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2006.05.28

手塚治虫の呪縛(長文)

手塚治虫・・・日本でこれほど愛される名前も少ないだろう。よって、影響も大きい。
もちろん、マイナスの影響・・・例えば、自分の漫画の収入をつぎ込み、アニメの制作予算をひどく安いものにした影響がいまだにあるが、それでも彼の功績を評価しない理由はない。
しかし、手塚治虫が実際に何を考えていたかは分からないし、実際、あれほど不可思議な人はいないと私は思っている。
まるで、自身からは一切の悪を排除しようとしていたように思える。節税をせず、多くの税金を納めることに意欲的だったり、作品に障害者への偏見を与える箇所があると指摘されると、言い訳をせずにすぐに謝罪した。彼は非常に繊細な精神を持ち、弱い者への同情が強いように思う。そういった性質のためと思えるのだが、それが反動となり、学生時代には戦争敵国である英米人を殺したいと考えていたこともあったようだ(後に誤りを認め、悔いている)。

手塚治虫は文化的洗脳を受けやすい人だったのではないかと思う。
そんな彼が日本人に大きな影響を与えた大きなものに、「家族の情愛」という強固な幻想があると思えてならない。
自身の心が悪に翻弄される恐れの中で、彼は善なる心を求め、それを積極的に掴もうとした中で、人間の愛情をことさら強調したくなったように思え、その最たるものが家族の情愛である。
あの鉄腕アトムにすら、親や兄妹がいる。しかも、両親がスクラップにされようとするところを救い出すといった親子の愛情を描くことを好んだと思う。
はっきり言って異常とは言わないがやり過ぎであると思う。

手塚治虫には「どろろ」というアニメにもなった人気漫画がある。
戦国時代に生きるどろろは、幼い男の子だった(後に女の子であると分かる)。父親は死に、女手一つで必死にどろろを育てる母親は、優しいがか弱い雰囲気に描かれている。
戦況激しく治安も悪い中、庶民に餓死者が多く出るようになったためか、支配者側が庶民のために炊き出しを行い、かゆを恵む場面があった。食べ物の確保に困っていたどろろの母も当然、かゆをもらおうと列に並ぶが、彼女はかゆを入れる器すら持っていない。炊き出しの武将は「入れ物がないならどうしようもないだろう」と一喝するが、どろろの母は、自分の手で器を作り、そこに入れてくれと言う。薪の火でまさに煮えくり返っているおかゆである。「馬鹿なことを言うな。手がただれるぞ!」と言われても「かまいません。どうか・・・」とどろろの母は懇願する。やむなく武将が彼女の手の器にかゆをそそぐが、彼女はおそらくは激痛に耐えているが声も上げずに手の器を保ったまま「ありがとうございます」と言うと、どろろのもとに帰り、彼にかゆを食べさせた。
極寒の夜、薄い布の中で母はどろろを暖めようと彼を抱き、どろろもそれを喜んでいたが、やがてどろろは母が暖かくないことに気付き恐れる。母はすでに息絶えていた。

なんとも泣かせる話である。母の愛の強さを疑わせない迫力。母の愛は海よりも深いわけである。そして、これは文化の暗黙の教えであり、手塚治虫はそれを鮮やかにしたのだ。
しかし、これは悪しきことではないだろうか?
母親の愛情は幻想であり、幻想であるからには、母も子も実際にそれがあると思い込んでいる。
もちろん、お互い強いか弱いかは知らないが、好意というものは持つだろう。人間とは身近で正体の知れた者に情を感じる。学生時代にできた親友が、案外、偶然隣の席にいた子だったり、たまたま一緒のクラスになった人間どうしでの数十年後のクラス会が感慨深いのもそのためだ。
だが、母の思いやりある行為や、子の親を思う行為が、愛情ゆえとされることから巨大な過ちが起こる。

幼い子供を自動車に残してパチンコに興じて数時間フィーバーした母親が車に戻ると子供が高温になった車内で死んでいたり、子供を虐待して殺す両親は後を絶たない。
そんな時、「母親がなんということを!」などと言うが、別に親であることは関係ない。人間として愚かなのである。
実際、自分の子供を憎いわけではないが、子育ての面倒さや、自分の時間がないことを嘆きながら立派に子供を育て上げる人が多いし、実際は誰でも子育ては辛いものだと思っているはずだ。
しかし、愛情云々ではなく、作ったからには自分に頼らないと生きていけない生命を護り育てるのは当然であることは理解できるはずだし、知性や感受性というものが、子供の辛さや痛みを感じ取り、限度以上のものは自分が耐えられないので、時には子供のことで奮闘するのである。
しかし、多くの者が愛情を前提としているから間違いが起こる。子供は、親は自分を無条件に愛していると思って常識外れのわがままを言うし、親もそう思い込んでいるので文句を言えない。しかし、それを積み重ねると抑圧で歪みが大きくなり、いつか破綻する。そんな例はいくらでもある。

小学生の息子が頭痛を母親に訴え、学校を休みたいと思っているが、母親は厳しく「テストが嫌だからそんなこと言ってるんでしょう!さっさと行きなさい」ととりあわない。
うまくいけば、「母の厳しさが自分を強くしました。これこそ母の真の愛情です」となるが、実際は、母親は昼の優雅な時間・・・隠してある極上のケーキを食べながらヨン様のDVDを鑑賞することをガキに邪魔されてたまるかと思っているだけであるかもしれないし、仮にそうであっても仕方が無いと思う。確かに母親のその時間は貴重であるのだ。
そして、母親も、厳しく学校に行かせた自分の愛情に陶酔しながら、ヨン様とケーキを味わうのである。

愛情という偽の仮面を付けることを余儀なくさせるのが文化であり、手塚治虫はそれに大いに貢献したと言える。しかし、幻想たる仮面の自己は抑圧となり、心を歪ませる。
「お母さんは、お父さんとあなたがいない昼間にしか好きなことができないの。あなたも、すきなこと、たとえばゲームや漫画を楽しむことを邪魔されるのは嫌でしょう?お母さんやお父さんだって、まったく同じです。だから、学校を休むのはいいけど、よっぽどのことがない限り邪魔しないでね。そうでなくても、あなたがいると楽しみはかなり減るのよ」と正直に言えば良い。そんな親子の方が、かえってずっと仲は良いのである。
過去、長きに渡り作り上げられてきた親子の情愛の幻想。その真の正体を認識することでかなり幸福になれるはずであり、お互い、真の思いやりも示せるのである。

尚、SF作家の平井和正氏が書いていたことで、私も同意であるが、鉄腕アトムが悪者を強大な暴力でやっつけずにはおかない様はまさに悪鬼外道である。
詳しくは、エイトマンへの鎮魂歌でどうぞ。

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