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2006.07.31

幻想の未来

「幻想の未来」と聞いて何を思い出すだろうか?
何も思いつかない場合がむしろ一般的と思う(笑)。
我らが岸田秀先生の「幻想の未来」(講談社)を思い出した方は素晴らしい(笑)。岸田先生の「唯幻論」の決定版といえる名著であると私は思う。
岸田先生は当然、フロイトの「ある幻想の未来」のタイトルを借りたのであろうし、それだけに力を入れた本と思うが、フロイトのこの著作は和訳もないのではと思う。
ところで私は、最近アニメ映画が作られた「時をかける少女」の原作者である筒井康隆さんの同名著書も読んだことがある。中学1年でこんなものを読み、人生観が変わってしまった(笑)。

では「死にいたる病」はどうであろう?
「ああ、『新世紀エヴァンゲリオン』でそんなタイトルの回があったな」と思う方はいるかもしれない。私もそのクチだ(笑)。
キルケゴールの著作の題名と知ったのは、私はエヴァを見た後だった^^;

「地獄の季節」は?
もちろん、ランボーの名高い散文詩であるが、私はアニメ「NOIR(ノワール)」の最も好きな回の題名として先に憶えた(笑)。私は、このアニメの大ファンで、DVDは当然全12巻を揃え、繰り返し視聴している。
名作のタイトルは結構使い回されていることが分かる。音楽の世界でもよく見られますね。

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いつか夢で見た、左手を隠す天使を描いてみる。さすがに、夢にカメラは持ち込めないので、絵で描くしかないですね(笑)。
クリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2006.07.30

夜に描く絵

すでに絶版ですが、「朝は夜より賢い」という邱永漢さんの本があります。真理を一言で表した素晴らしいタイトルですね。
夜、深刻な手紙や日記を書き、朝読むとあまりのアホらしさに恥ずかしくなったという経験は誰しもあると思います。
そして、考え事は朝にすることにして、夜はさっさと寝た方が良いとか、勉強は朝にするに限るという話もありますね。
では、絵はどうかと言いますと、やはり夜描く絵はどこか変と思いますが如何ですか^^;

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で、夜に描いた絵です(笑)。

ホント、何描いてるんでしょうーね^^;
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2006.07.29

フロイトと唯幻論に挑戦する

フロイトは、本能の壊れた人間は幻想を作り上げてそれに従って生きていると言ったが、そのあたりを徹底追求して、岸田秀先生が「唯幻論」という大変に素晴らしく、かつ分かりやすくて万能な理論を作ってくれた。
人間の全ては幻想であり、真理などどこにもない。
ただ、人間が飛行機やロケットを安定して飛ばせるところを見ると、自然の法則には真理があり、幻想人間もそれを利用することはできるのかもしれない。
しかし、人間があまり間違えることなく扱えるのは、科学ではなく技術であると思う。科学もまた幻想であり、それがおかしくないものになるには、技術を裏付ける場合であると思う。科学者が案外に実用的な技術に弱いのはそんな理由もあるように思う。スペースシャトルに搭載したカメラや、世界最高の脳手術用顕微鏡を開発する企業で、それらの開発をリードしてきたトップは小学校も出ていないらしい。イツァク・ベントフという、優秀な医療工学エンジニアは幼稚園中退だ(笑)。

B'zのヒット曲「Love Fantom」のエンディングの部分で、女性の美しい声のナレーションが入っている。
「いつも幻を愛している。何も分からずに・・・」

ところで・・・
人間が幻に翻弄されて生きているというお話はよく分かったが、それを言う方々はどうもそれを悲観的に見るばかりであると思うし、これには疑問がある。
こういった疑問は、フロイトも岸田秀先生も感じてはおられなかったと思う。
アニメ「美少女戦士セーラームーン」の第1部の最終話あたりで、セーラーマーキュリーこと亜美が、敵の第1陣を1人で迎え撃つシーンがある・・・って、何の話(笑)。
敵は、亜美の精神的な弱みを突くために、浦和君という少年が傷付いた姿で宙吊りになった姿の幻影を見せる。浦和君は、以前、少しの間、亜美と同じクラスにいたが、どうやら亜美のことが好きらしい。それは亜美も分かっていたようであるが、亜美の方は友だちとして彼を好きなようだ。
亜美は幻影を見せられても、慌てることなく、少し寂しそうに微笑みながら言う。
「私にも幻を見ることができるのね・・・」

これは、フロイトも岸田秀先生もぶっ飛ぶセリフではないかと思う。IQ300の天才少女は精神分析学も唯幻論も超えていた!(笑)
幻を見ることは幸せなことなのだという示唆がある。このあたりは今後追求する価値がある(?)。そして、そのキーワードは芸術であろう(??)。

・余談(全部、余談のようなものですが(笑))
この後、マーキュリーはどうなったか?
実は死ぬのです^^;;
セーラー戦士全員でも互角に戦えるかどうかの4人の相手を1人で迎え撃ち、敵の幻影発生装置の破壊には成功するも、ほぼ無防備な状態で敵の攻撃を受け壮絶な戦死。
(美しい死体ではあった)
その後、ヴィーナス、ジュピター、マーズも死に、全国の良い子達はショックのあまりゴハンも食べられなくなった・・・という話がある。最後に全員復活しましたけどね(笑)。
私としては、子供達に、悪と戦うなんて冗談でも生易しいことでもなく、死ぬこともあることを少しでも教えた方が良いと思いましたけどね^^;

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2006.07.28

世の中を変える?

誰でも、中学生か高校生の頃には、一度は「世の中を変えたい」と思うものと思う。
それ自体は良いも悪いもないが、二十歳を越えたあたりでまだそんなことを考えていたら問題だ。
確実に言えることは、そのような者が仮に世の中を変えることができるとしても、悪い方にしか変えられない。
なぜか・・・と説明する必要もないような気もするが、一応書いてみる(笑)。
「世の中を変える」とは、もう少し正確に言うと、「悪い世の中を良くする」という意味と思われ、それは、「悪い世の中」と「良い自分」が対決することを意味する。
すると、2つの意味で大間違いがあることに気付く。
1つは、自分が世の中より正しい可能性はほぼゼロであること。
もう1つは、世の中と対決して勝つ可能性もゼロであること。

世の中を変える人間は世の中が選ぶし、その前に人々に選ばれるものである。
どんな人間が選ばれるかというと、現代で言うと、少なくとも仕事で誰よりも有能なことが最低条件と思う。その能力が、世の中を変える条件とかなり一致するからだ。

うろ覚えであるが、ジョン・レノンの「レボリューション」という歌が、「世の中を変えたいって? 俺はアンタの頭を変えたいよ」といった意味の歌詞があったと思うが、それはそうであると思う。
マイケル・ジャクソンの「マン・イン・ザ・ミラー」も、「鏡の前の男」から変えるしかないという歌だったと思うが、同じような意味と思う。
ただ、彼ら自身は、自分は世界を変えることができると妄想したのかもしれないと思う。人は自分のことが一番分からないものであり、自分の間違いが最も気付きにくい。
「世の中を変えたい」なんてアホなことを考えずに、養老猛司さん風に言うなら、「身体を使って働け」というのが一番良いし、最も高潔なことであると思う。

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2006.07.27

日本人は狩猟民族だった?

ウェーバーの有名な歌劇「魔弾の射手」をご存知の方は多いだろう。
およそクラシックに弱い私でも大変に聴きやすい。
特に第3幕の「狩人の合唱」ほど勇壮で豪放な歌は他に思い浮かばないほどで、気分を高めたい時はこの歌に限ると私は心得ている。
序曲の「秋の夜半(よわ)」もわが国でも有名で、これだけが独立で扱われることもあり、聴いたことのある方は多いと思うし、好きな人も少なくないと思う。

と、オペラ談義ばかりでは面白くないと言うか、そもそも私は偉そうに語るほども詳しくはない(笑)。
この「狩人の合唱」の中で、獲物を追いつめるため、藪を抜けて沼を渡る様子が描かれており、また、狩の楽しさ、狩の喜びが明るく逞しく歌い上げられているが、大昔から農耕民族である我々日本人にはピンとこない部分もあると思う。
しかし、岡本太郎の「日本の伝統」を読むと、弥生式土器の頃には確かに日本人は農耕民族になったが、縄文式土器は狩猟民族でなければ作ることができない特徴が強烈に表れており、日本人は元々は狩猟民族であったと断言している。本当かどうかは知らないが(笑)。
日本にも、現在に至るまで、マタギといった、山で狩猟をして生きている人々もいるが、その数はかなり減ったということだ。

で、
伝古式狩猟刀白狼4寸両刃
という狩猟刀を購入してみた。
良いぞ。私の中の狩猟民族の血が蘇る(笑)。
手作りナイフであるが、工業生産品のように、スミズミまで完璧な製品と思わない方が良い。もちろん、ブレード(刃)の部分は完璧であるが、ハンドルは金属の留め金の出っ張りをヤスリで研ぐ時は、その一部の木(樫の木)も平気で削ってある(笑)。
やたら硬い鞘から刃を取り出すと、鞘の中から木屑が出る(笑)。
しかし、そんなことは実用性に何の問題もない。狩猟刀は鑑賞用ではない。西洋の短剣などと比べ、デザインも無骨で愛想もない(笑)。
セーラー服で乙女に持たせてみましたが、真剣さがないと似合いませんね。

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2006.07.26

誇り高き愚か者

プライドの高い人が多いですね。昔からなのかどうかは不明ですが、ほとんど異常と思います。
分かりやすく言うと、月給20万円の人が、月給500万円の人と同等の敬意を要求しているようなものです。つまり、自分を25倍に見積もっているわけです。
こういったことは、修行の足りない若い人では有り勝ちなことではあるのですが、修練して自己を知っているはずと思うからか、中高年の方がむしろ異常に多く感じます。

これはつまり、みんな幼児化しているということです。
幼児の頃は、自分は世界の全てであり、全知万能であるという感覚を持ちます。そして、そのまま、5つか6つくらいまでは、自分は世界で最も重要であると認識し、その感覚は生涯に渡って引きずります。ただ、大人になる中で、理をわきまえ、ある程度はそこから離れるのですが、現実逃避を繰り返していると幼児的な万能感に逆戻りすることがよくあります。甘えた人間ほど尊大であるのが一般的であるのは、こんな理由があります。
一見、卑屈に見える人間でも、心の中は全知万能感に満ちています。しかし、自分が弱いことも理解している部分があり、控えめにしているのです。ところが、面白いことに、特に年齢が高い者に多く見られるように感じますが、自分に実力がないという認識がなく、尊大に振舞う者もいます。これがいわゆる「行き着くところ」かもしれません(笑)。

アニメの話ですが(笑)。
「ルパン3世」で、ルパンの相棒、次元大介の前に2人のルパンが現れます。2人はそっくりで、いずれも自分が本物と主張します。困った次元・・・。
やがて、片方のルパンが次元に言います。
「そんなにオレが信じられないなら、オレを撃ってくれ次元!」
次元は迷わず、そう言った方を撃ちます。そっちが偽者でした。
次元は笑って言います。
「本物のルパンはそんなことは言わないさ。『助けてくれ』って泣きわめくはずだ」
幼児性全能感に取り込まれたプライドの高い人間が強いはずはないという製作者のポリシーかもしれません。
本物のプライドとは、危機的状況でも自己の信念を貫けることと思います。

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2006.07.25

スポ根が流行らなくなった訳

昔は、漫画やアニメ、ドラマで、スポ根ものや忍者ものが人気があったらしい。
スポ根や忍者ものの良いところは、「一人でも、努力・修行すれば凄い人間になれる」ことが分かることだと思う。
しかし、それが流行らなくなった。
それはまず、一人の人間が身体を鍛えたって、たかが知れている・・・という一面的には真理であることが認識されてきたことがある。それと、昔と比べ、スポーツで成功するにはお金がかかることが増えてきた。一人で腕立て伏せをして勝負に勝てる時代ではない。

しかし、圧倒的な理由は、自分が努力しなくても力が与えられるというものが主流になってきたことと思う。ただ、これは昔からある。
特にとりえのない少年が、偶然に選ばれて(拉致されて)サイボーグ手術を受け、仲間のサイボーグ達よりたまたま高性能であったためにサイボーグ達のリーダーになる「サイボーグ009」あたりが始まりと思う。
近年のものでも、「新世紀エヴァンゲリオン」で、世界最強のロボット「人型汎用決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン」(ソラで書けた^^;)を操る碇シンジ君も、繊細な心は持つが、特に優秀な少年ではない。
また、セーラームーンは、前世が月のプリンセスであったという必然性はあるにせよ、平凡な女子中学生がしゃべるネコのルナにコンパクトをもらい、それを持って「ムーンプリズムパワー・メイクアップ」と叫べば変身し、ミラクルなパワーを使えるようになった。このパターンは、現在のセーラームーンと言って良いと思える「ふたりはプリキュア」も同じである。

しかし、偶然に力が与えられたかに見えて、必然を感じるものもある。
「ひみつのアッコちゃん」はコンパクトで変身するが、これも努力して得た力ではない。しかし、アッコは小さい頃から鏡が好きで、大事にしていた鏡があったが、それが壊れた時にはお墓まで作った。そしてある夜、アッコのもとに鏡の精からコンタクトがあり、「人に愛された鏡は星になり幸せになる。あなたの鏡も星になれた」ことを感謝して、アッコに魔法のコンパクトをプレゼントしたのだ。
※ちょっと違うかもしれない。尚、原作は全然違う設定だ。
従って、秘密のアッコちゃんを、単に変身願望の象徴とは考えたくない。彼女は自分で、それに値する資格を作ったことになる。
また、殺された東八郎という探偵が、その頭脳をスーパーロボットの電子頭脳に移し換えて復活した「エイトマン」も、東探偵が素晴らしい人間性の持ち主であったからこそ、谷博士はエイトマンに記憶を移したのだと思う。原作で、谷博士は「東探偵の素晴らしい頭脳を、電子パターンに変えてロボットに送るのだ」といった表現をしていた。しかし、1960年代も最初にこんなことを考えた原作者(平井和正氏)は素晴らしい。

これらのように、不意に力を与えられるとしても、それに相応しい人間であることが必要であるということをもっとアピールした作品が増えて欲しい。

余談だが、一番良くないと思うのはポケモンだ。
ゲームから始まったアニメなので仕方のない部分もあるが、ポケモンマスターという栄誉を得るために、自分で戦うのではなく、ポケモンに戦わせるのである。ポケモンは必死にトレーニングをして鍛えるが、ポケモン使いはそれも見てるだけ・・・^^;;
また、ポケモンの力を自分のために使い、それを自分の力のように示す態度は、まさにバイクや車の力を自分の力と勘違いする暴走族と同じでは?(笑)

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2006.07.24

美人の条件?

現在でも、女性は首が長いほど美人と認められる民族がある。それで、女の子は幼い頃から首かせをして育ち、成長するにつれ、外部から見ると、異常ななまでの首の長さになる。
中国では、昔は脚の小さな女性が好まれ、やはり幼い頃から脚の成長を押さえる方法が取られたようである。

ところで、これらのことが始まったきかけというのは、恐ろしく下らないものではないかと思うし、ほぼ断言できる。
ちょっと神秘めいた雰囲気のある男が、女性の絵でも描いていて、首を長く描いたところ自分好みに思えた。そこで、夢に仙人等神秘的な存在が出てきて、首の長い女は特別であると言ったとかデタラメを言ったのが大いに一般に受けて・・・とか、そのレベルであることは間違いない。
男も、幼い頃から、そのようなのが美人だと聞いて育つと、外部からは全く異様な姿にしか見えなくても美的に感じるものである。

そう考えると、我々が現在、常識と考えていることの大半も、実は同じようなものである。
「母の愛は海より深い」「子供は可愛いものである」「小さいことがイケてる顔の条件」等々である。人間は全て洗脳されているし、幻想に従って生きていることが解る。

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2006.07.22

セーラー服

未来から日本の今の時代を考えた時、悲しいまでに愚かなものとして認識されるのがセーラー服ではないだろうか?
これを着用するのは一般的に12歳から18歳の少女だが、これは女性が生涯で最も美しく輝き、タブーを無視して言ってしまえば、性的魅力においても、他の世代と比較にならない。
この美しいが、精神的には頼りなく弱い彼女達に、これほどまでのスキだらけで無防備な服装を強制する異常さが問題にされないことが異常と思う。

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で、絵を描きました。
セーラー服を強制するならナイフを持たせろ。セーラー服は、この状態でナイフが無いようなものだ・・・というポリシーの絵ではありません(笑)。

このナイフは、私が所有する和式狩猟刀「白狼(はくろう)」です。
ただ、技術と精神を訓練しない限り、ナイフは護身用にはなりません。

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2006.07.21

理想の女性像とアニメヒロイン

理想の女性像といった時、絶対に対象にしてはならないのがアニメ(漫画含む)ヒロインである。
人気アニメ「ぴたテン」のヒロイン美紗さんも萌え度が高いと思うが、作者のコゲどんぼさんが語った美紗のキャラクター設定こそ、アニメキャラの本質である。それは、「母にして娘。姉にして妹」である。
これは、男性側に都合良く解釈しないといけない。つまり、「母または姉のような無償の愛と献身。娘または妹のような若さ、愛らしさ、従順さ」である。
女性側から言えば、「母または姉のような支配力、娘または妹のような依頼性と気楽さ」となろう(笑)。
嫌いではないが、萌えキャラとはこのような矛盾の塊である。「カードキャプターさくら」という凄い人気の漫画・アニメがあり、劇場版公開時には、単独行動のお兄さんも沢山来場していたのは、やはり美少女キャラの萌え萌え度が大きいのだが、ヒロインのさくらと、サブヒロインの知世は、小学4年生から始まっている。
だが、私は、彼女達は、小学4年生の身体に、鍛えられた少なくとも28歳の精神と15歳のお色気が封じ込められていると感じた。原作者のCLAMPさん(4人組らしい)は、アニメにおいても「よほどのことがない限りパンツは見せないように」と注文(現実的には司令)を出しているが、これを持って、お色気を封印しているとはちょっと思えない。ほぼ同じ年のワカメちゃんなら、パンツが見えていても全く問題はない。そして、さくら達はパンツは見えなくても、入浴シーン、水着シーンは多いし、スカートのひらっと具合は絶妙である。また、レーザーディスクの初回生産品特典には、着せ替え画セットなどがあり、かなりセクシーなランジェリー姿を披露しているという情報もある(笑)。
尚、現在人気のアニメ「ふたりはプリキュア」シリーズでは、入浴シーンも水着シーンもないことがポリシーである。

ところで、1960年代の人気漫画・アニメ「サイボーグ009」のヒロインである003ことフランソワーズ・アルヌールは非常に興味深い存在である。
現在に比べ海外旅行も少なく、インターネットもない時代でもあり、西洋の若い女性の情報が少ない当時の男性・・・若いお兄さんから中年のおじさんまで、「フランスの女の子はこんなに優しくて可愛いのか」という大誤解を与えた罪なキャラクターである(笑)。
実際、フランソワの雰囲気は特別である。石の森章太郎氏は本当に天才だと思う。コミックスでご確認いただきたいと思う。普段は徹底して優しく、辛い人がいれば一瞬のスキなく手助けをしている。控えめで静かである様子が美しい。しかし有能で手はかからない。ある時点までは強いのであるが、臨界点があり、そこを越すと崩れる。しかし、崩れてもアバレルことはなく(笑)、両手で顔を覆って泣くので、単に可愛さが増すだけである(苦笑)。ジョーに対してはよくヤキモチも焼くが(ジョーはモテる上に女性に優しい)、陰険さはなく、相手の女の子を懲らしめることもない(笑)。しょっちゅうさらわれるのは、昔のヒロインのお約束で、敵のアジトで縛られている様子が愛しい(笑)。
001という赤ん坊をかいがいしく世話する様子がまた良い。ジョーへの想いがバレバレなところも無性に良い(笑)。
当時のボーイ達は、自分も少し大きくなったら、フランス人のガールフレンドをゲットするのだという野望に燃えていただろうが、西洋のガールと知り合う機会などほとんどなく、仮にあったとしても床屋で短時間で仕上げられるイガグリ頭と画一的な服装。そして安物の駄菓子が精一杯のボーヤ達が太刀打ちできるはずもない。
しかし、願いとは叶わないものであることを実感できたとしたら、素晴らしい知恵を得たことになる(笑)。

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2006.07.20

最近、変な人が多い?

ある程度世の中とかが分かってくると、「最近、変な人が増えたな~」なんて思うものと思う。
しかしそれは、「最近の若いものは・・・」という年配者の苦言が、記録にあるだけで数千年前からと言われるのと同じように、いつの時代でも人々が感じていたことであると断言できる。なぜなら、人間自体が根本的に変なものであるからだ。
愛があれば人は素晴らしい・・・なんて古いタカラヅカの歌にあるが、実際は愛があるほど変で壊れるものである。大体、あの「愛、それは甘くう~」という歌そのものが大いに変であろう。
ところで、変な人ほど、他人の変さ加減に敏感である。昔、何かの漫画で、身勝手の極地を体現する不良集団が、盗み、破壊、レイプなど、あらゆる非道な行為を行うが、自分達が危ない目に遭った時に、彼らの一人がこう言う。「お前ら!自分さえ良ければいいのか!?」・・・(笑)作者は何ともよく分かっている人である。
実際に、電車の中で大迷惑行為を働いていた50過ぎに見える男性が、「お前ら!自分だけ良かったらええのんかあ!」と気勢を上げていました(笑)。

実際の話、他人の批判の多い人間にロクなのはいない。
なぜなら、自分が持っている欠点しか、他人の中に認めることができないというのが真実であるからだ。これは例外は絶対にない。
はい。私など、他人の批判を始めたら3時間は止まりませんね(爆)。
ただ、汚職をする官僚のニュースを見たら、「私があの立場なら絶対やるだろうなあ」と素直に認め(羨ましがり?)ますが・・・^^;;

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2006.07.19

銀のナイフ

人が感じる好き嫌いなんて、過去の偶発的な経験に影響されていることが多い。
色、食べ物、服や靴の好み。あるいは、もっと単純にモノそのもの、例えば、サンダルが好きとか、帽子が好きなども同じ理由であろう。
その理由も、「好きな人が持っていた」というものが多いと思う。私に関して言えば、ほとんどそうだ(笑)。

ところで、私はナイフが好きだ。本来は「銀のナイフ」が好きなのだが、ほとんどのナイフは銀色なので、ナイフ一般が好きである(笑)。
その理由も他愛ない。
私は、20世紀の国家的文化遺産と思っているが、萩尾望都さんの漫画に「ポーの一族」がある。1970年代の作品と思うが、国家的文化遺産なので、当然今でも新品を買える(笑)。
この中で、銀色の髪の13歳の美少女メリーベルが、異母兄のオズワルドにナイフを激しくねだるシーンがある。
オズワルドは、メリーベルに銀の細いナイフを与える。
メリーベルは、実の兄エドガーをそのナイフで殺そうとする。愛するユーシスという青年を殺したのはエドガーだと思っていたからだ。
エドガーを刺せずに、逆にメリーベルがエドガーに抱きつくシーンがかなり萌えたというだけでナイフが好きになったわけである。
本当に他愛ないが、人間なんてそんなものではないかと思う(?)。


尚、上記ストーリーの詳細は以下の通り。漫画では、むしろ複雑で分かりにくいかもしれない
メリーベルは、オズワルドの家であるエヴァンス伯爵家の養女になる決意をした。しかし、メリーベルは、オズワルドの弟ユーシスを愛していた。メリーベルとユーシスには血のつながりはなかった。しかし、ユーシスは自殺した。メリーベルは形の上で、ユーシスの妹になる。
22歳の美青年オズワルドも、メリーベルが、父と父の昔の愛人メリーウェザーの娘であることを知らないうちは、メリーベルに心惹かれた(実際は今でも)。だが、どこかひっかかりを感じていた。それは、意識の奥で憶えていた、いつか父の館で見たメリーウェザーの肖像画にメリーベルが似ていたからだ。
メリーベルは、ユーシスへの想いを、ナイフで断ち切ろうとしたのか?
オズワルドは、メリーベルに銀のナイフをあげた。
そして、メリーベルの寝室に、メリーベルの実の兄エドガーが現れる。エドガーは、ずっとメリーベルの近くにいたが、姿は見せなかった。それでもこの時、メリーベルは驚かなかった。エドガーは別れを告げた。メリーベルの身体が震える。エドガーは「早くおやりよ」と言う。メリーベルは銀のナイフでエドガーを刺そうとしていた。メリーベルはエドガーがユーシスを殺したと誤解していた。ユーシス自殺の現場にエドガーがいたせいだ。実は、エドガーはユーシスの自殺を止めようとしたのだ。
しかし、メリーベルのエドガーへの想いが爆発する。幼い頃、エドガーと共に捨てられた時からずっと自分を守ってくれたエドガー。二人がポーツネル男爵に拾われ、しばらく平和に暮らしていたが、なぜかある日、自分は知らないうちにアート男爵家の養女になり、エドガーに逢えなくなってしまった。その間、メリーベルにはエドガーへの想いが募っていた。
二人は手を取り、部屋から去ろうとする。そこへ駆け込むオズワルド。「メリーベル、戻るんだ!そいつは人間じゃない!!」
メリーベルもそれは知っていた。エドガーは17歳のはずが、青年には見えなかった。彼の時は止まっていた。やがてはメリーベルも時を止め、永遠に13歳のまま、明日も美しい銀の髪を風になびかせることになる。

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2006.07.17

11歳だった!!

私には、昔、貿易船で世界を巡っていた叔父がいる。
彼が、イタリアのジェノバ港に停泊し、近くの広場に行くと、黒髪のなんともきれいな女の子が踊っていて、割に沢山の人が見ていた。
ダンスに自信があり伊達男でもあった叔父は、早速、一緒に踊ってくれるよう申し込んだら、彼女は快く応じてくれた。踊っている時の彼女はまぶしく輝き、叔父はめろめろどっきゅーん状態であった(笑)。ここはがんばって、下心一杯の楽しいディナーにお誘いしなければならない(苦笑)。
しかし、しばらく口説き続けた叔父は、自分の間違いに気付き、愕然とした表情で仲間のところに帰ってきた。彼女は・・・11歳だった!!(爆)
しかも、きっちり断られたというおまけ付きである^^;;

経済大国日本の子供は、現在では、発育そのものでは欧米に負けないし、妖しい情報も満載で色気付き加減はむしろ上だ(笑)。しかし、この叔父もそうだが、イタリア、フランス、スペイン、あるいはドイツでも、実際に行って生活してきた人は言うが、これらの国のジュニアは日本のジュニアと比べ、大人っぽく、雰囲気・魅力がまるで違うようである。

20060717

11歳で魅力的な・・・というのを想像して描いたりする(笑)。
クリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2006.07.16

巨大オパールは恐竜の・・・

今日、テレビで、オパールの最大の産出国がオーストラリアと聞いた。高価なものになると、3センチくらいの小さなもので2000万円もするらしい。
ところで私は、極めて珍しいオパールを見たことがある。大変に珍しい化石と共にだが、博物館とかではなく、民間企業の中でだ。どの会社か、書いても別に支障はないとは思うが、念のため伏せる^^;
もちろん、行けば誰でも見せてもらえるわけでもないだろうが、その企業の研究者であったM博士が「恐竜を見るか?」と言うので、「見る」と言って付いて行った。M博士とは、横尾忠則さんの「私と直観と宇宙人」に書かれている「Mさん」と同一人物である。

博物館でも見れないような珍しい化石等が沢山あった。見た目は全く普通の木なのだが、触ると石というのもあった。木の色・形のまま化石化しているのだ。
小型恐竜の化石もあった。古代魚や、古代植物の化石も荘厳だった。
その中で、なんとも不思議な物体を見せられた。直径30センチの球で、半分は糞で、半分がオパールである。動物の糞が、半分オパール化しているのだ。
憶えている感じで絵を描くと、下の絵のようなものだった。直径は30センチである。お値段はいかほどか?(笑)

オパールは1センチの生成に5000万年かかると言われるので、恐竜の糞である可能性もある。巨大恐竜が絶滅したのは、白亜紀末期の6500万年前である。
尚、この会社が化石発掘を行うのは、特に実利を目指しているわけではないらしい。社長に会ったわけではないので、そのポリシーの実際のところは分からないが、一度に数億という発掘費用は社長の一声で出るものらしい。やはり会社名は書けない・・・(^^;

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2006.07.15

きまぐれと偶然

私は美術や芸術にさほど詳しくは無いが、なんとか有名な画家なら、絵を見たら作者が誰か、いくらかは分かるようになった。しかし、それもやはりほんの僅かだ。
好きな芸術家はといえば、まず、岡本太郎と、W.B.イェイツだ。岡本太郎は、日本人なら誰でも知っているだろうが(その割に作品は知られていないかもしれないが)、イェイツとなると、日本ではそれほど有名ではない。画家ではなく、詩人・劇作家で、1923年にはノーベル文学賞を受賞し、「20世紀最大の詩人」とも言われる。ただ、イェイツの父親は肖像画家で、イェイツ自身も画家を目指し、美術学校に行っていたことはあるらしい。そのせいか、彼の文章は非常に情景の描写が細かく、翻訳で見ても美しい表現をしている。「まだらの鳥」に見る、海の上に浮かぶ精霊の少女の幻想的な雰囲気はまさに目に浮かぶようであるし、絶世の美少女マーガレットの美しさの表現は圧巻である。

イェイツは、オカルティストとしても有名で、神秘なものを好み、超自然力を信じていたように思うが、作品の中では、オカルティストの奇妙さや愚かさを揶揄しているような書き方も多いのであるから面白い。
ほとんどの人間は、何らかの権威を認めた思想や文化的洗脳に取り込まれて生きるが、なんとイェイツは自分のバイブルを自分で作ってしまった。それは「ヴィジョン」という奇書にまとめられている。それは、イェイツの個人宗教であり、面白いかもしれないが、他人が読む意味なんてほとんどないと私は思う。ただ、やはりその想像力は魅力的ではある。
このようなやり方は、「全ては幻想」という唯幻論を提唱する岸田秀先生にも予想外のことに違いない(多分・・・)。
ただ、イェイツは、神秘や超自然は、人間の精神の中に存在すると思っていたと思う。それは純粋に個人的なものであり、その芸術的な力により、共同の幻想になることもありうる・・・というのは私の考え方だが(笑)。
イェイツは、ルネサンス最大の想像力の持ち主はダンテであると言う。地獄、煉獄、天国の壮大な世界はダンテの精神の中にあった。その想像力の輝きを受け、絵にしてしまったのが、天才ギュスターヴ・ドレである。

私とイェイツのデアイは奇妙だった。
10年ほど前、全く気まぐれにイェイツの「神秘の薔薇」を買った。当時はイェイツが誰かなんて知らなかった。題名と装丁が気に入ったのだ。
そのまま読まずに、テーブルの上に乗せておいたが、その後で買ったコリン・ウィルソンの「至高体験」をその上に重ねた。ウィルソンは当時、熱を入れ始めたばかりなので、すぐに前書きを読んだ。すると、その中に「イェイツ作品集からの引用を許可してくれたマクミラン社に感謝する」と書かれてあった。
その後、武内直子さんの漫画「美少女戦士セーラームーン」の10巻を重ねた。その中で、転生した幼い土萠(ともえ)ほたるが、うっとりと暗唱していた詩こそ、イエイツの「再来」(再臨とも訳される)であった。この詩は、後にアニメのセーラームーンで土萠ほたる役を演じた皆口裕子さんの声で音読されたもののCDを入手した。ちなみに、私は皆口さんのファンである(声優萌え・・・笑)。尚、漫画では、ほたるはバスタブに浸かりながらイェイツ詩集を読んでいたが、それはやめた方が良い(笑)。
以上、なかなかすごい偶然である・・・。

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2006.07.14

人生の意味って何だ?エド

人は死ぬことが怖いであろうか?
ちょっと対照的な面白い事例を見つけた。
(以前に少し似たことを書いているが、思考継続中なのだ^^;)

1つは、1969年英国TVドラマ「UFO」の中の1話から。
このドラマは日本では1970年に放送され、現在に至るも人気が高く、DVDも発売中である(私はこれで見たのだが)。当時は、日本ではUFO(未確認飛行物体)という言葉が馴染みがなかったので、タイトルも「謎の円盤UFO」という、同じ言葉を繰り返した妙なものになっているようだ。
このドラマは、製作者ジェリー・アンダーソンの主義・主張もかなり反映され、特に深い意味を感じられる発言・行為に関しては、アンダーソンの考え方が現れているのだろうと考えられる。(アンダーソンはむしろ「サンダーバード」の製作者として有名だ)

この中で、若く勇敢なフォスター大佐が、仲間の死を間近に見た時、
「死を恐れたことなどなかったのに。今は・・・(恐ろしい)」
と、ストレイカー司令官に告白する。
ストレイカーも最高司令官としては若く、自ら危険な任務に参加するのであるが、フォスターの輝く若さと比較しての衰えに関しては、シリーズ全体の見所の1つと思われる。
ストレイカー司令官は、
「年のせいだ。年を取ると、命の大切さが身に染みてくる。人生の意味も分かってくる」
と、フォスターの疑問に答える。

もう1つは、岡本太郎が言ったことだ。
岡本太郎は、
「中年を過ぎると、人生に対する意気込みがにぶるものだ。その結果、生命が惜しくなってくる」
と言ったそうだ。※「強く生きる言葉」(イースト・プレス)より


この2つの言葉は、相反するように見える。
しかし、「命の大切さが身に染み、人生の意味が分かってくることによって、人生に対する意気込みがにぶる」とも考えられる。

しばらく考えていたら、私にも浮かんだ。
「人生の意味って何だ?エド・ストレイカー」

最近になって、ようやくおおっぴらに発言できる時代になったのか、養老猛司さんなども「人生に目的なんてない」とよく書いているし、ホリエモンと同時上場し、最近では村上ファンド問題ではマスコミから逃げずの姿勢で男を上げた、ソフトブレーン社長の宋文洲さんも「夢なんて持ったことがない」即ち、人生に敢えて目的がないと言っていた。
我が敬愛する岸田秀さんは「自分には生きる目的はない」と断言する。
そして、岡本太郎さんは昔から、「無目的」といい続けてきているのだ。

年を取って、名誉やら何やらから自分が可愛くなった結果、人生への意気込みが鈍る、すなわち、挑戦心を無くした結果、命が惜しくなる・・・やはりそういう結論になってしまった。
最近の私のメインテーマの1つが見事に解けた。1つの悟りと言えるかもしれない。

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2006.07.13

誰もジダンを責められない?

ジダンの頭突きについては「自制すべきだった」との声もありますが、それは無理かもしれない。
私は、あの見事なヘッドパットを見た時、瞬間にあることが思い浮かびました。それは、アーサー・ケストラーの「ホロン革命」に書かれてあったことです。
ケストラーは科学ジャーナリストですが、科学の造詣の深い思想家と言って間違いがなく、アインシュタインをして「神様より何でも知っている人」と言わせた天才です。ケストラーは、人類の歴史の中で最も重要な出来事は、広島への原爆投下と言います(彼は、この日を起点にして新しい年号を考えたほどだった)。
ケストラーによると、人間の脳には致命的欠陥があり、野蛮な衝動を理性で制御するのは絶対に不可能だとされます。人間の脳には、魚類脳、爬虫類脳、哺乳類脳が厳然として重なって存在し、人間らしい大脳皮質がそれを頼りなく覆っているものらしい。

そういえば、国連の依頼を受け、アインシュタインが最高の賢者と見込んだジクムント・フロイトとアインシュタインが「人類にとって最も重要な問題」について書簡を交わした際、フロイトは、「戦争を無くすことは不可能」と答えていますが、それも人類の心理学的欠陥を知った上でのことと思われます。その欠陥が、ケストラーの言うように、脳の構造そのものに起因するようでは救いようがありません。実際、ケストラーは人類に絶望して自殺しています。
・・・嗚呼、復帰早々、なんとダークなお話(笑)。

確かに、フロイトや我が敬愛する岸田秀先生によると、本能の壊れた人間は、自然な本能に従って生きていけないので、その代わりに幻想を作り上げた。ただ、幻想であるからには頼りなく、不安定で恐怖から逃れられない。
しかし、岡本太郎のように、あるいはイェイツのように、名誉も安らぎも愛情も、さらには命すら危機に晒し、エクスタシを求める生き方を試した人が、その不思議な強さで、幻想に生きる人々の一部に憧憬を起こさせることもある。問題は、ケストラーやフロイトのように、知でもって解決を探しても、あまり人々を救えなかったことだ。いかに天才でも知には限界があるし、ましてや、彼らと比較にならない手前で思考停止する一般人が幻想から逃れられるはずがない。
まあ、芸術の方も、その親玉である宗教同様、あまり良い話は聞かないが、これも宗教同様、権威者に問題があるのかもしれない。そういえば、宗教や芸術の偉い人って、ロクなものではないですね(笑)。

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2006.07.11

ココログメンテナンスのため、丸2日更新できなくなります

このブログのサービスシステムである@niftyのココログが、

11日14:00 ~ 13日14:00 までの48時間

メンテナンスに入りますので、その間、更新ができなくなります。つまり、記事の投稿は行いません。
閲覧、コメントの投稿は通常通り行えるとのことです。
思えば半年以上、たびたび管理画面が恐ろしく遅くなり、1つの投稿に30分以上かかったり、最悪、投稿不能な状況が繰り返されてきました。
大手プロバイダとしては考えられない大失態であり、@niftyの信頼も大きく落ちたということは否定しようがありません。有料ココログユーザーからは返金要求の声も数多く上がっているとのことですが、当然と言えます。
トラブルの原因に関して、@niftyではいろいろな弁明もしているようですが、つまるところ、私が以前にも書いた通り、サービスを提供するキャパシティに対し、設備があまりにプアだったとしか言えません。この異常な見積の誤りは如何に起こったのかが、@nifty内でどう認識・処理され、今後のサービスに生きるかですが、もう次のチャンスはありません。私はNifty Serve時代から同じIDを継続するユーザーですが、他の@niftyユーザー同様、@niftyのサービスを継続利用する理由もメリットも全くありません。他に優良なサービスはいくらでもありますので。

では、皆様、2日間の間、さようなら。@niftyのサービスが見違えるほど生まれ変わることを期待しつつ・・・。

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2006.07.10

ラクウェル・ウェルチのお値段?

最近、サッカー中継を真面目に観戦しているせいか、どうも頭がはっきりしないのですが、この数日の間に、「恐竜100万年」という1966年の英国映画をテレビで見ました。
製作された時期を考えれば、当然「ジェラシックパーク」以降の超リアルな恐竜の映像には及ぶべくもないですが、それでもなかなかがんばっていたと思います。
しかし、それよりも問題は原始人達ですね。「紀元前100万年」のリメイクですから、紀元前100万年なんでしょうが、大型爬虫類が絶滅したのが白亜紀末期と考えられていますので、今から6500万年以上前・・・全然計算が合いません(笑)。
いえ、娯楽映画なのですから、そんな細かいことはいいですが、やはり問題は原始人です。
ルアナという名の金髪美女・・・なんと当時最高のセクシー女優ラクウェル・ウェルチです。およそあらゆる原始的な生活や労働に向きそうもない、くびれた腰とすらりとした四肢、ウェーブのかかった輝くブロンド・・・相当な無理がありますが、あくまで娯楽映画ですので(^^;

昔、あるアラブの大富豪が、米国の伝説的商人であったアーマンド・ハマーこと、通称ドクター・ハマーに、高価な商品をガンガン注文してたらしいのですが、その中に「ラクウェル・ウェルチを送れ」というオーダーがあったそうです(笑)。もちろん、ハマーは丁重にお断りしたそうですが・・・。90歳を過ぎても、自家用ジェットで世界を股にかけてビジネスしたドクター・ハマー(本物のお医者様です)。歴代の米国大統領と旧ソ連最高権力者と親しかった彼は、冷戦終了を見届け、92歳で亡くなりました(1992年)。
彼の自伝「ドクター・ハマー」によると、彼は7歳にして人生の方針を決めたそうです。それは、「自分より優れた人のために少しでも貢献する」だったと思います。最初は医者になると同時に商売で大金持ちになり、ソ連に乗り込んで人々を救おうとしたのですが、フルシチョフ首相に頼まれ、経済的な発展に尽くしたようです。フルシチョフと会った時は、ハマー23歳。「青春は終わった」と宣言した後でした。

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2006.07.09

白い肌の訳

少し前に、マイケル・ジャクソンが来日した時にも感じたのだが、マスコミには彼をゴシップ対象にしたり揶揄することをごく当然と考えているところも多いだろうが、そこまでいかなくてもごく無神経な記事も見る。
例えば、黒い衣装が「白い」素肌を引き立たせていたとか、ファンの「白ーい」という「声援」を面白おかしく記事にしたりとか。
いまだに、マイケルの肌が白いのは、脱色したとか、整形手術の影響と思っている人が多いのには驚く。マイケルの肌が白いのは尋常性白斑という病気のためだと、かなり以前に本人がテレビで言ったのだが、これはどうも定着しない。
尋常性白斑とは、俗にはしろなまず病と呼ばれ、肌の色素が抜けていく病気で、根本的原因はいまだ不明で、確固たる治療法もない。身体の一部に現れる場合もあるが、マイケルのは進行性で全身に及ぶものと思われる。どのくらいの数かは分からないが、日本人にも多くの患者がいる。マイケルもそうらしいが、顔に現れたときにはメークでごまかす必要がある。患者はなかなか大変なのだ。それを思うと、上記のような記事はとても書けないし、笑えないと思うのであるが、これも無知ゆえのことと思う。
この病気の友人がいたり、あるいは自分自身がそうであるなら、こういった記事の残酷さも分かるのであろうが、この病気に限らず、いろいろな病気やその患者の実態をやさしく紹介したり相手の立場に立てる感受性も育てたいものと思う。昨今、やたら人を殴ったり刺したりの記事も見るが、そういうことが出来るのは感受性の不足と思われるのだ。

20060709

本文とは関係ありませんが、絵を描きました。
彼女が手にしているのは、秋田マタギの長の懐小刀(らしい)“コヨリ”です。「木鞘拵コヨリ2寸5分」でググったら見つかると思います。ハンパでなくキレます^^;

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2006.07.08

アミュレット

皆さんは、肌身離さず身に付けていたり、身近に置いて離さないものがあるだろうか?
携帯電話とかは別にして・・・(笑)。
ペンダント、指輪、写真、聖書、仏典、論語、あるいは、その人にとって価値ある本。子供なら、きれいな色のビー玉ということもあるだろう。
クリスタルやフローライト(ほたる石)のような鉱石。レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯、「モナ・リザ」を身近に置いたが、絵や彫刻を非常に大切にしている人もあるだろう。
あるいは、全国を放浪し、仏像を彫りまくった円空上人のように、作品ではなく、それを彫る小刀を持ち歩いたということもある。彫刻はしていなくても、お気に入りのナイフを大事にしている人もいるだろう(持ち歩いたら銃刀法違反だが・・・)。
あの天才画家ダリが、1つの木片を後生大事にしていたという話がある。それがどこかにいって見つからなかった時、ダリはパニックとなり、自分はもうダメだと言ったらしい(笑)。

人はなぜ、このように、何かを特別に思って大事にすることがあるのだろう。
武内直子さんの伝説の人気漫画「美少女戦士セーラームーン」で、雪花石膏の肌をした11歳の美少女ほたるは、それをアミュレットだと言う。アミュレット・・・早い話がお守りである。

ダリもだが、なぜアミュレットが力になるかというと、心が不安定だからだ。心が不安定でない人間などいない。そこがカルト宗教のつけめである。
私は、アミュレットを持つことは悪いことではないと思う。良いアミュレットを持つことだ。ただ、宝飾店に行って、アミュレットになりそうなものを見せてもらったら、つまらないものばかりだった。あんな悪趣味なものを買うくらいなら、天然の水晶や黒曜石、ラピスラジュリ、フルオライト、それに、ピンク水晶・・・などが安く買えるところもあるだろう。五輪書や葉隠をいつも手元において読み返すのも良いことだ。岡潔という著名な数学者は、江戸時代の禅僧として名高い道元禅師の「正法眼蔵」を、全く意味不明のまま20年間も手元に置いていたが、ある時、その全ての内容が一瞬で分かったという。

尚、先程出てきた、美少女ほたる(実はセーラーサターン)は、アミュレットは「人に貸してはいけないし、むやみに人に見せてもいけない」と言ったが、その通りと思う。

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2006.07.06

瞬間睡眠のすヽめ

私の普段の睡眠時間は4~5時間なのだが、一昨日は2時間しか眠れず、ちょっとフラフラしていた。だが、その夜はそのまま徹夜となり、ちょっとマズいかなと思った。
しかし、電車の中で、20分ほど寝たら元気になった。仕事中、居眠りはしないが、極めて短い時間で寝ているような気がする。仕事をこなしながら夢も見ている(笑)。

そういえば、私の知り合いで、横になって寝たことがないという人がいる。彼が、やはり仕事中や読書中に、そういった「瞬間睡眠」をし、それで間に合っているそうだ。
漫画家の藤子・F・不二雄さんも、横になって寝ないとどこかで言っていたように思う。

普段、危ない生活をしている人は昔から横になって寝ないというのはよくあると思う。
数年前、大河ドラマで見た宮本武蔵も座って寝ていた。
また、戦場では、武将はやはり座って寝るらしい。
妖怪人間ベムも座って寝ていたし(笑)、やはり戦う男(女ならなおさら?)は横にならないものらしい。

3時間睡眠のナポレオンは、昼間よく居眠りして落馬したそうだが、まあ、あんな人なら2~3度そんなことがあると「よく」落馬したと言われるだろうから、実際はさほどではないだろうが(当たり前だ)、彼も瞬間睡眠をしていたのではと想像する。

さて、私もついに瞬間睡眠をマスターしたようなので、1日を長く有効に使えるに・・・違いない(?)

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2006.07.05

中田英寿の「自分探し」とは

中田英寿が現役引退を発表したが、そのインパクトの大きさは、改めて中田の偉大さを再認識させた。
当然、惜しむ声も多いが、大方では「中田の美学」と了解しているように思う。中田はそんな選手だった。
私が気になったのは、彼が「自分探しの旅をしたい」と言ったらしいということ。多分、これはマスコミ向けのコメントであり、実際の真意は分からないし、彼も明かさないとは思うが、これが、あながちケムに巻くためのセリフとも思えない部分もある。中田は知的な分、難しい人間だった。彼がサイト(nakata.net)に書いていることや、インタビュー記事を見ても、悩み多い人間であることが分かる。イタリアでもイングランドでも決して順調なばかりではなかったが、きっと裏には我々の知りえないようなことが沢山あり、彼の精神を疲弊させたようにも思える。
ところで、本当に「自分探しの旅」なんてものがしたいなら気の毒だ。探すような自分なんて存在しないからだ。そんなものを探したら、ますます幻想の自分が現れてくるだけだ。

3回のW杯に出場し、20代で現役を終える「王様」中田と、日本プロサッカー界の最大の功労者の1人でありながらW杯にはふられ続け、2010年、43歳でのW杯初出場を目指す「キング」カズ。
カズはおよそ「自分探し」なんて言葉が似合いそうにない。15歳でブラジルに行った時もサッカーをしに行ったのだし、彼はいつでも目の前のことに全力で当たっているように思える。
しかし、中田は考えすぎるように思える。彼は本当にサッカーを楽しんだか少し疑問である。

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2006.07.04

日本人の美しき魂

大正時代、清水善造というテニス選手がいた。
私も詳しくも知らないのに何だが、有名な「やわらかなボール」の話はテレビのドキュメント番組で見て知っている。
1920年、ウインブルドン準決勝で、米国の天才プレーヤーT・チルデンと清水善造が対戦した。試合途中、チルデンが転倒した時、清水はチルデンが打ち返せるようなゆるいボールを返した。清水は1、2セットを連取されながらこの第3セットで粘っていたが、このセットも6-7とリードされていた中でのことである。このセットはなんと11-13までもつれてチルデンのものとなり、清水は破れた。
翌年、デビスカップ杯決勝で再びチルデンと対した清水は、今度は1、2セットを連取、第3セットもついにマッチポイントを握った後、清水のサービスエースで勝負は決したかに見えたが、ネット・ジャッジはネットを宣告。悪びれずにサーブをやり直した清水だが、この判定から試合の流れが変わり、なんと清水はまたも敗れてしまった。
しかし、後に当時のネット・ジャッジだったフオーテスクは、ネットの判定が嘘であったことを告白した。

1984年ロサンゼルスオリンピック、柔道無差別級決勝では、山下康裕選手は準決勝で右足を肉離れを起こしながらも、エジプトのラシュワンに勝利して金メダルを獲得した。
ラシュワンは山下の右足を狙わなかったようだ。この話は、世界的にもだが、特に日本人にはうけた。

これらの話に、素直に感動する人がいれば、むしろ批判的に見る人もいるだろう。私もどちらが良いかは分からないし、実際悩む。

「まほろまてぃっく」という漫画・アニメがあるが、地球人よりはるかに進化した宇宙人セイントの侵略に立ち向かうため、人類は究極の戦闘用アンドロイド「まほろ」を開発したが(美少女型というのは漫画・アニメのお約束だ^^;)、まほろの強さは予想以上で、戦況を変えてしまう。一方、セイントも戦闘用アンドロイドの開発を行い、理論上、戦では無敵の戦闘用アンドロイドであるリューガを生み出す。そして、ついにまほろとリューガは交戦するが、わずか2分あまりでリューガはあっけなく破れる。しかし、後一撃を加えればリューガを破壊できたはずなのに、まほろはそれをせずに去る。リューガは、まほろのその行動の謎を解くために腕を磨き、数々の戦闘で戦い抜き、ついにまほろと互角に戦えるまでになる。

譲り合いというのとは違うだろうが、日本には「武士の情け」とか「謙譲の美徳」というものがあり、強く勝負に執着するはずなのに、勝負より大切な心のあり方を求めるところがある。
ただ、電車のドアがあくと、降りてくる人の間をぬってわれ先に入り込む人を見ると、すでに日本人に美しき心はなくなったとも思う。

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2006.07.02

クリンジーに首ったけ

連日、W杯サッカー「ドイツvsアルセンチン」「イングランドvsポルトガル」をリアル観戦しています。
私はドイツが勝ち進んだことをとても喜んでいます。そのわけは、ユルゲン・クリンスマン独監督をまた見られるからです(笑)。
私は彼のあの爆発的感情表現のとりこになってしまいました。もうクリンスマンに萌え萌えというわけです!(笑)。
アルセンチン戦の後半にクローゼが同点ゴールを決めた時の何度もジャンプして狂喜乱舞して喜ぶ様子や、同点のまま延長戦も終わり、PK戦ではコーチか誰かと(ちょっと存じ上げない人ですが^^;)肩を組んで見守り、GKレーマンが見事グロックすると、肩を組んだ男と気合入りまくりのガッツポーズを連発する姿・・・はっきり言って子供です(爆)。
彼の場合、普段は、ちょっと髪は薄いがシブい良い男なので、ギャップも楽しいですね。
もちろん、どこの監督も、あまりクールでいつも沈着冷静というのは稀で、我らがジーコだってかなりのものですが、クリンスマンのはやはり何か違うと思います。
是非ドイツに優勝していただき、壊れまくるクリンスマンが見たいものです(笑)。

しかし、どの国の監督、スタッフも感情を豊かに表現するのが当然なところを見ると、やはりサッカーってスポーツじゃない。戦争とまでは言いませんが(以前言ってますが^^;)、やはり国と国との戦いなのでしょうね。

1990年イタリアW杯では優勝したドイツのFWだったクリンスマン。いまや、キング・クリンジーと称される英雄ですが、まさに生涯サッカー小僧という面も失わず熱い心を持ち続ける・・・理想の人生と言えるかもしれません。

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2006.07.01

カラダの意識

1週間前、NHK教育TVで「ツバサ・クロニクル」を見ていたが、その中で、サクラ姫が小狼くんの痛む左目にキスをして、小狼くんもだが、サクラ自身が驚く。シャイなサクラ姫がそんなことをするはずがないからだ。
モコナが言う。「いまのは、カラダの記憶がそうさせたんだ。記憶には2つあって、心の記憶と身体の記憶がある。サクラは心の記憶は亡くしたが、身体の記憶は残っているんだ」
(6月24日放送「ふたつのキオク」)

これを聞いて、私はいっせいに沢山のことを思い出した。
1つはプロレスラー前田日明と、マーシャルアーツ全米王者ドン・ナカヤ・ニールセンの試合だ。前田の自伝「パワー・オブ・ドリーム」によると、前田は試合開始早々にニールセンのパンチを受けた後のことは記憶がなく、試合後、空手の師匠である田中を乗せ、車で帰る途中、不意に我を取り戻し、「あれ、俺いま何やってるんだ?」と言って田中を驚かせたとある。そして、自分のその試合のビデオをワクワクしながら見た(憶えていないのだから興味深いはずだ)そうだ。試合は、、ニールセンの素晴らしいキックに苦戦しながら、重いキックで挽回した前田が、最後は見事にニールセンを片逆エビ固めで破った。ニールセンに勝った前田は世界で高く評価され、「格闘王」と呼ばれるようになったのは、この後ではないかと思う。

こういったことは、ラグビーなどの激しいスポーツをやっていた者なら、割に経験のあることらしい。タックルを受けた後の様子がおかしく、「大丈夫か?」と聞かれて、本人も「ああ」とか答えるのだが、実は意識がないといったものだ。

イツァク・ベントフの書いた「ベントフ氏の超意識界探訪」(日本教文社。廃盤と思う)では、ベントフは身体が持っている意識を「デーヴァ(諸天、神)」と呼んでいる。普段の意識を「上位意識」と言うが、デーヴァは「基礎意識」と言い、人間のみでなく、あらゆる動物や植物、惑星でさえ、これを持つという。
ベントフは、幼稚園中退(笑)という華々しい学歴を持つ医療工学の優秀な専門家だ。
ベントフの書いたこの本と、その前の本「超意識の物理学入門」は大変に面白いので、絶版になっていることは残念である。

ジョン・マクドナルドの唯一の著書「マスターの教え」では、この身体の意識のことを「ディーパー・マインド」すなわち、「より深い心」と呼んでいる。

そして、「心身医学の父」ゲオルク・グロデックが、その概念をフロイトに教えた「エス」こそ、身体の意識であり、デーヴァであり、インナー・マインドであるか、何か共通するところの多いものであることは間違いがない。フロイトのエスは、これらに較べると、はるかに限定されたものであるが、それでも神秘的に感じやすい不思議なものである。
仮に、エスが、ベントフの言うデーヴァのようなものであるなら、その驚異な力も分かるような気がする。

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