないのと同様、勇気をもらうこともできない。

もらったという勇気とは、ほとんどの場合、「欲望が満たされる期待」という意味だ。それは幻想(妄想)の期待である。そんな妄想は一瞬は心地良いものである。
そして、欲望が満たされないとどうなるのだろう?不安になるのである。

つまり、勇気をもらわねばならない人というのは、不安が正常な状態の人である。
「勇気をもらいました」という人は、言い換えれば、「私はいつも不安だ」と言ってるのである。
なぜ不安かというと、様々な欲望をひっきりなしに起こしているからだ。
1つの正しく強い欲望なら勇気に変わるかもしれない。しかし、個人的で浅はかな欲望であれば不安になるのは当然である。

さて、では、本当の勇気とは何であろう。それは不安とは無縁のものであるはずだ。
では、結論らしきものが見える。
勇気とは、自分が無であることに耐えることである。奇妙に思える向きもあるだろうが、これが真実だと思う。

我が敬愛する史上最高の賢者、岸田秀先生は(ちと褒め過ぎ^^;)、自我とは幻想であり、真実の自分など存在しないといった。岸田先生を心棒する伊丹十三氏でさえ、「しかし、偽りの自己を取り去れば本当の自分が現れるのでは?」と食い下がったが、岸田先生は「ない!」と切り捨てた。
そして、本当の自分がない不安には「耐えるしかない」としていたと思う。

自分が無であることに耐えられれば不安はない。それが勇気の状態である。
上にあげた、テロリストに水を要求した少女は命を捨てていたのではないかと思う。馬鹿でない限り、命を惜しんでできることではない。彼女はそれに耐えたのだと思う。
先にも言った通り、この勇気とは誠意と覚悟である。

誠意と覚悟。あなたにはものごとを成し遂げる心構えがあるようね。
~アニメ「ツバサ・クロニクル」より 次元の魔女の言葉~

本当は書かない方が良いと知りつつ、期待を持たせることを書くなら、無になりきれば不可能はない。全て可能となる。
これはよく聞くことであると思う。
絶体絶命を切り抜けた人たちは、その刹那、全てを捨てていた。
不世出の空手家、大山倍達氏が、真剣を持った剣の達人と決闘した時も、「手足の1本でも残っていれば相打ちに」と思って突撃し、気がついた時は、相手は川原でのびていたという。この時の経験からか、大山氏は、「先に命を捨てた方が必ず勝つ。喧嘩でも」と何かに書いていたと思う。

繰り返して言うが、勇気とは、自分が無であることに耐えることである。生きる目的も無ければ、欲望も期待もない。そうなれば真の誠意と覚悟を発揮する。

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2006.12.13

真の自由とは

一般には良い印象を与えているようなものでも、私は直感的に嫌な感じを持つことがある。
その1つに、少し前のダイハツ工業の軽自動車ミラAVYのテレビCMで、若い女性の声で「したいことするの」というキャッチコピーがある。
狙いは、自由でアクティブなイメージであろうか?
しかし、このキャッチコピーを聞いた時、私は言い知れぬ不快感を感じた。
単にひねくれているのか・・・^^;

「したいことするの」という言葉に、奔放さは感じても自由は感じない。むしろ不自由を感じる。
自由とは、「したい時にしたいことができる」ことだと思っている人は多いと思う。
実はこれこそが束縛である。
真の自由とは、やるべきことができる自由があることだ。

こんな簡単なことをなぜ多くの人が知らないのかが問題だ。
もっとも、寓話や小説で、神様や天使、あるいは悪魔などから「したいことをできる」力を与えられた人の物語を読むと、それが悲惨な結果になる理由は簡単に理解できると思う。
しかし、本当の自由とは何かを知らないからそれを忘れる。これらの物語の大きな欠陥ではないかと思う。
だいたいが、膨大な力を持った権力者がしたいことをしたらどうなるか考えれば分かる。そして、これは民衆を束縛するだけでなく、権力者自身をも束縛する。彼はその力で、やるべきことをやった時に自由になる。

「したいこと」とは欲望から起こる。欲望とは、実体のない幻想である。実体がないのだから何も確たるものが得られない。そんなはずはないとさらに求める。ないものを求め続け、恐るべき束縛の罠に捕まる。
それがやるべきことなら、欲望も期待も起こらない。むしろ表面上では嫌かもしれない。しかし、行いは正しく、行為者は行いに束縛されず自由である。

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2006.12.12

女性が一番美しいのは何歳?

いつの時代でも、「女性が一番美しいのは何歳の頃」なんて問が出る。どうでもいいんじゃないかと思うのだけれど(笑)。
そもそも、それは単に好みの問題であり、ペタジーニのようにう~んと年上が趣味の人もいれば、ルイス・キャロルのように少女趣味もいるだろうし。
だいたい、「美しい」の定義は何かという問題から解決する必要がありそうだ。

渡辺昇一氏が昔書いた「知的風景の中の女性」という本があるが、その中にこんなエピソードがある。
大学のパーティーで、ある男子学生が適当なパートナーが見つからなかったので、16歳の従妹を連れていったそうだ。すると、彼女がいると、周りの女子大生がほとんどオバさんに見え、みじめなほどだったという。
こんな話はあまり信用してはならない(笑)。
その16歳の女の子が、たまたま美人だったんじゃないかと私なら思う。
渡辺昇一さんは頭が良いので、論理展開を見ているとついつい信じてしまうのだが、よく考えると、かなりのトンデモさんだと思う。
「日はまだ昇る」という本で、日本の工業が発展したのは、「鉄腕アトム」のおかげでロボットに抵抗がなく、むしろ愛着があるので、工場へのロボット導入に抵抗がなかった。一方、欧米では、ロボットのイメージはフランケンシュタインなので、これが進まなかった・・・読んだ時は、一瞬信じてしまった(笑)。しかし、工業用ロボットと鉄腕アトムは似ても似つかないし、フランケンシュタインはあくまで生物であり、ロボットのイメージはない。無茶言ってもらっては困る渡辺さん(笑)。
個人的には、渡辺さんは、大島淳一という名前でジョセフ・マーフィーの本の翻訳や解説をしているということで、全く信用していない。

以前、「脳内革命」という本が売れた。なんでも、「プラス思考すれば、脳内物質が出て健康になる」とか。それに対し、ある医学者が、「そんなん、どこで見たん」とやり返した(笑)。実際、見てもいないものを、かくも多くの人がなぜ信じたのであろう。
ところが最近、書店でちょっと立ち読みしたのだが、これと似たもので、あまりにアホらしくて題名も忘れてしまった本がある。とはいえ、大学教授や、他にも立派な肩書きのある著者だったと思う。天皇皇后両陛下に会ったことも自慢していた。
その本に、なんと、「利他を実践すれば、DNAのスイッチがオンになって健康になる」とか書いてあった(笑)。子供騙しももちっとマシなものはないのかい(笑)。
この方、女性天皇には反対で、その理由は男系天皇の中で受継がれたDNAは女性には受継がれないので、皇室のDNAが途絶えるということであった。しかし、たとえそれが事実としても、それが何なのであろう?特定のDNAがないと何か不都合なのか?劣る人間なのか?まさに人種差別の理念そのものではないか?
そういえば、渡辺昇一氏も女性天皇には反対であった。いったいどんな理屈か?別に興味はないが(笑)。

前にも書いたが、こういった馬鹿げたことを簡単に信じるのは学校教育の影響である。目を覚まし、学校を徹底的に疑わねばならない。そうすれば、子供を学校に行かせる愚に気付くはずだ。

で、最初にあげた「女性が一番美しい年齢は?」について。
そんなこと見当もつかないが、以前、エステのテレビCMで「いま、花の60歳です」と言ってナイスバディを披露していた女性がいた。
気色悪いからやめたがいいとだけは言える。

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2006.12.11

星はなぜ瞬くのか?

私は小学4年生で、従兄から天体望遠鏡を譲り受けました。
星や宇宙に興味のない子供はいないと思いますが、ワクワクしながら取り組んだ天体観測は驚きの連続でした。
自分で天体望遠鏡を扱わないと決して分からないこと・・・例えば、高倍率の望遠鏡は、天空のほんのわずかな部分しか捕えないのであり、目標を捕捉することは大変に難しいこと。
望遠鏡がわずかでも動けば、捕捉範囲は大きくずれるため、慎重に操作する必要があり、間違っても望遠鏡のどんな部分も無造作に掴んではならないこと。
映画やアニメで見られるような、飛行物体(例えば隕石やUFO^^;)を天体望遠鏡で捕捉することは絶対に不可能であること。そもそも、天体望遠鏡では、上下左右が逆になること。
遠くにある星、例えば、太陽系外の星は、いかに倍率を上げても小さいこと。ただし、望遠鏡を通して見ると瞬かないこと。これは、宇宙が限りなく広いことや、ものの見え方はこちらの問題もあるということの認識につながります(星が瞬いて見えるのは目の筋肉の振動の影響)。
自分の眼と手足で知りえたことは生きた知識であり、自信もできます。

子供にゲーム機を与えることは害の方が圧倒的に大きいと思います。ゲーム機を与える代わりに天体望遠鏡をお薦めします。

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本日のラクガキです(*^^*)
クリックすると、大きなのがポップアップで出ます。全然えっちでないと思います^^;

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2006.12.10

願い事はかなうか?

流れ星が消えるまでに3度願いをかければ、その願いはかなうと言う。
しかし、流れ星は一瞬だ。そんなことは不可能だ。
だから、願いはかなわない。
最近発売されたDVD「君は僕をスキになる」(山田邦子、斉藤由貴主演)で、加藤昌也演ずるイケメンプレイボーイがそう言う。
しかし、彼は、最後に流れ星など関係なく願いをかなえ、「願い事ってかなうんだぞ!」と叫ぶ。
さて、彼の願いはなぜかなったか?
それが分かれば、怪しい成功術、霊能力者、占いなど全く関係なく、いかなる願いもかなう。
なぜか・・・といっても、あまりに簡単、常識的過ぎて書く気にもならない。

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本日のラクガキ。
ど素人は、絵を描こうなんて考えず、ラクガキをしようと思えば良いと思います。
立派な画家や絵の先生の描き方なんて気にする必要もない。自信をなくし、やる気をなくすだけではないかと思います。
池田満寿夫さんは、自分の絵は便所のラキガキだって著書に書いてましたが、ラクガキでも想像力があれば芸術になるということでしょう。
岡本太郎さんも「私の描くような絵なら誰でも描ける。想像力さえあれば、岡本太郎を超えることはわけない」と「今日の芸術」に書いてました。

で、クリックすると、全然芸術的でないラキガキがポップアップで出ます(笑)。

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2006.12.09

パッション

この世のおよそあらゆる達成には力と技が必要だ。
スポーツでは力は大事だが、柔道で「柔よく豪を制す」などと言うように、技で力を抑えることもある。ただし、いくら技が優れていてもある程度の力は必要だ。最近は高齢のプロ野球選手も多くなったが、それでも50歳で現役という選手は見ない。

高齢の漫画家も少なくないが、世界的に知られる歴史的な漫画、例えば「鉄腕アトム」や「サイボーグ009」「デビルマン」「セーラームーン」などは、著者が20代の時の作品だ。
詩でも抒情詩を書けるのは20代までと言われ、二十歳前後で代表作を残した詩人も多い。
これが小説や絵画となると、人間的な経験が必要になるのか、高齢の作家が多くなる。とはいえ、作品を作るにはかなりのパワーが必要であるらしく、年を取っても元気でなければならず、そうでない場合は命をすり減らしながらの制作となる。80歳を過ぎても猛烈に制作したピカソが「芸術家の青春は60歳だ」と言って、孫世代の美少女と恋愛を重ねたのも、やはり元気なオッサンであったわけだ(笑)。ちなみに、このことに関してはゲーテも負けない(笑)。

技というものも、ある年齢を超えるとやはり衰えるものだろう。ピアノの歴史的名手ホロヴィッツも80歳で初来日した時の腕前は、冷静に見ればやはりひどいものであったらしい。
手塚治虫氏も、晩年、「アイデアはいくらでもあるが腕がついていかない」と嘆いておられた。
これが絵画となると、やはり精密なものは年を取れば難しいと思うが、ピカソの晩年の作品を見ると、良いのか悪いのかは分からないが、とてもではないが腕前で評価すべきものではないであろう。(ただ、90歳を超えても緻密な美術品を作る作家も見ないわけではない)

力といっても、体力ばかりではなく、情熱といったものが大きいのだろう。考えてみれば、いかに技術や体力があっても情熱がなければ大したことはできない。作家であれば「制作意欲」の源であり、表現せずにはいられない情熱、岡本太郎の言うところでは、「世間に対してどうしても言いたいことがないとだめだ」となるのであろう。
この情熱をいかに持つかは人それぞれであろうが、人間というものにはいかにも大切なものであるらしい・・・と宇宙人モードで終わる(笑)

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ラクガキにも情熱は必要か?(笑)
クリックすると大きなラキガキが(笑)ポップアップで出ます。

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2006.12.08

木綿のハンカチーフ

「木綿のハンカチーフ」という古い歌をご存知の方も多いと思う。
都会に出た青年が、故郷に残した恋人を最初は思い続けるが、やがて忘れていくというものだ。最後に、その恋人だった女性は木綿のハンカチーフを青年にねだる。それで涙をふくだけで身を引きたいという、なんともいじらしいものである。
まあ、いまどきであれば、この女性の立場なら「そう。仕方ないわね。いいわ、好きにしなさいよ。でも、アンタも心苦しいところはあるでしょうから、ヴィトンのバッグ1つでも買ってよ。それでお・わ・り」となると思う(笑)。

ところで、この歌では、女性の方が一方的に忘れられ、彼の方はそれなりにハッピーといった感じである。理不尽と感じる向きもあろう。彼に、忘れられる者の苦しみを教えたくはないだろうか?(笑)
そこで、この歌が登場したのと同じ時期に描かれたのは偶然か、現在でも十分に入手可能な、あしべゆうほさんの漫画「悪魔(デイモス)の花嫁」(池田悦子原作)の中に、この歌と同じ状況のお話があった。
地方の村に住むまだ子供の仲の良い男女がいた。その男の子が女の子に、自分は将来歌手になるつもりで、成功したらお前をお嫁さんにもらうと言う。女の子の方も彼が好きで、歌手になることが実現するかどうかは分からないが、お嫁さんのことは嬉しく思う。
彼は中学校を卒業すると早速東京に出るが、最初は歌手どころではなく、食べるために工場で働くが、最初は彼女に、その辛さなどを手紙に書いて送る。やがて、才能があった彼はオーディションにも受かり、スカウトの目にも留まり、歌手への道が開かれる。
そして、彼は成功し、人気歌手となる。しかし、彼女への手紙は途切れる。まあ、そんなものだ(笑)。
思い余り、彼女は、彼に逢いに行く。サイン会の会場で他のファンと一緒に並び、彼の前に来た時、「あたしよ!」と言う。しかし、彼は彼女に気付きもしない。
落胆し、田舎に帰った彼女は、心が萎えたことから病気になり死んでしまう。
それを不憫に思った彼女の祖母が、デイモス(悪魔)に復讐を頼む。彼に忘れられるものの苦しみを味あわせて欲しいと言う。
彼は交通事故に遭い、頭を打って記憶を亡くす。それで、歌手を引退し、再び工場労働者になる。だが、実は彼は記憶を取り戻していた。それでも彼はそれを隠した。ついこの間まで、自分に声援を送り熱狂したファンが誰も自分を憶えていない現実に耐えるには、記憶喪失を装い続けるしかなかった。彼は、忘れられる苦しみを味わった。
このお話にはオチがある。デイモスに復讐を依頼した祖母は、ことが成った時、デイモスに「約束通り、私の魂を持っていけ」と言うが、デイモスは「そのうちにな。ただし、私が忘れなければ」と言って去る。デイモスは決して「良い悪魔」ではない(笑)。デイモスはこの祖母の復讐を利用し、絶世の美少女、美奈子(女子中学生)に脅しをかけたのだ。「美奈子よ。今は美しいお前もやがて老いる。そうなれば、誰もお前を憶えていない。私の花嫁になれ」である。いやはや、悪魔の口説きはなかなか手が込んでいる(笑)。

最近はそうでもないと思うが、昔はアイドルは使い捨てだった。売れる見込みもないアイドル歌手が次々デビューし、数ヶ月でそのほぼ全てが消えていった。
今では、モーニング娘であれば中学生でも父親を超える収入を得ているが、昔はトップアイドルでも、お小遣い程度(月5万円ならいい方)で、寝る間もないくらいこき使われた。
それでもがんばって、テレビの歌番組やドラマに出演し、コンサートでは沢山のファンが来てくれ、ファンクラブもでき、沢山の入会者ができたとしても、後から新しい人気者が出れば、落ちるのも早い。きのうまで良い会場でコンサートをしていたのが、再びスーパーマーケットで歌うようになり、数人でがんばってくれていたファンクラブも解散する。
あのアグネス・チャンも、売れなくなった時は毎日スーパーで野菜相手に歌って涙を流したこともあるらしい(プロダクションのいやがらせという説もある)。
スポーツの世界でも、病気やケガでプレイできなくなると、余程の選手でない限りクビになる。厳しいものである。
だが、サン・ミュージック社長の相沢秀禎氏の「松田聖子のバランスシート」という本で読んだが、相沢社長は、スターを決してモノ扱いしないと言う。「水戸黄門」の飛猿役で有名な野村将希さんは、1970年に歌手デビューするも、デビュー曲がヒットしただけで後はさっぱりだったが、相沢社長は見捨てず、アメリカにミュージカルの勉強に行かせたとあった。そして成功したが、野村将希さんは、いまでもサン・ミュージック所属である。

相沢社長は書いていたが、人間にはモノと違って心がある。その心をないがしろにしては、やはりうまくいかないのではないかと思う。
野球の読売巨人軍がこれほど落ちぶれたのも、原因がそこにありはしないかと思う。清原や桑田がいらないというなら、それは仕方ない。しかし、功労者たる彼らの心を踏みにじったような扱いはやはり人の道に外れているし、そんな球団が成功するはずがない。

「木綿のハンカチーフ」で、故郷の元恋人を忘れた男も、彼女への愛情がなくなること自体は仕方ないと思う。問題は、元恋人に何らかの心遣いを見せたかどうかだ。歌ではそこまでは書かれていなかったが、彼の運命もそこで決まるように思う。
・・・と、真面目な話だけでは面白くない(笑)。
私は、最後に木綿のハンカチーフをねだった彼女に恐ろしいものを実際は感じた^^;
なんというあてつけがましさ!!
それに、自分からは彼のところに行かずに故郷で待ち続ける怠慢さ!!
それなら、現代流に、ヴィトンのバッグかシャネルのネックレスで手を打つ女性の方が良いかもしれない。彼も、そんな彼女の本性を見抜いていたのかもしれない(う~ん・・・)。

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2006.12.07

画家と絵の関係とは

ココログ(@niftyのブログサービス)が、丸2日もメンテするとは少しも知らず、投稿できませんでした^^;
また、コメント、トラックバックもできなかったようで、この間にコメント、トラックバックいただいた方がいましたら申し訳ありませんでした。

で、二日振りの投稿^^;

インドの聖者が、絵について画家に面白いことを言ってました。

あなたは絵が描かれていくのを見ているだけだ。
あなたは見守るだけで、それ以外は全て起こるのだ。

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で、ラクガキです^^;
二日振りの投稿がこれかい(笑)。

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2006.12.04

イルミネーション

夜歩いていると、イルミネーションを施した家をいくつか見た。
クリスマスが近いことを思い出させるが、それにしても、当然規模は小さいながら素晴らしいイルミネーションばかりだ。
人によっては、大変な費用と手間をかけて豪華かつ芸術的なイルミネーションを自宅に行う方もいるらしい。
何かのテレビ番組で見たが、このようなことを行う人は有望で、これをビジネスに転ずれば成功する可能性が高いという。私もそう思う。好きなものに徹底してこだわり抜き、投資を行ってきたからだ。対して、何かが流行りそうだからといって、ちょっとやってみたところでうまくいくはずがない。
何事も、時間をかけ、費用を投じ続け、こだわり抜いてこそ本物になる。
コーヒーショップをやるにしても、本当にコーヒーが好きで、あきれられるほどコーヒーにこだわり抜いた者のみが成功する。
だが、これもテレビ番組で見たが、「スターウォーズ」が好きでこれのグッズをひたすら収集している方がいた。起きている時間の全てはスターウォーズのために使っていると言っていた。しかし、こういう創造性を発揮しないものは単なる趣味でしかないかもしれない。

本で読んだが、一度も働いたことのないという40歳過ぎの男性が孤独死していたが、部屋からは大量のモーニング娘のポスターが発見されたらしい。
また、ある男性は、干してあった女性の下着を盗んで警察に捕まったが、家宅捜査すると、数千枚という盗んだ女性用下着が発見されたらしい。
もっと創造的なものにこのエネルギーを注いでいれば、何か成果を上げたかもしれない。

何か1つの道を徹底してやりとげることは美しく素晴らしいことであると思う。
他人から見て少々馬鹿げていても、それが本当に好きで、こだわる価値を見出せ、向上してくものであればそれで良いと思う。
そして、案外、そんな人は成功に近いかもしれない。

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2006.12.03

聡明さの謎

朝起き、アニメ「雪の女王」の感動的な27話のDVDを見、絵を1枚一気に描き、明るい日の光を浴びた時、不意に天啓を得た。岡本太郎の爆発であり、ロマン・ロランの太洋感情であり、イェイツのエクスタシーであり、夏目漱石の天賓である。
以下は、別に人に聞かせる意図もないが、忘れないように日記に書いておこうとしたことである。理解すると天才になり、何をやってもうまくいく。こう言うと、必ず「保証するか?」と聞く者がいるが、そんな者は何をやっても絶対に成功しない。

私は謙遜で言うのでなくお馬鹿なので(笑)、「頭が良くなる」という本に興味があり、片っ端から読んだ。おかげさまで、昨今の「脳トレ」が全部馬鹿げたものであることは簡単に分かる。
「頭が良くなる」「能力が上がる」なんて本は履いて捨てるほどあるが、そのほぼ全てが、実際に履いて捨てて欲しいデタラメである。
その中で、中山正和(故人)さんの本が分からないながら印象に残った。中山正和さんのNM法と呼ばれる頭脳開発手法は、IBMなど、米国の一流企業で採用され、成果を上げていると聞くし、中山氏自身も優れた発明家であるらしい。
中山氏が言うには、頭が悪いのは、脳の「イメージ配列」が乱れているからであるらしい。そして、このイメージ配列を乱す原因は「嘘の情報」である。例えば、「水と油は仲が悪いので産油地帯に雨は降らない」(笑)といった嘘を頭にインプットすると馬鹿になる。
この「産油地帯に・・・」の話は、以前は波動、今は水の結晶の本が売れている江本勝氏の本にあるが、このように、現在の日本でも嘘の情報はいくらでも入ってくるので、馬鹿が増えているのである。
ちょっと話がそれた。
中山氏の言うには、頭のイメージ配列をきれいにする極意は、最も短いお経である「般若心経」であるらしい。そして、般若心経の極意はというと、「くよくよしないことですよ」と言う。仏教の教えの重要なものに「妄想するな」というものがあるが、くよくよすると妄想が広がる。妄想とは嘘の情報であるから、ますます頭が悪くなる。妄想する暇があったら、般若心経の最後の部分の呪文を唱えれば良い。この呪文、やれ原語の「ガテーガテー」でないといけないとか言うものがいるが、どっちでもよろしい。気を紛らわせば良いのであるから。
そして、これは中山氏が言ったのではなく、私が言うのだが(笑)、あらゆる呪文に優るのは、自分に「私は誰か?」と問うことである。ちょっと宗教マニアっぽいが(笑)、これは合理的である。要は、つまらない考えを起すのをやめれば良いのであるが、つまらない考えは休むことなく起こるものである。ところで、それらの考えは誰に起こるのかと言うと「私に」である。その私は何かと尋ねることは、考えの首根っこを押さえるようなものであるからだ。「私は誰か?」と問い続けると、覚醒(悟り)に至るそうであるが、それはよく分からない(笑)。
The Magic Story(マジックストーリー)というものがある。アメリカで100年も前に雑誌に載ったそうだが、少し前にようやく翻訳が出た(原文は著作権切れで、Web上で入手できる)。30分もあれば十分に読める短いお話だが、これを読むと、たちどころに幸運に恵まれ、何をやってもうまくいく。失業者であれば仕事が向こうから押し寄せ、お金が必要なら、たちどころにお金持ちになるアイディアが出てくる。なかなか眉唾であるが(笑)、書いてあることは本当だ。これは頭の配列をきれいにする効果のある話であることが分かる。

人間の頭脳には、計り知れない高度なプログラムが組み込まれている。中山氏は、これを宇宙プログラムとか生命と呼び、Xと略した。このXがちゃんと表面に現れれば人間に不可能はない。しかし、頭のイメージ配列が乱れれば、これが歪んだ形でしか現れず、何をやってもうまくいかない。動物には、Xの簡易版である本能が組み込まれているが、動物の頭のイメージ配列はいつもきれいなので、本能に従っていればうまく生きられる。
フロイトは、人間は本能が壊れていると言ったが、本能より高度なXが歪んだ形で現れるのであるから、ほとんど狂気であり、そう解釈するのもやむを得ない。
尚、中山氏によると、頭脳の構造を極めた者が表した究極のものが「法華経」と「正法眼蔵」であるらしい。わが国の偉大な数学者である岡潔氏(故人)は、意味が分からないながら「正法眼蔵」を座右の書としていた。そして、「正法眼蔵」を読み始めて20年経った時、天啓を受け、一瞬でその全てが理解できたという。中山氏も同じ経験をしたらしい。

20061203

昔、NHK教育テレビで「コレクター・ユイ」というアニメがありました。当時は、セーラームーンの影響か、変身シーンではオンナのコの魅力全開でした。
セーラー戦士たちの変身シーンもセクシーでしたが、ユイの変身のフィニッシュでの表情はそれを圧倒していました。それはあきらかにエクスタシを表していました。
中世までの絵画の世界でも、女性の目を半開きで描くと、猥褻と非難されたそうですが、そう言う者が一番いやらしいと思いますね(笑)。
絵をクリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2006.12.02

極意

極意・・・誰しも、自分の目指す道でそれを極めたいと思うだろう。それがなくなったら人生、終わりかもしれない。
しかし、イチローですらバッティングを年々進化させ、新しいやり方に挑戦するのだから、たやすく極意を得たと言うことはできまい。
だがしかし、逆に、極意は先に分かってしまうということもあるかもしれない。

例えば、絵の極意であれば、つまるところ、描かなということと思う。
詩でも小説でも、その極意は、やはり書かないということだろう。
写真の極意であれば、撮らないとなる。

極めたわけではないが、私はコンピュータプログラミングの一応は上級者だが、その極意はやはりプログラミングしないことと言える。

中島敦の短編に「名人伝」というのがある。
弓の名人を志した男が修行を重ね、ついに名人となる。
だが、弓を極めたその男は弓を取らない。
年月は流れ、名人は、どこかで見たことがあるが、それが何か分からないというあるものを見る。それは・・・弓だった。

「沈黙の聖者」ラマナ・マハリシに謁見した者の多くは気付く。沈黙こそ最大の雄弁であることを。

20061202

本日のラクガキ。
ラクガキの極意は・・・なんだろう?(笑)。

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2006.12.01

流行語大賞から考える

予想通り「イナバウアー」が流行語大賞となりましたね(もう1つは「品格」)。ところで、フィギュアスケートで、選手の名前に由来する技は、わずか4つしかありません。アクセル、サルコウ、ビールマン、そしてイナバウアーです。
これが体操競技となると非常に沢山ありますね。私もあまり詳しくはないですが、現在でもよく聞くトカチェフ、マルケロフ、ギンガーなどはかなり昔の男子選手です。
1970年代にアレキサンダー・トカチェフが初めてトカチェフを見せた時は、両手での車輪から、脚を開いて飛びましたが、会場はどよめき、選手達は青ざめたと聞きます。それがいまや、閉脚でやったり、連続でやったり、片手でやったり・・・いや、恐ろしいものです。
ところで、男子でも女子でも、ほとんどあらゆる種目で見られる「月面宙返り(ムーンサルト)」ですが、これは塚原直也選手のお父さんの塚原光雄さんが開発した技で、塚原光雄さんはこの技により鉄棒でオリンピック2連覇しています。では、なぜ「ツカハラ」ではなく「月面宙返り」なのかと言いますと、既に跳馬で「ツカハラ」という技を開発し、名前が使われていて、別の名前をつける必要があったからでしょうね。

私の専門のコンピュータソフトウェアの世界でも、いろいろな人名がついたものがあるのですが、これがなかなか味わい深いです。
Pascal言語は、フランスの数学者・哲学者のブレーズ・パスカルの名前を取りましたが、発明者はスイスの計算機科学者ニクラウス・ヴィルトです(かなりの偏屈おやじです^^;)。
最近、最もよく使われるJava言語は、「ジャバ」と読みますが、インドネシア諸島のジャワ島からきています。ハウスジャワカレーと同じですね(笑)。ちなみにJavaの開発者はジェームズ・ゴスリングです。
人名が付いたプログラミング言語で思い浮かぶのは、世界初のプログラマと言われるエイダ・ラブレイス夫人の名をとったAdaですが、現在はほとんど使われていません。
コンピュータプログラミングのちょっと変わった記述法に逆ポーランド記法というのがあります。数学の計算式の書法の1つであるポーランド記法を計算機向きにしたものですが、考案者のヤン・ウカシェヴィチの名前が難し過ぎたために、祖国の名前が付けられたというものです(笑)。
祖国の名前が付いた技といえば、プロレスを思い出します。アルゼンチン・バックブリーカー(アルゼンチン式背骨折り)という技は、アントニオ・ロッカという往年の名選手が発明した技で、最初は「ロッカ・スペシャル」と言っていたのが、ロッカの祖国の名前に変わってしまいました。ロッカは生まれはイタリアのようです。尚、アントニオ猪木さんの名前は、このアントニオ・ロッカから取ったという説もあります。
対して、シュミット流バックブリーカーのように、発明者ハンス・シュミットの名前を残したものもありますが、概して格闘技の技は発明者の名前が残るのは稀なようです。

ところで、世界一の大富豪ビル・ゲイツは、現在のところ、何かに名前を残してはいないように思います。
私は、彼は大学を作れば良いように思います。スタンフォード氏がそうやって名前を残したようにね。
ゲイツ大学・・・いいですね!(笑)ちなみに彼は、ハーバード中退です。マイクロソフト共同設立者のポール・アレンも、ライバル(?)スティーブ・ジョブズとその相棒だった天才技術者スティーブ・ウォズニアックも、さらにゲイツの強敵ラリー・ヘリスンもみんな大学中退。真に賢い人は中退するのです(?)。

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