« 北海道滝川市の小学6年生女児の自殺事件について | Main | 庖丁 »

2006.10.07

ヒロインの掟

漫画やアニメだろうと映画だろうと、あるいは、小説であろうと、未熟な登場人物たちが失敗や挫折を経験しながら成長する姿が非常に良いものである場合がある。
また、強大な敵を相手に、勇気とチームワークで勝利するものにも勇気を起こさせるものがあると思う(個人的には「勇気をもらう」という言葉は大嫌いであり、あくまで勇気は自分で「起こす」ものと思う)。

しかし、よく考えると、これらが一般的・普遍的なものであるとは必ずしも言えないことに気付く。
それは、アニメの場合が特に顕著と思うが、ヒーロー、ヒロインは美男美女ばかりである。
ヒーローはまだ味で勝負する場合も多いが、ヒロインはほぼ間違いなく美女、美少女である。
苦しみながらも、回りの励ましや協力を得、力強く成長・・・といったところで、彼女達は、誰からも愛されるたぐいまれな美しさという、強力なアドバンテージがある。これらを見て感動するという場合、ヒロインと自分を同一化するものと思うが、冷静に考えると、それは成立しないことが分かる(自信のある方もおられるとは思うが)。

例えば、「天空の城ラピュタ」で、もし、空から降りてきた少女シータが美少女でなかったら、パズーはあそこまで命がけで献身したかというと、それは絶対にないと思う(笑)。
いや、それどころか、地上に彼女が到着した瞬間に、放置はしないまでも、適当な大人にまかせ、パズーは一人で家に帰ったはずだ。オバさんだったら・・・いや、もうやめよう^^;
シータが美少女だったので、パズーは迷わず自分の家に連れて帰り、自分のベッドを与え、シータが目覚めると、楽しませ、食事を用意した。気絶中にシータに手を出さなかったのは褒めてやりたいが(笑)、ドーデの「水車小屋便り」で、川に落ちて戻ってきたお嬢様と過ごした夜に悩ましいものを感じたと素直に告白した主人公殿のように、パズーも眠れなかったに違いない。
そして、あまつさえ、命がけで巨大な悪と戦い、英雄的勝利を得る。まこと、美女は少年を勇者に変えるのである。
ラピュタの王族の娘が美少女でなかったら、世界はムスカのものになっていたかもしれない。ムスカ自体は、シータが美しいかどうかは意に介さなかったようであるし(笑)。
しかし、宮崎駿監督は、この作品を最後に、長く美少女キャラをヒロインにしなかったが、このあたりの葛藤がなかったろうかと思う。

|

« 北海道滝川市の小学6年生女児の自殺事件について | Main | 庖丁 »

Comments

あははは(^0^)

ナルチシズムを投影できる対象で無いと、関係を持ちにくいということでしょうねぇ。

主人公も、それを見る観客も。

Posted by: id | 2006.10.09 01:11 PM

idさん、こんばんは。
笑って下さってありがとうございます(笑)。
をを!鋭い!
それです。そうに違いありません。
現実は厳しい・・・って、現実は幻想の中ですね(笑)。

Posted by: Kay | 2006.10.09 07:54 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference ヒロインの掟:

« 北海道滝川市の小学6年生女児の自殺事件について | Main | 庖丁 »