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2006.03.21

天才芸術家ハイド氏

私は「ジキル博士とハイド氏」は、小学校低学年で読んだきりなのでよく憶えてはいないが、古い映画で見た印象では、残酷なハイドはまさに天才芸術家の姿だと思った。

人間の人格が善と悪に分離するなんてことはない。なぜなら、善と悪なんてものが存在するわけではない。
ハイドというのは、普段は無意識にあるものが大量に意識の中に流れ込んだ状態だと思う。そして、これこそ大芸術家の秘儀である。
無意識の中の生命力が意識に流れ込むと、自我が危うくなる。自我を支えるものが破壊されるからだ。その自我がせいぜいもちこたえている不安定な状態に天才が出現する。

ダリの絵なんて本当は狂人の絵だ。なぜ本人が正気を保っているのか不思議なものだが、こんなことが分かった。ダリは、普段大事に持っているある木片を失くした時、パニックに陥った。それがダリの自我を支えている幻想だったのだと思う。

実に天才芸術家になるとはそういうことだと思う。横尾忠則も、芸術家には狂気が必要というが、狂気とは無意識の生命力が意識に流れ込んだことであり、それが芸術を生み出す秘密なのだから当然と思う。
もちろん、単に上手い絵描きに狂気は必要ない。
岡本太郎も、不意にわめき声を上げて叫びたいとき、実際にそうすると書いてあるのを読んだことがある。
芸術家と反対の人間である優等生や上流階級の有閑マダムは最も狂気と縁遠い。なぜなら、意識を小さなものにして自我を固定し、無意識をシャットアウトしているからだ。いわゆる「小さくまとまった」状態だ。だが、自我の想定外のものが出現するとあっさり狂い、自力で戻れない。自我が脆いのだ。

これで、イェイツが言った、「考えうる限りの苦痛に耐えたものが、最大の美を創造する」という意味が分かる。無意識から流れ込む生命力の激震で崩れそうになる自我のピンチに意思が耐えてこそ芸術を生み出すからだ。

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