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2006.06.25

戦争としてのサッカー

ジーコが日本チームに対して感じた本音が印象的だ。
「フォワードが練習中、シュートを外して笑っている」
「控え組の熱意が低い」
日本選手のプロ意識の低さというよりは、日本はやはりサッカー向きではないというだけのことと思う。日本では、闘争心過剰では調和は取れない。
中田はその中で浮いたという面も無くはないが、やはりリーダーシップに欠けるように思う。英語、イタリア語は得意でもコミュニケーションはできないのだろう。1人でアップしているようではだめだ。彼がレギュラーを貼れたのはセリエA最初のペルージャだけ。ここは、もともとが彼中心のチームだった。実力は誰もが認める彼が活躍できないのは、サッカーとは別の問題があると思える。
深夜のドイツ-スェーデン戦は良かった。2-0でリードされ、残り時間が迫る中でもドイツのシュートの雨(試合中30発近く)をかわし続けるスェーデン。戦争では、負けていても必死で戦うものなのだ。

20060624

で、休日に絵を描く(笑)。日曜って、週末?週明け?
クリックすると、大きな絵がポップアップで出ます。

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