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2006.05.31

豊かな日本

今日(正確には昨日)、お昼に喫茶店に行き、注文したコロッケ定食が出てきた時、荘厳な気分になった。
昼間から、こんないいモンが食える。別に、意識的にそう思ったわけではない。
世界人類の3分の1は戦時下に暮らしていることになかなか気付かないが、それが事実である。昼に300円だったコーヒーが夜には3000円になる国も珍しくない。携帯電話どころか、人類の7割以上は、電話を使ったことがない。
最近鼻息の荒い中国では4400万人の女性が行方不明だ。

ある貧しい国で、ボランティアの教師をしていた人が、子供達に弁当を用意して遠足に行ったら、慢性的にひもじい思いをしているはずの子供達が、彼らには大ご馳走の弁当を誰も食べずに持って帰った。こんなにいいものを自分だけが食べるわけにはいかないと、家族のために持って帰るのだ。
日本に生まれたことは、やはりラッキーかもしれない。

20060531

今月最後の絵(?)
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.29

死せる魂の芸術

芥川龍之介の「地獄変・楡盗」(新潮文庫)を買った。
私は長い間、日本文学に興味がなかった。三島も芥川も太宰も自殺し、夏目漱石も若くして神経衰弱にかかり、最後は49歳で病死。なんとも暗い(笑)。

しかし、最近、共同幻想論の吉本隆明氏(詩人、思想化)の本で、彼らが揃って幼少の頃、異常な環境で育ったことが、生涯に渡り影響し、むしろそれを克服しようとする努力が芸術作品となったという話を読み、それもあるかなと思う。
それどころか、唯幻論の岸田秀氏(心理学者)によると、三島由紀夫などは、完全に精神が死んでいたらしい。その説明もたっぷり書いてくれている。いや、芥川も太宰も、似たような状況であったと思える。
そうなると私も興味が沸く。死人の書いた文学は是非読みたい(笑)。
もともと「地獄変」には興味があった。天才絵師良秀が凄惨な体験の中で地獄の絵を描くこの話は、仲代達也氏が良秀を演じた映画があり、これを見た覚えがある。仲代の良秀は良かった。で、DVDが出てないかと思い、アマゾンで検索すると・・・あった!と思ったが、よく見ると、「援助交際撲滅運動 地獄変」(笑)。主演、蒼井そらって、あのAV女優の・・・って、決して詳しいわけではない!(^^;;
だがいま、パウロ・コエーリョの「星の巡礼」を読んでいるところだ。面白くなければ芥川の方を読もうと思ったが、結構面白い。
無意識に三島由紀夫の「葉隠入門」まで買ってしまった。まあいい、読書の夏である(?)。

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2006.05.28

卵が先だった?

私は以前、ニワトリが先か卵が先かで、ニワトリが先と言ったが、英国の遺伝子専門家等が「卵が先」と結論付けたというニュースが話題になっている。
理由は、卵の遺伝子には突然変異が起こるが、親鳥の遺伝子が突然変異を起すことはないからという理由である。
言ってみれば、「ニワトリの卵が先か、ニワトリの親が先か」あるいは「ニワトリは、卵から始まったのか、親鳥から始まったのか?」という問題である。

私はこれまで、「卵が先か、ニワトリが先か?」という命題は、鳥全体に関しての話だと思っており、ニワトリ以外の鳥の存在を考えないものと思っていた。
ニワトリの卵は最もポピュラーなので、ニワトリを鳥類の代表とみなしたのだと・・・。そう思っている方も多いのではないだろうか?
で、一般的にはどうなのだろうと思って調べると、そうではなく他の鳥の存在を前提としたものが多い。

それで言うなら、ニワトリ以外の鳥が産んだ卵が突然変異を起こし、その卵から史上初のニワトリが生まれたという理屈に納得できる。
実をいうと、この論法で「卵が先」というのは、割に常識化されていたようなところはある。それでも結論が出ていないことになっていたのは、突然変異を起した卵が「ニワトリの卵」と言えるかに疑問でもあるのだろうか?

やはりこれまで大論争であった理由は、命題の前提条件を統一していなかったからと思う。その意味では、今後も論争は続くであろう。
いずれにせよ、大事なのは、偉い人が言ったことを無分別に、また、条件などを考慮せずに信じ込むのではなく、自分で考えることが大事と言える。
ところで、私の「ニワトリが先」というのは、「鳥と卵はどっちが先」というものだったが、同じ理屈で言えば、「鳥以外の生物が産んだ卵が突然変異を起して鳥が生まれた」となるので、やはり誤りとなる。ただ、これが科学的に正しいかどうかは分からないが・・・。まあ、1つ応用を効かせた上に、1つ疑問を見つけたことで、私としては収穫があったとする(笑)。大事なのは先に書いたように、自分で考えることだ(苦笑)。

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手塚治虫の呪縛(長文)

手塚治虫・・・日本でこれほど愛される名前も少ないだろう。よって、影響も大きい。
もちろん、マイナスの影響・・・例えば、自分の漫画の収入をつぎ込み、アニメの制作予算をひどく安いものにした影響がいまだにあるが、それでも彼の功績を評価しない理由はない。
しかし、手塚治虫が実際に何を考えていたかは分からないし、実際、あれほど不可思議な人はいないと私は思っている。
まるで、自身からは一切の悪を排除しようとしていたように思える。節税をせず、多くの税金を納めることに意欲的だったり、作品に障害者への偏見を与える箇所があると指摘されると、言い訳をせずにすぐに謝罪した。彼は非常に繊細な精神を持ち、弱い者への同情が強いように思う。そういった性質のためと思えるのだが、それが反動となり、学生時代には戦争敵国である英米人を殺したいと考えていたこともあったようだ(後に誤りを認め、悔いている)。

手塚治虫は文化的洗脳を受けやすい人だったのではないかと思う。
そんな彼が日本人に大きな影響を与えた大きなものに、「家族の情愛」という強固な幻想があると思えてならない。
自身の心が悪に翻弄される恐れの中で、彼は善なる心を求め、それを積極的に掴もうとした中で、人間の愛情をことさら強調したくなったように思え、その最たるものが家族の情愛である。
あの鉄腕アトムにすら、親や兄妹がいる。しかも、両親がスクラップにされようとするところを救い出すといった親子の愛情を描くことを好んだと思う。
はっきり言って異常とは言わないがやり過ぎであると思う。

手塚治虫には「どろろ」というアニメにもなった人気漫画がある。
戦国時代に生きるどろろは、幼い男の子だった(後に女の子であると分かる)。父親は死に、女手一つで必死にどろろを育てる母親は、優しいがか弱い雰囲気に描かれている。
戦況激しく治安も悪い中、庶民に餓死者が多く出るようになったためか、支配者側が庶民のために炊き出しを行い、かゆを恵む場面があった。食べ物の確保に困っていたどろろの母も当然、かゆをもらおうと列に並ぶが、彼女はかゆを入れる器すら持っていない。炊き出しの武将は「入れ物がないならどうしようもないだろう」と一喝するが、どろろの母は、自分の手で器を作り、そこに入れてくれと言う。薪の火でまさに煮えくり返っているおかゆである。「馬鹿なことを言うな。手がただれるぞ!」と言われても「かまいません。どうか・・・」とどろろの母は懇願する。やむなく武将が彼女の手の器にかゆをそそぐが、彼女はおそらくは激痛に耐えているが声も上げずに手の器を保ったまま「ありがとうございます」と言うと、どろろのもとに帰り、彼にかゆを食べさせた。
極寒の夜、薄い布の中で母はどろろを暖めようと彼を抱き、どろろもそれを喜んでいたが、やがてどろろは母が暖かくないことに気付き恐れる。母はすでに息絶えていた。

なんとも泣かせる話である。母の愛の強さを疑わせない迫力。母の愛は海よりも深いわけである。そして、これは文化の暗黙の教えであり、手塚治虫はそれを鮮やかにしたのだ。
しかし、これは悪しきことではないだろうか?
母親の愛情は幻想であり、幻想であるからには、母も子も実際にそれがあると思い込んでいる。
もちろん、お互い強いか弱いかは知らないが、好意というものは持つだろう。人間とは身近で正体の知れた者に情を感じる。学生時代にできた親友が、案外、偶然隣の席にいた子だったり、たまたま一緒のクラスになった人間どうしでの数十年後のクラス会が感慨深いのもそのためだ。
だが、母の思いやりある行為や、子の親を思う行為が、愛情ゆえとされることから巨大な過ちが起こる。

幼い子供を自動車に残してパチンコに興じて数時間フィーバーした母親が車に戻ると子供が高温になった車内で死んでいたり、子供を虐待して殺す両親は後を絶たない。
そんな時、「母親がなんということを!」などと言うが、別に親であることは関係ない。人間として愚かなのである。
実際、自分の子供を憎いわけではないが、子育ての面倒さや、自分の時間がないことを嘆きながら立派に子供を育て上げる人が多いし、実際は誰でも子育ては辛いものだと思っているはずだ。
しかし、愛情云々ではなく、作ったからには自分に頼らないと生きていけない生命を護り育てるのは当然であることは理解できるはずだし、知性や感受性というものが、子供の辛さや痛みを感じ取り、限度以上のものは自分が耐えられないので、時には子供のことで奮闘するのである。
しかし、多くの者が愛情を前提としているから間違いが起こる。子供は、親は自分を無条件に愛していると思って常識外れのわがままを言うし、親もそう思い込んでいるので文句を言えない。しかし、それを積み重ねると抑圧で歪みが大きくなり、いつか破綻する。そんな例はいくらでもある。

小学生の息子が頭痛を母親に訴え、学校を休みたいと思っているが、母親は厳しく「テストが嫌だからそんなこと言ってるんでしょう!さっさと行きなさい」ととりあわない。
うまくいけば、「母の厳しさが自分を強くしました。これこそ母の真の愛情です」となるが、実際は、母親は昼の優雅な時間・・・隠してある極上のケーキを食べながらヨン様のDVDを鑑賞することをガキに邪魔されてたまるかと思っているだけであるかもしれないし、仮にそうであっても仕方が無いと思う。確かに母親のその時間は貴重であるのだ。
そして、母親も、厳しく学校に行かせた自分の愛情に陶酔しながら、ヨン様とケーキを味わうのである。

愛情という偽の仮面を付けることを余儀なくさせるのが文化であり、手塚治虫はそれに大いに貢献したと言える。しかし、幻想たる仮面の自己は抑圧となり、心を歪ませる。
「お母さんは、お父さんとあなたがいない昼間にしか好きなことができないの。あなたも、すきなこと、たとえばゲームや漫画を楽しむことを邪魔されるのは嫌でしょう?お母さんやお父さんだって、まったく同じです。だから、学校を休むのはいいけど、よっぽどのことがない限り邪魔しないでね。そうでなくても、あなたがいると楽しみはかなり減るのよ」と正直に言えば良い。そんな親子の方が、かえってずっと仲は良いのである。
過去、長きに渡り作り上げられてきた親子の情愛の幻想。その真の正体を認識することでかなり幸福になれるはずであり、お互い、真の思いやりも示せるのである。

尚、SF作家の平井和正氏が書いていたことで、私も同意であるが、鉄腕アトムが悪者を強大な暴力でやっつけずにはおかない様はまさに悪鬼外道である。
詳しくは、エイトマンへの鎮魂歌でどうぞ。

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2006.05.27

永遠の少女

私は子供の頃から、死んだ少女のイメージに取り憑かれている。
原型は多分、聖ベルナデッタだ。彼女は、13歳の時、聖母マリアに逢ったと伝えられている。彼女は修道女になるが、1879年に35歳で亡くなった。
その30年後の1909年、宗教上の決まりで彼女の棺は開けられた。腐臭は全くなかった。彼女は亡くなった時のままの状態で、まるで生きているようであったという。今現在ですらそうで、彼女の遺体はフランスのブルゴーニュ地域ヌヴェールにあるヌヴェール修道院に行けば誰でも見ることができる(ただし、皮膚の変色があり、現在はロウのマスクをかけられているらしいが)。

いまや巨匠と言ってよろしいかと思うが、漫画家の萩尾望都さんが1971年に描いた短編に「みつくにの娘」というのがある。
山の中で祖母と2人で暮らすみやという名の15歳(かぞえ年なので、14歳と思える)の少女がいた。父(てて)なし子で、母親は死んでいた。時々そこを訪れる若いきちは、みやに好意を持っていた。きちはみやの祖母にみやを嫁に欲しいと告げるが、祖母が言うには、みやはこのみつくにの山の神にみそめられているからダメだという。しかし、祖母が死に、寂しさに怯えたみやはきちを追う。みやがきちに追いついた時、急につり橋が壊れ、二人は川に落ち、きちは無事だったがみやは死ぬ。きちは、みやの祖母の話は本当かもしれないと思い、みやを川に流す。
時が流れ、すっかり中年になったきちは山で吹雪に遭い、凍った淵に迷い込む。その淵の奥深くに以前と全く変わらぬみやの姿を見つけた。
この作品のイメージも、私の心に深く刻まれた。

そして、いつ、何で見たのかは憶えていないが、白土三平の忍者漫画で、忍者の少年が湖の底深く潜ると、そこに少女の遺体があった。少年は彼女が好きだったと言った。
湖の底は冷たく、少女の遺体は長くその姿を留めたのかもしれない。

そして絵画でいうなら、ポール・ドラローシュの「若き殉教者」だ。
白い衣装をまとい、両手を縛られた死んだ少女が川に浮かんでいる。あおむけの額の上には細いエンジェル・リングが描かれていたが、美しいリングだ。

死んだ少女の姿を鮮やかに描いたものや、その少女が永遠にその姿を留めるというテーマは昔からよくあるように思う。私がそれに取り憑かれたことにも、何らかの意味はあると思う。

20060527

で、上手くはないが、水の底に横たわる少女の絵を描く^^;
クリックすると大きな絵が・・・出ます(笑)。

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2006.05.26

UFOが存在する証拠を英国防省が否定

私は、このブログの4/30日「あの星の空」で、宇宙人が地球に来てはいないことの説明をしたが、最近、英国防省のUFO存在の証拠を否定する資料が、機密指定解除となり公開された。
もちろん、私も英国防省も(別に対等というわけではないが^^;)、UFOが絶対に地球に来ていないと言ってるわけではない。それは証明できない。しかしそれは、10本脚のライオンが存在しないことを証明できないようなもので、存在しないことを証明できないから、10本脚のライオンが存在するということにはならない。それと同じ理屈で、UFOもまず実際には存在しない。そんな証拠は実際には無いのである。
アポロ宇宙船の宇宙飛行士がUFOを見たとかという話はいくらでもあるが、もちろん、そんな事実は実際にはないであろう。
UFOといえば、アダムスキーやマイヤーなどがUFOコンタクティーとして有名であるが、現在では、こんなことは信じられていない。
これについて、『ハインズ博士「超科学」をきる』(化学同人)では、著者のテレンス・ハインズ博士は、「なぜ宇宙人は、もっとしかるべき人間に接触せず、これら奇人変人とばかり接触するのか」とバッサリ切り捨てている(笑)。
また、彼らが撮影したUFOの映像も、専門家にはトリック撮影であることが明白であるらしい。
UFOに関する風説は多く、中にはなんとも真に迫ったものもある。また、米国TVドラマ「Xファイル」では、いかにも「これは実は本当の話なんだよ」と言わんばかりの演出で確かに面白いが、信じてはいけない(笑)。

「アミ小さな宇宙人」(徳間書店)という本をご存知だろうか?
進歩した星から、アミという宇宙人が空飛ぶ円盤に乗って現れ、ペドゥリート少年を他の惑星に案内したりする。表紙の絵は、なんとちびまるこちゃんであり、もちろん、さくらももこさんが描いている。
以前の版では、世界的美術家の横尾忠則さんの絶賛の推薦文があった。
この本では、「これはフィクションとしておくよ」といった思わせぶりな書き方がしてあるが、もちろん、本当の話であるとほのめかしているし、多くの人が実話と思っている。
この手の本は別に珍しくはない。「ミュータントメッセージ」(マルロ・モーガン著 角川文庫)などもそうで、オーストラリアのアボリジニ族が超能力集団であるようなことを書いているが、著者の巧みな演出で、これを実話と受け取った人が世界中に沢山おり、CD-ROMやロボット犬アイボの開発者として名高い日本の技術者も、著書で、この本を実話であるかのように取り上げていた。尚、アボリジニ族からは激しい抗議があったらしいし、そもそもモーガンは、本に書かれた場所など本当に行ったとはとても思えないほど、現地の様子の記述がおかしいらしい。
モーガンが嘘つきかどうかは知らないが、どうせなら、このあたりもきちんと調査を行うべきであり、むしろ仕事の甘さに腹が立つ。詐欺なら詐欺でもっと真面目にやるべきである(?)。

いや、進歩した宇宙人は、スタートレックのようなワープ航法を開発し、数万光年のかなたからでも来れるのだ・・・なんて話もあるかもしれないが、このようなものはあくまで空想上のものである。時間や空間が、我々の一般概念と異なる相対論や量子論の世界もあるが、それはあくまで極大の世界か極小の世界のことである。我々がどうやって、地球の何万倍もの重力に耐えたり、素粒子のように小さくなったりするのであろう。

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2006.05.25

幽霊

夜の帰宅の道で幽霊を見た。
男の老人だった。その場から動かず(動けず?)、左腕をやや持ち上げて地面を見ている。
私の進む方向である。私は特に気にもせず近付いた。
ところが、後10メートルというところで、それはもっと異様なものに変わった。
草で編んだようなマスクを被り、目が隠れている。天狗だろうか?天狗といっても、別に鼻が長い必要はない。美しい立ち姿で、微動だにせず、私の方を向いている。
特に恐くもなく、さらに進むと、それは本来の姿の木になった。

以前、眠っていて目が覚めかけた時、目の前にトカゲがいた。しかし、意識がしっかりするにつれ、それはベッドの横板の一部の、やや細長い木目という正体を明かした(さらにトカゲに変わらないとは言えないが)。
ラマナ・マハリシ(南インド アルナチャラの聖者)がよく言ったそうだ。
「それがロープであるという正しい認識を持てば蛇は消える。蛇という思いが去らない限り、蛇はいる」
最近、私はよく幽霊を見る。これは単にある種の精神状態を示しているのであり、だから何が問題ということではないが(むしろ良い場合もある)、意識が何かを訴えているのだと思う。
ただ、幽霊を追い払うこともわけなくできるようになった(笑)。
マハリシは、「自我は、その中から世界を作り出すという、驚くべき力を持つ。しかし、それは幻である。真我(真の私)が輝くとき、世界は消える」と言った。
誰かが、世界の構成要素について調べる必要はないのかと訪ねると、マハリシは、「台所のゴミを捨てる時に、その構成要素を調べる必要は無い」と言った。世界とは台所のゴミのようなものらしい(笑)。

いずれにせよ、我々が幻想に生きていて、自我が作り出した幻を見ているだけだというのは、疑いもなく事実と思う。問題は、では幻ではない真の実体たるものが存在するかどうかだ。ヴァーノン・ハワードはあると言うが、岸田秀はないという。
マハリシはあると言うし、釈迦はないという。
これについては、こう言って良いと思う。無いと思った方が1000倍も無難だと。

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2006.05.24

四国に行きました

今日は、私としては珍しく日記である^^
実は、四国は高知県土佐清水に行ってきました。良い処です。
昔なら船が必要だったのでしょうが、今は瀬戸大橋があり、完全陸路で四国に渡れます(常識か^^;)。
ひかりレールスターで岡山まで行き、JR特急南風(なんぷう)に乗り換え。グリーン車両には私の他はわずか2人(笑)。最新のレールスターから乗り換えるとさすがに古いですが、そこが列車らしくて趣きがあります。グリーン車の良いところは広いことだけですが、4時間も乗るとなると、やはりこの広さがありがたいですね。
終点の中村に着くと、後はタクシーしかない。ただ、景色が良く、四国の人は交通マナーが良いですので、ナビ付きレンタカーも考えたのですが、あまり寝てないこともあり断念。そもそもレンタカー屋があるのかどうかも疑問です(笑)。
ところで、四国は駅員さんも、タクシーの運転手さんも明るく元気で、とても人情があります。そうなると方言も味がありますね。
タクシーで40分ほど走り、「魚の町、土佐清水」の看板がありました。海が綺麗で魚が美味しいですよ。魚、サカナ、さかなを食べると、性格がよくなる~♪って歌がありますからね(ないって・・・)。
タクシーの窓から美しい海を見ると・・・もう泳いでいるおにいさんがいました(笑)。
私には、高知で漁師をやってる叔父さんがいるのですが、もう鍛え方が違う。真冬でもモモヒキなんてはきません(笑)。
IT技術者にも、こんな田舎に住んで仕事をしている人もいます。在宅勤務の延長ですね。ただ、さすがに人口の少ないところだと、ブロードバンドが来ていない場所もあり、どこでも良いわけではないのですが、高速パケット通信の定額制や高速なPHSがやはり定額制を導入し始めましたので、今後は機会も増えるでしょう。
で、芸術家ってどうなんでしょう。あまり健康的なところでは芸術は必要ないような気もしますが、偏見ってものですかね?(笑)。
慣れない日記でした(笑)。

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2006.05.23

ついでの話

「ついでの話」というものがある。特に大事なことではなく、言っても言わなくてもいいのだが、ちょっと時間が余ったから言っておく程度のものである。
ところが、この「ついでの話」というのが案外良いことがある。立派な先生が力を入れて講義をした話より、「ついでに言っておく」と前置きした話の方をよく憶えているというのは、よくあることだ。
絵画なんかでも、画家が思いの丈(たけ)を込めて描いたわけでもない「ついでの絵」が非常に好ましいものになることもあると思う。違うかもしれないが、ピカソの「ル・ボック」(後にピカソの秘書になるサバルテスの肖像画。ビールの大ジョッキを手にした青年の単純な絵である)なんてそんな絵と思う。

「正法眼蔵随聞記」というものがある。弟子の懐奘が、道元の言葉を綴ったものだ。道元には「正法眼蔵」という素晴らしい著書がある。しかし、これは非常に難解で、たとえ解説がついていても、その解説が適切かどうかも分からない。
だが、この「正法眼蔵随聞記」(略して「随聞記」ということもある)は割合に易しい。易しいだけではなく、素晴らしい。そして、仏教学者のひろさちやさんによると、この随聞記は、ほとんどが道元が弟子に言ったついでの話であるらしい。

我々でも、「ついでに読んだ本」「ついでにやった訓練」「ついでに考えたこと」が案外役に立つことがあると思う。ついでに雇った社員が大きな功績を残すこともある。あまり見返りを期待しない態度というものが案外良いのかもしれない。

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2006.05.21

自分でできる性格診断決定版

自分の性格(精神性)の欠点は、自分では全く分からないもので、誰かに指摘されない限り気付きません。確かに、あなたの性格の欠点を指摘する人の判断が公平かどうかという問題はありますが、それでも自分で判断するより100倍もマシです。
もし、正確な判断者があなたの性格の欠点を指摘すると、あなたは激怒したり、笑い飛ばしたり、驚いたり、判断した者の能力の無さを哀れみさえします。

ところで、私は自分の性格の欠点を自分で知ることは以下の2つで可能と思います。
1つはずばり友達の数です。もちろん、一緒にコンビニ強盗をするような「おともだち」ではなく、本音に近いところで付き合える人間です。友達が少ない人はやはり性格に欠点が多いです。
もう1つあります。友達の数では、具体的欠点は分かりません。しかし、この方法はそれも分かる、より優れた方法です。
あなたの周りには、性格の悪いやつが相当数いると思います。こう言われてうなづいた方は、かなり性格が悪いです(笑)。
同じ学校や職場でなくても、たまたま入った喫茶店や電車やネット(笑)の中にも、我慢できないやつがいるかもしれません。その我慢できない性質・・・それがズバリあなたの具体的欠点です。「そういうこともあるだろうけど」ではなく、例外なくそうなのです。

ところで、あらゆる性格の欠点は、その根本は幼児性です。幼児の頃の、自分が世界で最も重要であるという感覚の残像。それが強ければ強いほど、あらゆる性格の欠点が発生します。
・・・多分(笑)。

20060521

久々のラクガキです。
クリックすると、大きな絵がポップアップで出ます。

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2006.05.20

引っ込み思案の生き方

著名な詩人、思想家である吉本隆明氏によると、引きこもりというか、引っ込み思案の性格というのはごく幼い頃に作られ、根本的には修復できないらしい。
で、引っ込み思案の性格の者の取るべき道は2つで、1つは、努力で克服することであり、もう1つはその性格を受け入れ、引っ込み思案に徹し、それでもできる仕事をやることだ。
いずれの場合もリスクはある。努力の道は精神を抑圧して悪しき影響をもたらす恐れがある。引っ込み思案に徹しても、それでうまくいけば良いが、下手をすれば一生引きこもりにならないともいえない。
ではここで、ここで引っ込み思案についてよく考えてみる。
8つか9つまでの頃は、顔見知りであれば相手が大人であっても屈託なく接し、好ましい相手とみればさらに積極的に付き合おうとする。たとえば、隣の家の優しいお兄さんやおじさんの顔を見ると一緒に遊ぼうとするといったものである。あえてお兄さんやおじさんと男性をあげたのは、普通は女性よりは親しみにくいので、その子供がいかに恐れや不安がないかが分かるからだ。
しかし、ある年齢(12歳位)になると、小さい頃は極めて親しくしていたそれらの大人に対し、妙によそよそしくなり、敬語を使ったりはいいが、顔をあわせないようになったりすることもある。これは男女の別なく、そうなることが多い。この年頃は一般に大人への抵抗が強い。それがいつまで続くかというと、人それぞれであり、その傾向がいつまでも続くと引きこもりになる場合もある。
なぜ小学校高学年から高校生くらいまでを中心にそうなるかというと、やはりものごとの理解が進む中で、自分に力がないことが実感され、自信が無い状態なのではないかと思う。
そして、それはある程度健全と思う。この時期に妙な自信があるのは、ものを知らな過ぎるからであり、いわゆるちやほやされ過ぎた結果と思う。
学生が何か自信を持つとしたら、スポーツで良い戦績を上げたり、勉強で優秀な成績を取るかだが、これらは本質的な自信はもたらさない。自信というのは、やはり社会的な力を得ること、すなわち、仕事ができるようになるしかないが、仕事というのは勉強や訓練だけで、さほどできるようにはならない。上司やお客さんに怒られることによって初めて理解できることを積み上げないと一人前の社会人になることはできない。
また、特に少女の場合は、この時期(12~18歳)は外見的には人生で一番美しい頃であるから、ひときわ美しく生まれた者がその性的魅力で自信を持つこともありうるが、これも本当の実力ではないのでもろい自信である。魅力があるのは外面だけであるのでかえって辛いことにもなる。そういう少女はやり方が分かっている者には騙しやすい。

結論は何ということは言えないが、とにかく私は、中高校生の頃の自信喪失感や劣等感は大変に良いことであると思う。要は、それに囚われてしまわないようにすれば良いのだと思う。それには、劣等感の正反対の感情であり、全ての人間があきれるほど強く持っている全能感(自分は神のごときものであると思うこと)をコントロールする能力が必要である。人間の感情なんて、反対の想いが強いほど激しいからだ。
自信を得ようとして、自信をもたらす暗示を行うのは正反対の効果となるのはあきらかだ。
「私は特別なオンリーワンだ」などと、どこかの歌のように思っていると実際にはそうでないという現実を思い知らされ、現実逃避するようになるものだと思う。
自分は凄いなんて思わなくていいが、自分はダメだと思う必要もない。これだけのことと思う。
それと、こういったことでの芸術の効用とは何かいうことをまた考えてみようと思う(何もないかもしれないが)。

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2006.05.19

共同幻想論に挫折する

岸田秀さんの唯幻論を極め(?)、フロイトもある程度勉強し、さらに、フロイトにエスの概念を与えたグロデックの翻訳書2冊も丹念に読んだので、次は、岸田秀さんにも唯幻論のヒントを与えたと言われる、吉岡隆明さんの名著の誉れ高い「共同幻想論」に興味が出てくるのが人情である。
で、わくわくとして読みはじめるが、ひょっとして、最初の1ページも理解できない。いや、ちゃんと日本語で書いてあり、読めない漢字もそんなにないのだが(笑)。

理解しにくい本というのはどんなもので、「共同幻想論」はそのどれにあたるか考えてみる。
まず、意味の分からない単語が多い場合がある。これは、年代が古い文学者の場合はかなり多い。吉本氏も、割合に楽な本でも、不意に「デカダンス」なんて言葉を遠慮なく使う。しかも、文学者の言うデカダンスであるから、デカダンス芸術の深い意味合いを念頭に書かれているのかもしれない。そもそも私はデカダンスという言葉自体を知らなかったことを白状する。
次に、1つのセンテンスが非常に長いこと。この場合、文の最初に書かれてある内容から始め、1つ1つのまとまりを記憶し、それぞれのまとまりの関係性を正しく捉えなければ意味が理解できない。このような場合、文章の途中で知らない単語1つ出てきたら一巻の終わりである(笑)。また、1つのまとまりの文章の意味が曖昧で、いろいろに解釈できる場合も、結果としてセンテンス全体が理解不能となる。
また、何らかの知識を前提として書かれている場合も、その知識がなければ完全には、あるいは全く理解できない。偉い人の本になれば、哲学者や思想家の名前が沢山登場するが、名前自体が分からないとなると絶望的と言ってよい。

比較的分かりやすい岸田秀さんの本でも時々(著書によってはかなり)あるのだが、カッコ()やハイフン「-」の中に、ちょっとした解説を書いていることがある。例えば、「フランス女性は香水の香りがきつく(かならずしもそうではないが)、私はむせかえった」というようなもので、このようにカッコ内が短ければ良いのだが、これがかなり長いと、カッコの前に何が書いてあったのか忘れてしまう。カッコは、読者への便宜の場合もあるが、後で茶々を入れられない逃げ道である場合もある。いずれにせよ、カッコの注釈はあまり使わない方が良いと思う。同様に、文章の中の言葉に※印と番号を振り、後のページでその解説を載せるというのも、無いにこしたことはない。その解説を読んでいたら、本文の記憶が消失する可能性が高い(そんなおバカは私くらいか?^^;)。

で、「共同幻想論」には挫折したが、同著者の「家族のゆくえ」(光文社)を読む。家族は、共同幻想論では対幻想と呼ばれるもので、まずはこれに関して、やさしい文章で書いてくれている。
アマゾンで吉本さんの本を検索すると298冊も出てくる。楽そうな本を読んでから、また共同幻想論に戻れば良いかもしれない。
尚、面白いことにWikipedia(Web上のフリー百科事典。英国の権威ある科学雑誌「サイエンス誌」では、ブリタニカと同等の信頼性と発表した)では、吉本隆明さんと岸田秀さんが対談し、吉本さんは、岸田さんの唯言論には対幻想が抜けていることを皮肉たっぷりに指摘したそうだが、岸本さんは意に介さなかったとある。さすが岸田さんとも思うが、いずれにせよ皮肉は言わない方が良い。メリットは何もないと断言できるからだ。

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2006.05.18

禊(みそぎ)とは、神事などを行うにあたって身を清めるものと思うが、根本的には身体を含むその者の存在全体を清めるものと思う。
キリスト教の洗礼は生涯一度であるので、形式は別としても(禊は1人で行う場合が多いが、洗礼は誰かにしてもらう必要がある)、同じに扱われることはないが、似た部分もあると思う。
洗礼や禊の絵はよくあると思うが、いずれも清浄な雰囲気のものが多いと思う。

ところで、禊をするということは、穢れているからであり、本質的に人間は穢れていることになる。さらに、高僧や聖なる巫女でも特別な神事にあたっては禊をするのであり、これらの者でさえ穢れはあることになる。
では、穢れとは何であろう?
これがまた摩訶不思議な概念ではあるまいか?
大相撲で、行事のために女性大臣が土俵に立つ企画があったらしいが、聖なる土俵は女人禁制であるとして断られた。仮に、年かさのいった大臣でなく、12歳の清純可憐、純情無垢な少女でも良いわけではないと思う。
かと思えば、男子禁制の場も多く、こちらは男とは穢れた存在として扱われる。
動物を殺すことから、肉食をする者が穢れているかというと、キリスト教では新約聖書の中で、全ての食べものは清いとイエスによって保証されている。しかし、当然のように肉食、あるいは、特定の動物の肉食を禁ずる宗教もあり、飲酒に関しても宗教によっていろいろである。

そこで、このような形式ではなく、人間の欲求としての禊を考えてみる。
日本では、戦場で武士が花を生けるということがあった。いざ戦闘の中では多くの武士は勇猛果敢に戦っても、戦い終わり我を取り戻すと、荒ぶった自分を嫌悪し、禊によって心を清めたいと思うものらしい。
武士とは、「武士道」(新渡戸稲造)にもあるように、本来的には模範となる人を目指し、常に心身を練磨するものである。だが、戦いの道は必ずしも人としての理想に叶うものとはいえない。そこで禊を行いたくなる。
では、禊はどのように行うか?
私は、決まった形など必要ないと思う。
ジャンヌ・ダルクは、戦闘の後、味方のみならず、敵兵の死者のためにも涙を流して祈ったことが伝えられているが、これも禊と言えるのだろうと思う。
一般の人の中にも、人知れず禊のようなことを行う者もいる。たとえば、昼食を抜いたり、好物をわざと避けるなどを、願掛けのような見返りの心無く行うものである。
なぜかは分からぬが、何か良いものであると私は思う。

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2006.05.17

私がエビちゃんに恐怖する訳

私は、エビちゃんことモデルの蛯原友里さんと女優の加藤あいさんに抵抗がある。
ほとんど恐怖に近い嫌悪感がある。
まあ、こんなところにこそ自己分析の鍵があるので、真面目に考えるべきであろう(笑)。
特に蛯原さんは、若い女の子の憧れの的らしいが、案外、私のような感情を持つ人は少なく無いと思う。
まず、この二人の表情のバリエーションは少ない。特徴的な顔は、蛯原さんは相手を見据えた自信に満ちた表情と思う。加藤さんはこれほど強い感じはないが、やはり視線を相手に固定する。加藤さんもモデル出身らしいが、モデルらしい表情と言えるかもしれない。しかし、全てにおいてこの表情や視線を使うとおかしなことになる。
モデルの表情は否定を許さない。つまり、彼女達は、いつでも無条件の肯定を前提としている。

彼女達ほどではないが、やはり同じ感覚で抵抗を感じたことがあるのが、今井美樹さんと浜崎あゆみさんだ。
この二人もモデルの経験がある点は同じと思うが、表情の種類が少なく、無条件の肯定を前提としたものであるところは同じだ。今井美樹さんは、ふわっと笑うし、相手を見据えないので柔らかさを感じるが、案外、こちらの方が高等テクニックかもしれない。
浜崎あゆみさんの場合は、もし彼女が歌手でなければ蛯原さん以上だ。しかし、彼女の場合は「文句があるなら私の歌を聴いて」という自信と考えれば、まだ納得はいく(尚、私は彼女の歌にも抵抗がある。実力は認識できるが)。

少し見えてきた。彼女達を良いと思うなら、思考を止めないといけないのだ。蛯原さんのきっと見据えた目は「考えちゃダメ!私の言うとおりで間違いないの!」と言ってるし、加藤さんの目は「考えなくていいのよ。いいでしょ、ほら?」という一方的通達だ。
価値の否定を認めない張り付いた笑顔・・・これはミッキーマウスだ。ミッキーは可愛い、素敵、誰もが逢いたいということは絶対であり、否定などありうるはずがないという強烈な押し付け。笑顔の仮面の下は恐ろしいものがあるなんて絶対疑ってはいけない、考えてはいけないと、自発的思考を禁止する恐怖。

しかし、人間はできれば自分で考えたくないのだ。そのような人間に、羨望の的になるべきイメージをまとったカリスマが「考えずに私のように。それであなたは間違いない」と自信に溢れた笑顔で、そして、さりげなく脅しながらささやいているのだ。
そりゃ人間は、どこまでも深く考え、下手して人間の頭脳の限界を超えると・・・どうなるかは分からないが、あまり良いことはないと思う。しかし、10歳以下のレベルで思考停止することも、本人のためにも世の中のためにもならないに違いない。

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2006.05.16

冷たい手の女

手が冷たい女性は心が暖かいとか言いますが、どうでしょう?
女性の手が冷たくなるのは、「暖めて欲しい」というサインという説がありますが、実は決してお軽い方が言ったのではありません。「心身医学の父」ゲオルク・クロデックが医者としての観察力から確信したことと思われます。
さらに、手が冷たい女性は、その手がじとっとしているものです。さらに冷たいわけです。
それでも、その手を暖めてくれる男性なら、本当に彼女を求めていると考えて良いのだそうな・・・。

相変わらず、ニフティのココログ(ニフティのブログサービスの名称)のシステムの具合が悪く、夜中に投稿しにくい状況が続いています。
しかし、ココログの不具合、長いですね。午後10時頃になると、管理操作は恐ろしく重く、反応は遅くなります。
これは、なんだかんだ言って、設備の規模が利用状況にあっていないだけじゃないかと思います。必要な金をかけてないと思いますね。いずれにせよ、大手ISPとは思えない失態と言ってよく、最低限のサービスをしていないことから、SLA(Service Level Agreement 最低限の品質の保証に対する料金の返還)を自主的に申し出るべきでしょう。
だいたい、ニフティはブログについて何か勘違いしているようです。有名人のブログの勧誘に熱心で、それの宣伝を派手にやってますが、ブログに有名人は関係ないですね。ましてや、アイドルの中味のないブログって、アイドルマニアでない人にまで宣伝してどうなるのと思います。

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2006.05.15

危ない人

昔から、私が「この人間ちょっとおかしいぞ」と思うと、その人が病気になったり、大怪我をするのをよく見た。
いまでは、大変な病気をかかえていたり、しょっちゅう体調を崩したり、あり得ないようなケガをする者をよく見ると、「やっぱりな」と必ず思う。
で、最近、「心身医学の父」グロデックの本を熱心に何度も読み、その謎が解けてきたように思う。

「おかしい」とは言っても、必ずしも悪い意味ではない。交通事故で死んだ友人がいるのだが、素晴らしい人だった。しかし、やはり「おかしな」ところがあったのは否定できない。
「おかしい」とは、精神に抑圧があることなのだと思う。つまり、自分では認めたくなくて、その思いを押さえつけることである。例えば、友人の彼(彼女)が好きで、奪いたいと思う心を押さえ付けるなどである。
しかし、願望を抑圧せず、全部解放すれば良いというわけではない。また、人間精神は複雑なので、何を抑圧するかは、そう簡単には分からない。

小さな種子から大木ができることは、昔の人には神秘だった。しかし、DNAのことが分かってきた今でも、なぜDNAに従って細胞が成長するのかは全く分かっていない。また、DNA中の顕在化されるもの、されないものの違いも。
グロデックは、それはエスの働きであり、細胞から心臓や肺を作れるエスに、癌やその他の病気が作れないはずはないという。
ただ、エスの意図はなかなか分からないので、どう病気を防ぎ、病気を治すかはそれほど簡単ではない。
芸術ももちろんエスが関係する。おそらくは、シンボル表現をさりげなく的確に描写した絵画が最高の名画なのだろう。

20060514

で、何のシンボルもありませんが、巨大UFOが現れた様子です(笑)。
クリックすると、大きな絵が出ます。

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2006.05.14

王様ごときでは

もし、目の前に悪魔さん(別に天使さんでも良いが)が現れ、王様にしてくれると言われたらどうするだろう?
もちろん、広大な領土と富と兵力と、モー娘の100倍可愛い(あるいは、ジャニーズより100倍イケてる)側室付きだ(笑)。
そういえば、イエス様も悪魔にこういう誘惑を受けたし、実はお釈迦様にもそのような話がある。で、この人類史上最大のスーパースター方はお断りになったようだが、その理由がどうもはっきりしない。私も見たはずだが、憶えていないということは心を打たなかったからであり、なぜ心を打たなかったのかというと、大した理由でなかったからに決まっている。
で、このような場合、ありがたく戴くのが良いかどうかといいますと、身のためを思うなら断った方が良い。
その理由を、イエスや釈迦より的確に言うと、王様ごときで人間が満足できるはずがないからだ。これは人間の真実である。
過去、自分の力にせよ、他者の力にせよ、王様になった者は決して満足していない。アレキサンダーはいくら征服しても飽き足らず、アホみたいに遠くまで遠征し、自滅した。
貧乏百姓だった秀吉も、日本だけで飽き足らず、中国をも手に入れようとした。
エジプトの王様はピラミッドを作り、信長も妙な趣味に凝りだして莫大な散在をした。
家康だけは「身の程を知れ」という座右の銘であまりアホなことはしなかったが、こういう言葉で強く戒めねばならない理由があったのだ。
なぜ王様ごときで満足しないかというと、もともとが自分が神様であったと思っているからだ。人間は幼児期に、自分を全知万能とみなし、その感覚を一生引きずる。もちろん、妄想に過ぎないが、その妄想は一生消えない。
宗教では必ず、人間は神の子というのはこのためだ。これこそが信者を集めるキーワードである。
このあたりのカラクリを知っておくと随分役に立つはずだ。

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2006.05.12

泥棒の原理

人間の本性を語るのに「泥棒の原理」ほど的確なものはありません。
「泥棒の原理」とは、泥棒が盗みをしておいてから、誰よりも大きな声で「泥棒だ!捕まえろ!」と叫ぶことです。別にふざけているわけではなく、真剣にそう叫ぶのです。
汚職をする者を誰よりも腹立たしく思うのは汚職をしている者です。
電車の割込み乗車を最も口汚く罵るのは、割込み同然のことをしていながら、自分はやってないと思ってる者です。
人間は、自分がすること(したいこと)を他の者がやると怒るのです。
つまり、自分だけは何をやっても許されると、当然のように思うのが人間なんですよ。

賄賂や天下りのニュースがあるたび、「自分だけ良ければいいのか!?」「世の中間違っている!」と怒りをあらわにする人はよくいますでしょう。
私は全然。だって、その立場にあれば、私だって絶対やりますから(笑)。
大事なのは、誰でもやるはずのことで、好ましくないことなら、出来ない仕組みを作ることなんですよ。
学校での教師による女生徒へのセクハラだってそうです。やれる状況だったらやるのが当たり前じゃないですか?それを前提に対策しないと何の成果も出るはずがありません。

現時点では、自分がやるとは思えないような犯罪や非道な行いも、絶対にやらないという保証はありません。誰が言ったのか忘れましたが、「俺にだって気が狂う理由くらいあるさ」ということだと思います。
普通の犯罪者(?)であれば、それを見たら、自分の一面を見ていると思えるようになったらだいたい理解が進んだと言えると思います。

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2006.05.11

病的な芸術を探る

怖いもの、苦手なものが誰にでもある。
ただ、その原因が分かっているもの・・・小さい時に犬に噛まれて犬が怖いとか、溺れたことがあって水泳ができないというのは、怖いものの正体が分かっているだけに、対処もできるし、そうそう人生を台無しにはしない。
問題は、「なぜだか分からないけど怖い」とか、「理由はないけど絶対にやりたくない」というものだ。
筒井康孝さんの小説「悪夢の真相」(角川文庫では「時をかける少女」に同時収録されている)に、そういったお話がある。主人公の少女は、般若の面が怖くて仕方がないのに、なぜそれが怖いのか分からないというものだった。
こういう風に、「なぜだか分からないけど怖い」あるいは苦手という場合、間違いなく「抑圧」というものがある。
抑圧とは、その事実を認めることができず、無意識に押し込んでしまうことだ。例えば、姉の旦那を好きになった妹が、「姉が死ねば」という考えを抱きはしたが、自分がそんな恐ろしいことを考えるはずがないと抵抗し、その想いを無意識に押し込んでしまうようなものである。無意識に押し込んでしまったことは、無意識にあるのだから意識はできない。

ところで、抑圧したことは必ず歪んだ形で現れる。それが、得体の知れぬ恐れや、あるいはヒステリーや欝であったりし、精神分析医の治療対象である。
誰しも、非常に多くの抑圧を持っており、それが多少なりとも精神的逸脱を起こさせる。
ところで、精神分析を創始したとされるフロイトでは、あくまで治療対象は「精神」であった。しかし、あらゆる病気、さらには怪我のようなものすら精神分析の治療対象にすることを初めて行ったのがグロデックだ。
ところが、面白いことに、先にあげた、姉の旦那に恋焦がれ、姉の死を密かに願ったというのはフロイトの患者で、彼女が抑圧したものは彼女を罰し、歩けないようにしてしまった。精神分析により、その原因が分かると、なんと彼女は歩けるようになった。

グロデックは、いかなる病気も抑圧が原因と考えたから、病気というものはそもそもが患者自身が望んでそうなったとしていた。そして、なぜその病気になったかが分かると直ってしまうのであった。しかし、その原因を突き止めるのはかなりの難問で、何年も何十年もかかることがある。
面白い例をあげる。誰しも、幼い頃は、自分は実は非常に高貴な家の子供で、こんな家にいるのは何かのトラブルであると思うことがあるようだ。この傾向が非常に強い女性があり、彼女は自分が実は王女であると思う。もちろん、そんな話を誰も信じないので抑圧してそのうち忘れる。やがて、彼女の膝が曲がらなくなった。王女とは跪かないものであるからだ。そして、無意識のトリックが見破られた時、なんと彼女は治ったのである。

ところで、芸術家の表現も、抑圧されたものの歪んだ噴出と思われることもある。
芸術にするのにころあいな抑圧を行い、それが、環境やその者の素質と絶妙なコンビネーションで現れたということもあるかもしれない。多分、そういうことは多いと思う。

20060511

本日も絵を描きました。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.10

できれば見たい絵

見れるならどんな絵を見たいかと問われると、美術好きな方なら色々な作品名があがるでしょうね。
私は、ちょっと妙な絵を2点見たいと思います。
1つは、「フランダースの犬」で、ネロが描いたアロアの絵です(笑)。
12歳の美少女アロアの肖像画を、貧しい15歳の画家志望の少年ネロが板に描いていたのを見て、アロアの父親のコゼツは憤慨しますが、その絵を見て、ネロに銀貨を渡して譲ってくれと言います。コゼツはアロアが可愛いし、ネロをこころよく思っていなかったにもかかわらずこう言わせた絵というものに興味があります。
もう1つは、映画「タイタニック」で、ジャックが描いたローズの裸像デッサンです。
ローズの婚約者ホックリーは、この絵を見て、激昂と共に絵を破り捨てようとしましたが、どうしてもそれが出来ませんでした。この状況でホックリーの手を動かなくさせた絵の魅力とはいったい何か興味があります。
尚、このローズの裸像(ポストカード)は、「タイタニック」アルティメット・エディションのDVDに付いていて、私も買いました。あの絵、キャメロン監督が描いたそうですよ(笑)。ケイト・ウィンスレットを脱がせて描いたのだろうか?^^;
「ターミネーターの顔がどうしていつもシュワちゃんなんだ?」という意地悪な質問に、「キュートだからさ」と答えたキャメロン監督の美的感覚は・・・?

20060510

街でとても可愛い制服の女の子を見かけたので、思い出してデッサン(笑)。
クリックすると大きな絵がでます。

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2006.05.08

必然のデアイ

私は最近、「心身医学の父」と呼ばれる、ゲオルグ・ゲロデックに傾倒している。グロデックは世紀の大天才で、今まではあまり注目されなかったが、今後は見直されてくるだろう。
グロデックの本を熱心に読むうちに、私も以下のことを信じるようになった。

美しい16歳の女子高生が木の下を歩いていた。
すると。小鳥の雛が、草の上で鳴いている。きっと、この木の上にある巣から落ちたのだ。
幸い、柔らかい草の上に落ちたせいかケガはなく、元気に泣いている。
運動神経ゼロの彼女ではあったが、一大決心をして、雛を連れて木に登り、巣に戻してやろうとした。
なんとか巣にたどり着き、雛を巣に戻した。
しかし、ほっとしたせいか、なんとバランスを失って彼女は木から落ちてしまう。
地上に激突したと思った瞬間、なぜかさほどの衝撃がなかった。なんと、下を歩いていた人の上に落下したらしい。甘いもの好きなのに細身の彼女ではあったが、仮にも人間が数メートル上から落下したのだ。
彼女が慌てて起き上がると、下敷きになった人も身体を起した。
「ごめんなさい!!」
若い男性だった。メガネをかけ、細身でたくましくは見えないが、これほどのことがあったにも関わらず、平和そうに笑っている。そして、彼女を見て、全く責める様子もなく、むしろハプニングを楽しんでいるような目をして、慈愛に満ちた声で言った。
「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」
彼女はぽかんとした顔で彼を見つめた。
彼は、彼女の学校の25歳の新任教師だった。清純さに輝く彼女であったが、2人はすぐに同棲を始め、やがて結婚した。

これは、人間を生かしているエスの起させたことだ。
いったい、エスがどんな手を使ったのかは分からない。エスは神のようなものなので、アインシュタインが言ったように「老獪である」のだ。
木の上にいる彼女の無意識(これこそエスなのだが)が、歩いてくる彼を捉えていて、絶妙のタイミングで彼女を木から落としたのだ。
きっと、この道をこの時間に彼女が歩いていたのも、エスがやらせたことだろう。もし、雛が落ちていなければ、エスは別の手を考えたことだろう。
2人の結びつきは必然だった。
しかし、彼女が2人の子供を産み、下の女の子が3歳の時、エスは彼女を病気にして命を奪う。彼女の娘は特別な存在だったのだ。

なんのことはない。CLAMPさんの漫画・アニメ「カードキャプターさくら」の、さくらちゃんの両親の話である(笑)。
CLAMPさんも、似たようなことを考えていたかもしれない。
もちろん、エスはみなさんと共にあり、それなくして生きていることはできない。
誰に何が起こっても不思議ではない。ただ、エスがそう都合よく言うことを聞いてくれるわけではない。ただ、アインシュタインが言うように、「老獪だが悪意はない」のだ。

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2006.05.07

心に残る追悼の言葉

著名な方が亡くなると、その人と生前に関係が深かった有名人の追悼の言葉がテレビ、新聞で公開されることがよくある。
しかし、私はそのような追悼の言葉をほとんど憶えていない。言う側も、差し障りのない言葉で済ませようという気はなくても、マスコミが曲解好きな誤解仕掛け人であることをよく知っているので、結果として、当たり前のことを言うのかもしれない。
その中で、プロレスのジャイアント馬場さんが63歳で亡くなられた翌日に、朝日新聞に掲載されていたルー・テーズさんの言葉が非常に印象に残っている。
テーズさんは、プロレス史上最高のプロレスラーと言われ、その時は80歳くらいであったと思う。
テーズさんはまず、アメリカでの馬場さんとの試合のことに触れていた。その後、2人は日本でも戦っているが、それはテーズさんが50歳を過ぎる頃の話で、それはそれで熱戦だったらしいが、やはりテーズさんとしては自分が本当に強かった時のことを言いたかったのだと思う。テーズさんは、最初は引き分けたが、次は自分が勝ったと言っていた。
そして、その後、「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」とコメントしていたが、これが印象深かった。
これはつまり、プロレス界では、アメリカ、日本でも、お金に関してきっちりしていないことがあり、テーズさんも嫌な思いをしたことが多かったことが想像された。
しかし、「約束したことを実行する」という、当たり前のことであるのに、それを完全に行ったことで最大の評価をすることが、なんとも感慨深い。
馬場さんは選手であっただけでなく、全日本プロレスという団体の社長であったが、著書の中で、「ずっと赤字だったが、選手へのギャラの支払いを遅延したことが一度も無いことが一番の自慢だ」と書いていた。
約束を常に守ることの難しさと、そんな当たり前を実行することの偉大さを感じる。
昨今、書店には成功するためのノウハウ本が溢れ、「成功の秘訣」を語って金儲けをする者がいくらでもいるが、本当の成功の秘訣は、単に「約束を守る」という誠実さであると思う。逆に言えば、約束を守れない人が何百万円の成功教材を使っても絶対成功しないことは明らかと思う。

20060508

GW中、一日一画達成(笑)。まあ、この程度の絵ですので^^;
クリックすると大きな絵がポップアップで出ます。
しかし、何を描いているのだろう・・・(笑)

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天使の狂気

芸術的にも宗教的にも、天使ほど狂気に満ちた存在は無いと思う。
もともと、天使は男性型が多かったように思うが、赤ん坊であるキュービット型はヴィーナスを描く時に欠かせない。
その後、天使の主流は美少女型に移り、現在に至るように思う。
美少女型天使とはどんなものであろう。清純にして可憐。純粋にして無垢。それでいて、極めて美しく魅力たっぷりという大矛盾は、よく考えると狂気としか思えない。
このような天使の概念の定着もあり、たまたま美しく生まれた女の子は、天使のように純粋無垢なフリをしなければならなくなる。ひどい話である。
もちろん、多分、本当に清純可憐な少女もいるだろうが、むしろ極めて特例だろう。見かけが天使であっても、本当に天使のような性質を持ってはいないだろうし、持っていなくても構わない。
つまり、ジャニーズのようなアイドルのイケてる男の子に熱狂してはいけないし、心優しく、犠牲的精神に溢れ、他人に対し、好き嫌いなどなく公平である。できれば菜食主義で、それこそ小鳥のエサみたいなものを食べ、当然、トイレに行くはずがない・・・そんな子が存在するはずはない(最後のトイレは別にしても)。
美少女型天使の存在理由は、おそらくは男性社会運営の都合上、女性につつましくあることを強要したかったからではないかと思う。これはキリスト教圏では特に取り入れやすかったように思う。
現在では清純可憐な乙女は人気が高いが、それもこのような歴史的なものの影響を残しているからであり、日本ではキリスト教と共に輸入されたものと思う。実際、明治以前には、清純可憐な乙女はさっぱり人気がなかったらしい。
援交においても、女の子達は天使タイプ、すなわち、清純な普通の子を演じる。その方が高く売れるかららしい。キリスト教も妙なところで役立っている。
ぼちぼち、天使幻想を取っ払うのも良いかもしれない。まあ、若年層では、かなりそうしているとは思う。

20060506_1

かろうじて、GW一日一画継続(笑)。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.06

死の恐怖

若い時と、年を取ってからでは、どちらが死の恐怖が強いだろう。
一般的には、若い時と思うかもしれない。
自殺というのは、やや状況が特殊かもしれないが、聞く限りでは若い人の自殺の方が大方であっけらかんとしている。自殺者の割合が多いのは中年男性だが、こちらは余程の決意と精神の混乱がある場合が多いように思う。

英国SFテレビドラマ「謎の円盤UFO」(原題「UFO」1969 ジェリー・アンダーソン製作)の中でこれに関する印象深い場面があった。
沈没した潜水艦の中、司令官(役者は37歳)、大佐(役者は28歳)、少尉(推定30代)が取り残され、少尉が事故で死ぬ。大佐は「死を恐れたことなどなかったのに。今は・・・(恐ろしい)」と言う。司令官は「年のせいだ」と言う。大佐が「どういう意味です?」と聞くと、司令官は「年を取ると、命の大切さが身に染みてくる。人生の意味も分かってくる」と言う(日本語吹き替えもほぼ忠実な訳だった)。
この作品に、製作者のジェリー・アンダーソンが深い意味を込めていたのは、後のインタヴューでも明らかである。「サンダーバード」等の人形劇を作っていた時、黒人の人形を使うとプロデューサーに白人の人形に変えるよう言い渡されたこともあった。そこで、この「UFO」では、未来世界で人種差別を扱った。家庭問題や、「サンダーバード」では全く触れなかった地球防衛軍の予算問題までドロドロにドラマに持ち込む。
特に命の問題は、繰り返し角度を変えて扱っていた。このことが実に素晴らしい作品にしている。
(司令官の役者と大佐の役者は2005年、わずか6日違いで死ぬ。それぞれ72歳と63歳)

老人になると、あまり眠らなくなる。これは人生の残りを惜しむ無意識の影響という説もある。
そして、死ぬのが恐いのは、未来がなくなることの恐怖という説がある。未来を考えるのは過去の記憶があるからである。過去の記憶のない動物は死を恐がることはない。恐がっているように見えるだけである。
老人が比較的最近の記憶が薄れ、若い時の記憶が強いのは、死の恐怖をやわらげるためかもしれない。すると、記憶力抜群の老人は死の恐怖を免れない。

人生の価値が分かると、死ぬのが恐いというのは本当かもしれない。そういえば、私も子供の頃は死ぬことがほとんど恐くなく、今考えるとぞっとするような危険なことを平気でやったのは、幼いというよりは、人生の価値を認識していなかったからかもしれない。

20060505

GW一日一画、本日まで(笑)。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.05

人間関係が苦手な人

人間関係、つまり、人付き合いが苦手な人もいると思います。
学校や会社を辞めたり、引きこもりになるというのも、結局は人間関係の問題と思います。
私は、「人間関係が苦手」などと言うと、笑われてしまうくらい厚かましいタイプなようですが(笑)、それでも本人は苦手なつもりです。
ただ、断言しますが、人間関係が得意な人なんて、この世に一人も存在しません。なぜなら、人間は根本的に人付き合いが苦手なように出来ているからです。
これは、王様同士は仲が悪いというのと同じ原理です。人間は幼児の時に王様の性質を身に付け、それを一生引きずります。
初対面や、久々の対面では、構えてしまう人が多いでしょう?これは、「自分の方が王様だ」って主張しているのです。このあたりのカラクリが分かると、割に楽にやり過ごせるようになると思います。

20060504

GW一日一画、続いています(笑)。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.04

クレモンティーヌの娘

クレモンティーヌという有名なフランスの女性歌手がいますね。
名前の意味は「小さなミカン」。年齢非公表の美貌のパリジェンヌもすっかり大人になりました。
一昨年、クレモンティーヌはお嬢さんと一緒に来日しました。朝のテレビ番組で、母娘で出演していました。
私は、お母さんのクレモンティーヌとずっと手をつないでいたお嬢さんのソリータの美少女振りに驚きました。
「さすがクレモンティーヌの娘」と思った人と、「クレモンティ-ヌがもうこんな大きなお嬢さんの母親になったのか」と思った人がいたのではないでしょうか。
ソリータの脚が超絶きれい・・・とか思っていたら、恒例の「おいくつですか?」の質問。
「もうすぐ11歳・・・」
美貌と美脚、そしてほんの少しコケティッシュな雰囲気から13・4歳を想像していた私はぶっ飛ぶ(笑)。10歳なのか・・・^^;;
そういえば、お母さんのクレモンティーヌも「コケティッシュ(なまめかしく色っぽい)」ってよく言われてましたね。

彼女の画像はなかなか見当たらないので、随分時が経ってますが想像して描いてみよう。長い黒髪だったと思います。

20060503

あくまで想像です^^;
そういえば、私は何かを見て描いたり、特定の人物を思い描いて描くことはほとんどありません。
クリックすると、大きな絵が出ます。

人気blogランキング「芸術・人文(全般)」部門で自己最高の3位まで上がり驚きました。応援していただいた方、ありがとうございます。美術ブログでも、最近は3位以内に長くいますが、こちらも、クリックしていただいた方、本当にありがとうございます!!

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2006.05.03

ドイツ製ナイフ

銃や剣が、武器であると共に美術品とされることがある。その場合も2通りで、1つは王侯貴族の所持品として高度な装飾がされているもの、もう1つは、特に装飾が華麗なわけではないが、それそのものの姿が美しいものである。双方を兼ね備えたものもあるが、実用品の場合は、装飾がかえって使い勝手を落とす場合があるかもしれない。
銃剣マニアはいつの時代にも沢山いるが、大半は実用品の方に興味があるのではないかと思う。その究極の機能美と、武器としての凄みが銃剣にあるというのは私にも分かるような気がする。私もいつか銃剣マニアになる可能性はありそうだ。

ところで、私は最近、ごく実用目的で安い折りたたみナイフを購入した。通販で買ったのだが、やってきたものを見て驚いた。安いが安物ではない。
刃を出した姿も折りたたんだ姿も美しい。しかも、機能的で使いやすい形だ。グリップの色も美しい。私にとっては美術品と言って良い。
品質も良い。一定の弱い力でスムーズに刃を引き出せ、最後にピシっと止まる。
ドイツの有名な刃物メーカーの品らしいが、良い品物を買ったと嬉しくなる。旧西ドイツ時代から、ドイツの工業製品は日本と並んで評判だが、どこかポリシーが違う。例えば、電子式でない機械式の製品・・・例えばカメラや天体望遠鏡では、歯車などの可動部品があり、長く使えばどうしても磨耗する。ところが、ドイツ製品は、磨耗すればするほどぴったりしてきて、何十年でも使えるものがあるらしい。ポルシェなどのドイツの名車も、モデルチェンジ前にはかえって価格が上がるなど、日本では考えられない。何か考えさせられる。

20060502

恒例のラクガキ。GW中は1日1枚描けるかなと思ったのですが、なかなか(笑)。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.05.02

頭の良さとは

「頭が良い」とはどういうことであろう?
一流大学に入るなどの学力は、頭の良さというよりは、合理的な努力の賜物と思う。そして、少なくとも半分以上は親の力だ。
IQ(知能指数)は頭の良さのある一面は表していると思うが、実用性を示すかどうか疑問だ。
アインシュタインは「想像力は知識より重要だ。知識は有限だが、想像力は無限だ」と言った。もちろん、知識は頭の良さは示さないが、ある程度の(まともな)知識がないと無限の想像力が出てくるはずはない。だが、自分の持っている知識を、問題解決のために組み合わせる能力は確かに頭の良さを示すと思う。
こう考えると、頭の良さとは、想像力と言っても悪くは無いが、連想力であると思う。

連想力が優れていると、何かの問題に直面した時、偶然に見たものや聞こえた言葉にヒントが閃き、問題解決に向けて進む。いや、偶然というよりは、ヒントになるものを頭脳の不可思議な機能が選別して「わざと見せたり、聞かせる」のだと思う。
それをやっているのが右脳であったり、生命エネルギーであるエスであると思う。
一頃流行ったセレンディピティ(幸運な偶然)の正体はこんなものではないだろうか?

逆に言えば、頭の良い人は「たとえ話」、すなわち「比喩」がうまい。
電圧をそのまま説明できなくても、水圧の話から類推させるという具合である。
歴史上でのたとえ話の達人はイエス・キリストである。アンチ・キリストのW.B.イェイツですら、イエスが身近なものごとを題材にたとえ話をする能力を高く買っていた。

そして、夜見る夢のことを考えると、人間は根本的に天才だと分かる。
(私は主に昼間に夢を見るが(笑))
フロイトが夢解釈の研究をしたのは有名で、現在は(昔も?)巷に怪しげな夢診断もあるが、精神分析学的には夢の解釈の有効性はある程度認められている。
しかし、ケーキを食べる夢がケーキを食べたい願望であるという分かりやすいものはともかく、非常に分かりにくい夢にも意味があることがある。
例えば、ある宗教の熱心な信者が、その宗教では飲酒が禁じられているのに、平気で酒を飲んで「たまにはいいじゃないか」という夢を見たりする。それは、自分ではいけないことだと思っている行為を実はやりたいと望んでいる隠された願望の存在を示している場合がある。
夢は、このように不可思議な歪曲を行うが、これは無意識で行われている。夢の歪曲が実に見事な場合が多いが、考えなくても見事な連想をする力を我々は持っているわけだ。

夢の解釈の話はともかく、本当に頭の良い人は実際に連想力が高いと思ったことはよくある。
最近私は、1960年代末に、「サンダーバード」のジェリー・アンダーソンが製作した「謎の円盤UFO」という、こちらは俳優を使った英国のTVドラマのDVDに夢中なのだが、英知に満ちた主人公は、数世紀進歩した宇宙人の作戦を粉砕するために、さかんに連想を行っていた。このあたりは偶然ではなく、ジェリー・アンダーソンの考え方でもあるような気がする。
連想力の基礎として知識は必要だが、それは暗記した知識ではなく、体験した生きた知識が必要だ。やはり人間には冒険が必要である。

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2006.05.01

私の中のよからぬモノ

サントリーの飲料水「DAKARA」のTVCMで、小泉今日子が

私の中のよからぬモノが ♪ ジョジョビジョバ~ ジョビジョバ~ ジョジョビジョバ~ ♪

と歌う衝撃的な(?)ものがある(「体内ブルース」というらしい)。
40歳とはいえ、いまだ可愛いキョン^2のイメージを崩しかねないのだが、私はこのCMは女性にウケルと思う。
「私の中のよからぬモノ」とは何であろう。もちろん、ここでは健康に悪い体内廃棄物等を指しているのだろうが、憎しみや嫉妬などの精神的なものを連想するかもしれない。
しかし、実は無意識の中で最も根深い「私の中のよからぬモノ」とは、なんと「子供」である。妊娠した女性につわりという現象が普通に起こると思われているが、あれこそ、このCMの小泉今日子の「ジョヴァ~」という気色悪い声と表情で表すものである。
実は、つわりというものを知らない民族はかなりある。いや、日本人でもアメリカ人でも妊娠してもつわりを経験しない人はいる。

つわりは嘔吐であり、「私の中のよからぬモノ」である赤ん坊を吐き出してしまいたい願望を表しているというのが、近年、見直されつつある、心身医学の父ゲオルク(ゲオルグ)・グロデックの断定的な考えである。
なんと、多くの女性は、実は子供を欲しがっていないという強い意識を持っている。
分からぬでもない。子供ができると体型は醜くなり、軽やかさもなくなる。そして、何と言っても自由は大幅に制限される。それは、子供が一人前になる、少なくとも十数年は続く。
一方で、「母となる喜び」も確かに大きいが、それはその人の持つイメージ次第であり、キリスト教圏では、聖母のとても素晴らしいイメージがあるが、日本ではさほどでもない。当然、日本人のつわりの強さはアメリカ人以上である。
「あんたを産むときはつわりがひどくて・・・」としみじみ語るなら、その母親はその子を愛していない可能性が高い(出産後に可愛くなることもあるが)。
まあ、そもそも、母の愛というのは巨大な幻想であるという説もある。

救いようのないことばかり書いたが、要は、親子関係というものを、旧来の欺瞞に満ちたものから変えていく必要があるということである。
母の愛は決して海より深いわけでないが、そのような幻想に頼るよりも良い親子関係を築く方法は必ずあると思う。

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