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2006.03.24

泣いちゃダメ

「泣くな!」「泣いてはいけない」という言葉を映画やTVドラマ、あるいは小説で時おり見かけるが、これはそもそもどういう意味だろう?
分かりきったことのように思うが、意外と不可解である。

まず、「泣く」のはなぜであろうか?
肉体的な苦痛という場合もあるが、それだけで泣くのは子供である。
やはり、精神的苦痛のためであろう。
そして、どんな精神的苦痛で泣くのかというと、それはほぼ「屈辱」であると思う。
では、屈辱とは何かというと、自尊心の失墜である。例えば、大勢の人の前で恥をかかされたり、軽蔑する嫌な相手に無理やり従わされたりする時である。

さて、いよいよここに辿りつくが、「自尊心」の正体は何だろう?
それは自我そのものであり、自我の存続の危機が自尊心の失墜と感じるものである。
なぜそうなるかというと、自我とは誇り高いものだからだ。ただし、立派な誇りではない。まるで根拠の無い妙な誇りなのだ。思いっきり傲慢で、何でも自分の言うとおりになると思っている子供や、金持ちのぼっちゃんや嬢ちゃん(つまり精神的な子供なのだが)を想像してみれば良いが、あれが自我の割に純な姿である。ワガママ放題のぼっちゃんを非難するのは、根本的には誰でも同じだからである。
おぼっちゃんが、自分が「右を向け」と言えば、誰でもそうすると思っているのに、逆に「右を向け」と命じられ、「誰に向かって命令してるんだ」と怒ったら、圧倒的な腕力で叩きつけられ、無理やりに右を向かされた時の気持ちが、人間が泣くという感情である。
この時、「命令する権利のある偉い自分」という自我は存続の危機に陥るのである。

彼に振られて泣くというのも全く同じだ。
彼に愛されているという感情が、自我を支えているのである。心の奥では愛されて当然と思っている。たとえ、表の意識では「あんな素晴らしい男性が自分を愛しているのは不思議だ」と思っていても同じである。
その彼の浮気現場を見たら、誇り高い自我は崩壊の危機に陥る。その時に自尊心の失墜という感情が起こり泣くわけである。ただし、誇り高い自我が、「あの程度の男、あのコにくれてやるワ」と無理に思うことで自我の防衛を果たす場合もあるかもしれないが、やはり隠れて泣くのだから同じだ。

さて、そのような時、「泣くな!」と言うのはどういうことなのだろう?
つまりそれは、「耐えろ!」という意味に他ならない。
自尊心の失墜、つまり、自我の崩壊の不安に耐えろということである。
それが良いことであるから、「泣くな!」と言うのは、立派な人物と決まっている。

泣く者は、自我の支えを失っているわけである。すると、その者はすぐに次の支えを探すのだ。慌ててね。そんな時はロクなものが見つからない。宗教にはまったり、ロクでもない男(あるいは女)に騙されるのもそんな時である。
しかし、「耐えろ!」というのは、単にそういった被害に遭わないためのものではない。
それは「心を鍛えろ!」ということである。
実に自尊心の失墜に耐えることにより、はじめて心が鍛えられるのである。
心が鍛えられると、より大きな経験に耐えることができる。どんな経験でも、それが良いものであれば自我の崩壊の危機はつきものである。だから、心の弱い者は新しい経験にしり込みするのである。
つまり、自我の崩壊の不安に耐えることを軽い段階から始めていき、少しずつ、より強烈な自我の崩壊の恐怖に耐えることで、耐えられえる度合いは大きくなる。
よって、小さなプライドを失うことを恐れて何もしない者は、残念ながら、一生弱いままである。

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