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2006.08.16

なぜ愛を神に誓うか?

結婚式に行かれたことがあるだろうか?
いや、結婚式をやったことのある人も少なくはあるまい。それも2度、3度・・・^^;
結婚式のスタイルもいろいろであるが、クリスチャンでもないのに教会であげるおかしなカップルも増えている。あるいは、神式であるのに指輪を交換したりとか、もう何でもありである(笑)。
ところで、その主流となっている教会の結婚式では、神父さんが「神とのとりなし」を勤める。よって、神父さんの「仙道椛子さん、あなたはこの男を愛し、病めるときも健やかなる時も・・・(省略)・・・誓うか?」の質問に「はい」と答えるのは、神様に対しての答えである。
まあ、罰則はないようなので、神様相手の誓いも平気で破られるし、そのような時は「あたしクリスチャンじゃないわ」というのは強いというか、そんな誓いなど思い出しもしないというのが本当のところである(笑)。

ところで、これは岸田秀先生の本を読んで初めて気付いたのだが、この「結婚の誓い」というのは、なんとも奇妙なものである。
「愛し、尊敬し、いたわり」というのを、なぜ神に誓うのか?
それは、相手に直接誓われても信じられないからなのである。それがクリスチャンというものなのだ。
キリスト教2千年の歴史で、西洋人は神を中継したことしか信じないことを叩き込まれている。裁判で「真実を語ることをこの聖書に誓え」とか言われる。「いや、俺は聖書じゃなく、裁判長、アンタに誓うよ」では信じてもらえないのだ。
クリスチャンは、復讐ですら神に誓うのである。

では、日本人はどうか?
残念ながら、クリスチャンと50歩100歩だ。
日本人は「世間に誓う」のである。結婚式では、暗黙のうちに、出席者に対し、夫婦で力を合わせて立派な家庭を作ることを誓うのである。
よって、離婚して出戻ってきた女に対し「世間に顔向けできない」とか言うのである。
西洋では、離婚は女にとってもさして不名誉でもなく、堂々としている。もしとがめるなら、それはあくまで「神の名において」であるが、昨今では神様の権威も落ちているので、さらに離婚しやすくなっているわけである。

結婚式も結婚の誓いも、実は全く不要であることが分かる。そんなものがあるから、かえって人は外面や形式ばかりにとらわれ、真に重要なことをなおざりにする。しかし、こんなことを説いていたら、冠婚葬祭会社に殺される(笑)。葬式だって100害あって1利なしである。
また、キリスト教圏の新興宗教なども、神がゼウスやイエスから別のものに変わるだけで、本質的に違いはない。ミラクルな進化を標榜するサイエントロジーだって同じだ。トム・クルーズは結婚相手が自分と同じサイエントロジーの信者になることを強制する。これはつまり、相手を直接愛しているのではなく、「何か」を経由しないと愛せない、キリスト教2千年の悲しい習性である。

だが、私には分かっている。石のような2千年の眠りが、揺れるゆりかごによって悪夢をもたらしたことを
~「再来 W.B.イェイツ」より~

2千年の眠りとは、言うまでもなく、2千年に渡るキリスト教支配のことである。

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