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2006.08.12

幸福が約束される条件

死んだら、自分のお葬式に来た人に何を言ってもらいたいか?
自分で聞けないものに興味がないという人もいるだろうし、そもそも私などはお葬式に誰か来てくれるのだろうかと思う(^^;
ただ、言って欲しくないものなら、タレントのお葬式でのパフォーマンスとしての弔辞や、子供が亡くなった時の同級生の優等生による、いかにも大人に言わされたような感じのものだ。まあ、私の場合、両方ないとは思うが(笑)。

1つ印象に残った告別式の挨拶がある。
プロレスのジャイアント馬場さんの時のだ。日本武道館のファン葬のだか、東京ドームの引退記念興行(馬場さんの死後に開催)か、あるいはその他かは分からないが、馬場さんの最大のライバルであり親友であったブルーノ・サンマルチノが「君は身体だけでなく、心もジャイアントだった」と言ったらしい。これは、人間に対する最大の褒め言葉と思う。

人間、心が大きければ幸福は9割方約束されると思う。
しかし、問題がある。人間は、根本的に大きな心を持つことは無理があるようにできている。そもそも、「心が大きい」とはどういうことか?小さな利得にこだわらないとか、寛容とか思いつくであろうが、結局のところ、「他人を気に食わなく思わない」ことなのである。「この人間は気に入っているが、あの人間はこういう訳があって気に食わない」ではダメである。
そして、人間は多くの他人は気に食わなく思って当たり前であるし、日本ではその傾向は近年ますます大きくなっている。その訳は、甘やかされて育つからである。実に、甘やかされてきた者ほど、他人を気に食わなく感じるはずだ。
これらのことは、別に私の思い込みではなく、フロイト心理学の初歩である。
人間というのは、幼児期に自己を神様のように全能とみなし、自分が世界で最も重要であると思っている。普通は、しつけや生活経験などから、その思い込みを修正するものであるが、甘やかされすぎたり、何かの問題から逃避し続けると、この幼児的な全能感を強く持ち続ける。例えば、混んだ道で携帯電話の画面を見ながら歩いている者は間違いなくそうなのである。自分は世界で最も重要なので、何をしても許されると確信しているわけだ。当然、猥褻行為、レイプ、歩き煙草なども、やっている本人は全く悪いとは思っていない。特に、宗教教祖や学校教師による信者の女性や女生徒への猥褻行為やレイプには極端にそれが表れているのは、犯罪者のその後の弁を見れば明らかである。どんな弁明も、つまるところ「神に匹敵する俺が気持ちいいのだから問題はないはずだ。ただ、ちょっと、タイミングが悪かったのかな」としか言っていないのである。
そして、自分の重要性を認めず、自分のわがまま勝手な振る舞いを当然のこととして認めない他人は、無礼を働いた者に対する王様以上の怒りを持つのである。
このような幼児性全能感を持つ者の心が広く大きくなることはありえず、一生、自分の心に苦しめられて生きるのである。若いうちはまだいいが、そのまま年を取ると、それは見事に顔つきに表れる。いや、最近は10代でもありありとしている者が多い。気の毒である。

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