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2006.03.18

失われた記憶

「過去は捨てた」なんて言うことがある。しかし、過去を忘れることはできない。
人間というのは、基本的に記憶力抜群である。ほら、あの嫌な思い出をしっかり憶えている。

ルイス・キャロルは、生涯に膨大な数を書いた少女への手紙の1つに、「ものを忘れるレッスンを受けましたよ」という冗談を書いている。「忘れてしまうというのは、なんとも気持ちがいいものです」と書いていたのは、案外、願望かもしれない。

しかし、本当は人間にとって記憶を失くすというのは最大の恐怖である。なぜなら、それは自我の土台を失ってしまうことであり、人間は自我の崩壊が何より恐ろしい。自分とは、結局は記憶の積み重ねに過ぎない。

1998年の「ウルトラセブン 失われた記憶」で、過去の記憶を失ったモロボシ・ダンは自分の過去を探すが、出会う人みんながそれに否定的だった。彼を慕う少女の母親は、「過去がそんなに大事ですか?」と言うし、バリエル星人にまで「なぜ過去にこだわる。なぜ今の自分を認めようとしない」と言われてしまう。

それでも人間は過去と、それによって確立される自我にこだわる。「母を訪ねて3千里」で、マルコが母を求めたのも、母親を確認しないと、自己というものがあやふやで不安だからである。人間が、その存在を確固としたものと思わせる記憶というのは、ごく幼い時のものである。その中で母親との関係は重要なので、やはり実母を知らない子供は母親を探す。ただし、母親に会ったマルコはそれで納得し、その後母親と分かれても別にどうということはないはずだ。実際、苦労して母親と巡り合った人というのはそんなものだ。

過去を忘れるというのは本当は良いことに違いない。自我の土台を作ったはずの幼い時の記憶というのは、案外歪んだ嘘である。幻想と言い切った人も少なくはない。それなら、今の時点で新たな自分を作っても良いかもしれない。それを望む者も多いに違いない。ただ、うまくいくとは限らないのだが・・・。
20060318
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