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2006.11.08

教育改革雑論

小学生にしろ中学生にしろ、学校教師以外の大人とほとんど接触する機会がないことが異常だ。
学校教師というものは、子供たちにとって最も接する価値のない大人ではないのか?
逆に、社会の中で、モノを作り、販売し、サービスを提供して、その成果で食べている逞しい大人こそ、子供たちが接する意義があるのである。
子供たちが学ぶべき場所は社会である。一般の大人ともっと接しなければ何も学べない。
危ない大人が多いという不安を言う者もあるかもしれないが、学校教師が一番危ないと思う。
当然、女子で言えば、中学生や高校生といえば、人生で最も魅力的な時代であり、成人の男性と交流する機会が増えれば、当然、恋愛が発生する。良いことである。今の女子中高生が精神的にあまりに幼いのは、立派な大人の男性と接しないことも大きいはずだ。全く大人とはいえない学校教師や、場合によってはいかがわしいにーちゃんとしか付き合わない。ここで、本物の大人の男性と接すれば、その逞しさに憧れるのは当然で、学校教師や変なにーちゃんがいかに小さいものであるかが分かり、真の大人の男性と交際することで大人っぽくなるだろう。これは、幸せな人生を築く土台になるし、場合によっては若くしてさっさと結婚すればいい。また、彼女達と同世代の男の子は、大人の男に負けまいとがんばってこそ大人になり、その姿に女の子もまいるのである。そこで、15歳(女)と30歳(男)といったカップル(もっと離れてても何ら問題はない)が普通であると同時に、やはり同世代のカップルも多くなるのである。

男の子でいえば、働く大人やその仕事に興味がないはずがない。学校で無駄にしている金を企業や地域社会に回し、企業や地域社会で実地を踏まえた学習をさせれば良い。興味があれば、子供だって多少厳しくても耐えられるし、何より生きた学習が可能だ。ある程度の能力が付けば、子供にも給料を出せば良い。
昨今の、高校の未履修問題などお笑い種だ。そんなもの履修する必要は全くない。無駄な授業が多いだけの話だ。教師の給料のために設定した履修内容に無理に生徒を付き合わせるなど本末転倒だ。
子供達を社会に参加させ、さらに老人とも交流すべきである。老人が実はいかに有能かも分かってくるし、接すれば得ることも多い。

学校にいかないと無知・無教養になるというとんでもない嘘が問題の元凶だ。学ぶことと学校は何の関係もない。むしろ学校で馬鹿になると考えて間違いないと思うし、それはもうばれつつある。
学校と呼ぶのなら、それをもっとオープンでシンプルなものにすれば良い。そこで教えるのは、自学できるようになるための方法だ。遅くとも14歳にもなれば、自分で勝手に勉強できるはずだし、後は仕事の場で実地で学ぶべきである。もちろん、アインシュタインやベルナー・フォン・ブラウンを目指すなら、高等教育の場があっても良いが、本当に興味ある子供なら誰でも参加できるようにすると共に、親の意向みたいなもので無理にやらせるものではない。

基本は、子供を社会の大人と交流させることだ。これなくして、教育改革はないだろう。

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