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2006.09.21

美術教育は算数教育よりずっと悪い

我々は、やたらモノを消費していないだろうか?
際限なく、新しいものを欲しがってはいないだろうか?
販売側の努力ももちろんある。しかし、現状が異常と気付いている者がどのくらいいるだろう?

日本にアメリカから導入された義務教育は、アメリカの政府と大企業の共同制作であり、自分で考えずに指示された通りに働き、大量に消費する人間を学校で作ることが最大目標である。もし仮にそんな意図がなかったとしても、結果としては、政府と大企業にとって、まことに都合の良い人間が量産されている。

では、どうやって、政府や大企業に都合の良い人間を作るか?
つまり、労働者としても消費者としてもある意味頼もしい(笑)人間はどうやって作られるかだ。
(労働者としては管理しやすく、消費者としては宣伝に弱い人間だ)
まずは退屈させることである。生徒に本物の情熱は不要である。もし、仮にそのようなものを持ち始めても大丈夫。授業時間は1時間もなく、すぐに次の科目に「熱意」を持たなければならず、燃えはじめた情熱はすぐに消える。
そして、生徒を決して大人にしない。自分で考えて行動しようものなら、たちまち迫害され、かなり嫌な目にあう。
(規則破りの悪童が英雄的な人間になるのは、この迫害に打ち勝ち、自分で考える権利を放棄しなかったからだ)
生徒は、学校を出ても、指示を出してくれる仮想教師が必要である。その目的を大きく果たしているのがマスコミだ。我々はテレビ放送や活字を疑わずに信じる。どんなアホなことでもである。国民のマインドコントロールなんていとも簡単であるわけである。
この教育された人間の性質をうまく利用しているのが、アマゾンなどのリコメンドサービスだ。
アマゾンで何か買うと、「次はこれを買え」とばかりに、次々と関連商品を紹介する。すると、かなりの確率で売れるのである。
自分で考えることのできる人間は、さほどのモノを必要としない。しかし、想像力も自主性もなければ、モノで満足を得ようとするしかない。そして、いくら手に入れても満たされず、際限なく消費する。

新しい服、靴、バッグ、アクセサリー、CD、DVD、電化製品、車などを次々欲しがる者は、学校教育が成功し、政府と大企業を満足させる人間となったわけだ。
学校の目的が、生徒の能力の開発だなんて夢々思ってはならない。大学を出てすら分数計算ができない者が沢山いるそうだが、これはまだ控えめな暴露だ。
学校の目的は、あくまで生徒を幼稚なままにし、大企業の従順なワーカーや、新しいものをどんどん欲しがる素晴らしい消費者の製造にある。

私が思うに、このように、生徒の情熱や自主性をすみやかに破壊するのに都合の良い授業は、算数や社会科より、あきらかに美術だ。
算数では、解法と解答を教師が勝手に変えることは難しい。
しかし、美術では、何が良いか悪いかは抽象的であり、その価値判断を教師が決めることができる。教師の顔色を伺わないと嫌な目に遭わされるという脅しは十分であるので、価値観を強制しても反発はあまりない。生徒は自分の価値判断を信じることができす、そのようなものは管理者が決めると思い込む。まさに、大企業やマスコミのいいなりになる準備が整う。
子供に、他人の都合で生きるのではなく、自分の考えで人生を送ることを願うなら、学校に行かせない方が良いが(この問題はなかなか難しいので、また今後の話題とする)、少なくとも、美術教育などは絶対に学校にやらせてはならない。もちろん、きわめて低い確率で良い美術教育を受ける可能性もなくはないが、それは、ロシアン・ルーレットでワンピース一着を勝ち取ろうとするようなものである。

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