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2006.04.04

移り変わる美意識の謎

美意識は時代、地域によってかなり異なるとは言うけれど、30年前の映画の美人女優や20年前のアイドルとかを見ても、確かに今の美人、美少女の基準とはかなりかけ離れている。
いや、実際はそれどころではない。
小学校も高学年になると、女子は美的に評価される事態も、好むと好まざるとをえず増えるし、本人達も自分の美人度を意識するようになるだろう。
ところが、ある男子が、ある時期、ある美少女を大変に可愛いと思っていたのが、ほんの数ヶ月後にはその子にさっぱりと興味がなくなり、別の子に心惹かれるということがよくある。別に飽きたとか(笑)、新しい意中の子がより美人というわけでもなく、好みの変化としか言いようがないものである。
私も、幼稚園の時、クラスに女神様のように美しい子がいた覚えがあり、後に卒園写真を開いて確認してみたら・・・正直、こんなものが美しいと思ったことが信じられないという経験がある。
そんな私の美的感覚は進歩したか退化したかは不明である。
夕焼け空を見て美しいと思う人は多いだろうが、ジャングルの住民にしてみれば夜行性の獣が目覚める恐怖のサインにしか見えない。
今、美しいと思っているものも、数年、いや、数日したら、少しも美しいと思わない可能性はある。実際、催眠術を使い、一瞬に嗜好を変えることが可能な場合もある。
人間の感覚、思考、このあてにならないもの。
赤く見える、美しいと思う、善と思える・・・デカルトはその全てを疑った。その思考や感覚が絶対的でないことは分かる。徹底的に疑いまくった。そして、何も確かなものは見つからなかった。しかし、「なぜ疑えるのか?」という疑問が沸いた。それは完全な存在を前提にしなければ説明がつかない。これが1つの神の存在の証明だった。それで、彼は「疑っている我は確かに存在している」という結論に達した。
フロイト論者は、デカルトは「我思う故に我あり」と言ったとして、その我は意識であるから、無意識の発見により、デカルトは古くなったと言うが、どうも違うように思う。デカルトはそう表現はしなかったが、疑っているのは意識ではなく、神のような完全な存在から発するものとしていたと思う。意識では「赤い」「大きい」「美しい」と思っているのだからである。
芸術的想像力も無意識から来るらしい。では、それを見る我々も、意識上の美しい、美しくないをあまり信用せず、無意識の囁きを感じたいものだ。もちろん、無意識は意識できないので、何か微妙な感覚として捉える必要はあろうが。

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