芸術と猥褻の目的の違い
芸術と猥褻の違いについて、私は以前、「ソフィスティケート(洗練)されているかいないかだ」と書いたことがある。これは、池田満寿夫さんの話を参考にしたものだ。
しかし、もっと明確にすることが可能と分かった。分かってしまえば、「芸術か猥褻か」という疑問自体が奇妙に、あるいは、馬鹿げて思えてくる。
普通は、芸術の目的と猥褻の目的は全然違うものである。芸術の目的は、確かに岡本太郎さんの言うとおり「爆発」であり、イェイツの言う通り「エクスタシ」であるのだが、その意味が一般的には分かりにくいことが問題なのである。逆に言えば、爆発やエクスタシ、あるいは、大洋感情や至高体験を理解すれば、全ての疑問は消える。
池田満寿夫さんにとっては、猥褻の目的と近いところに芸術の目的があったと思う。いや、実際はもともと近いのかもしれない。そのあたりを自然に受け入れていたところが、池田満寿夫さんの天才的なところではないかと思う。
で、猥褻でない絵を描きました(笑)。
絵をクリックすると、大きな絵がポップアップで出ます。
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