自分を名前で呼ぶ人
子供が、自分を名前で呼ぶことが多いのはご存知と思う。
「あいちゃんはね、アイスが食べたいの」
「ケンタは幼稚園で一番サッカーがうまいんだ」
年齢が進むと、自分を私、僕、俺と言うようになる。遅くとも小学校低学年までにね。
しかし、時々、いい年になっても自分を名前で呼ぶ者もいる。女性に多いように思う。
「園子、こんなの見たの初めて!」
そういう人は精神が幼いと見なされるが、高校生とか、大学生になってもそんな人が実際にいる。女の子に関していえば、余程可愛いコであれば、特に男性には好意的に思われる可能性が高いが、そうでないなら(残念ながら可愛いと思われない場合)、下手したら駅のプラットホームから蹴落とされかねない(笑)。
しかし、考えてみれば、自分を名前で呼ぶことにも優れた点がある。
それは、自分を客観視しているということだ。
そして、さらに考えれば、年齢と共にそんなことをしなくなるのは、自我とは年齢と共に強くなることを示す。自我とは、「私は私である」という感覚であるからだ。
そして、自我とは作り物であり、何らかの信念や主観、主義が固まって出来るものである。
そして、主観や主義が強くなると精神の自由を失う。
自分を名前で呼ぶ者は確かに幼いが、精神の自由さは持っている可能性がある。
人間、とかく、「私が」「私が」になる。自分にしか関心がなく、それがかえって自分を見失う原因にもなる。
自我が強くないと社会で生きていくことができないが、時には、自分を名前で呼ぶ子供の真似をするのも良いかもしれない。
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