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2006.03.19

国際スポーツと芸術

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本はなかなか苦労しているようである。
世界的にWBCへの関心はまだまだ薄いようでもあるし、不自然な2次リーグの組み合わせなど、所詮米国による大リーグのエキジビションという見方もあるが、やはり自国のチームを応援する熱狂振りは十分にうかがえる。
サッカーのワールドカップとなると、歴史があるということもあるが、あの熱狂振りは凄い。誰かが、あれはスポーツではなく、擬似戦争であると言ったが、その通りと思う。
自国の勝利とか、母校の勝利にこれほどまでにこだわるということは、昔誰かが言った「世界は一家、人類はきょうだい」というのは大嘘であろう。実際、この表現は大問題であると思う。このスローガンからは、外国の人との間でも精神的な面まで共通するはずだという大誤解が生まれる。
全人類で共通するのは、基本的な生物学的形態と機能であり、知的能力も基本的には違わないが、精神というものは環境や教育で後天的に構築するものであり、文化が違えば決定的に異なる。
人間が文化的生物であるというなら、外国の人間は全く別の人間と思った方が良い。ただし、人間としての価値は等価であることが認識されれば良いだけのことである。
ところで、国別(あるいは県別や学校別)の対抗戦がかほどに盛り上がるのは、根本的には自分が所属する集団の優位性がかかっているように思うからではないだろうか?
私は子供の頃から、非国民と言われるほど、オリンピックなどで日本の勝利を喜ぶことが全くなかった(笑)。また、母校を特に応援しようという意欲も全くなかった。それは、自国や母校の勝利にこだわり、勝利に熱狂する人々を見て恐ろしいものを感じたり、醜いものを認めたからである。そして、そのような熱狂を離れたところに美しいものを見つけることが多かった。それはきっと、大衆の中に真理は無いからだろう。
では、芸術はどうだろうか?自国の芸術をことさらに誇るなら、やはりスポーツや戦争のようなものだ。
岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言ったが、もっと分かりやすく言えば、イェイツが言ったように「芸術の目的はエクスタシー」である。そして、エクスタシーとは突然の安らぎと力の感覚である。だが、それは苦痛を伴う。考えうる限りの苦痛に耐えたものが、考えうる最大の美を創造する。
スポーツも、もともとは本来の芸術のようなものであったと思う。しかし、芸術同様、利用されるものになってしまったように思える。

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