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2006.05.19

共同幻想論に挫折する

岸田秀さんの唯幻論を極め(?)、フロイトもある程度勉強し、さらに、フロイトにエスの概念を与えたグロデックの翻訳書2冊も丹念に読んだので、次は、岸田秀さんにも唯幻論のヒントを与えたと言われる、吉岡隆明さんの名著の誉れ高い「共同幻想論」に興味が出てくるのが人情である。
で、わくわくとして読みはじめるが、ひょっとして、最初の1ページも理解できない。いや、ちゃんと日本語で書いてあり、読めない漢字もそんなにないのだが(笑)。

理解しにくい本というのはどんなもので、「共同幻想論」はそのどれにあたるか考えてみる。
まず、意味の分からない単語が多い場合がある。これは、年代が古い文学者の場合はかなり多い。吉本氏も、割合に楽な本でも、不意に「デカダンス」なんて言葉を遠慮なく使う。しかも、文学者の言うデカダンスであるから、デカダンス芸術の深い意味合いを念頭に書かれているのかもしれない。そもそも私はデカダンスという言葉自体を知らなかったことを白状する。
次に、1つのセンテンスが非常に長いこと。この場合、文の最初に書かれてある内容から始め、1つ1つのまとまりを記憶し、それぞれのまとまりの関係性を正しく捉えなければ意味が理解できない。このような場合、文章の途中で知らない単語1つ出てきたら一巻の終わりである(笑)。また、1つのまとまりの文章の意味が曖昧で、いろいろに解釈できる場合も、結果としてセンテンス全体が理解不能となる。
また、何らかの知識を前提として書かれている場合も、その知識がなければ完全には、あるいは全く理解できない。偉い人の本になれば、哲学者や思想家の名前が沢山登場するが、名前自体が分からないとなると絶望的と言ってよい。

比較的分かりやすい岸田秀さんの本でも時々(著書によってはかなり)あるのだが、カッコ()やハイフン「-」の中に、ちょっとした解説を書いていることがある。例えば、「フランス女性は香水の香りがきつく(かならずしもそうではないが)、私はむせかえった」というようなもので、このようにカッコ内が短ければ良いのだが、これがかなり長いと、カッコの前に何が書いてあったのか忘れてしまう。カッコは、読者への便宜の場合もあるが、後で茶々を入れられない逃げ道である場合もある。いずれにせよ、カッコの注釈はあまり使わない方が良いと思う。同様に、文章の中の言葉に※印と番号を振り、後のページでその解説を載せるというのも、無いにこしたことはない。その解説を読んでいたら、本文の記憶が消失する可能性が高い(そんなおバカは私くらいか?^^;)。

で、「共同幻想論」には挫折したが、同著者の「家族のゆくえ」(光文社)を読む。家族は、共同幻想論では対幻想と呼ばれるもので、まずはこれに関して、やさしい文章で書いてくれている。
アマゾンで吉本さんの本を検索すると298冊も出てくる。楽そうな本を読んでから、また共同幻想論に戻れば良いかもしれない。
尚、面白いことにWikipedia(Web上のフリー百科事典。英国の権威ある科学雑誌「サイエンス誌」では、ブリタニカと同等の信頼性と発表した)では、吉本隆明さんと岸田秀さんが対談し、吉本さんは、岸田さんの唯言論には対幻想が抜けていることを皮肉たっぷりに指摘したそうだが、岸本さんは意に介さなかったとある。さすが岸田さんとも思うが、いずれにせよ皮肉は言わない方が良い。メリットは何もないと断言できるからだ。

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