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2006.02.23

フロイドやデカルトに関するデマを信じる訳

昔、中国の禅僧である無業は「世間に騙されないよう」と自分を戒めていたようだ。

ところで、みなさんはこんな騙され方をしていないだろうか?
「フロイドは古い(よって間違っている)。ユングが新しい(よって、より正しい)」
「デカルトはコチコチの唯物論者であり、人間の可能性について制限された思想を持っている」

なんのことはない。私がそう思っていたのだ(笑)。
「二十世紀を精神分析する」(岸田秀 文春文庫)の解説で、オタキングこと岡田斗司夫氏が「岸田さんの本を批判する人は実際には岸田さんの本を読んでいない」と書いていたが、私の場合も同じで、フロイドやデカルトを読まず、他の人の書いたものを読んだだけでそう思い込まされていた。まさに風説の流布である。
そもそも、ユングを誉めるのも、デカルトを貶すのも、ほとんどオカルト論者ばかりのような気もする。

ところで、おかしなことに、岸田秀さんは何かの本でデカルトを批判してたように思う。
だいたいにおいて、デカルト批判は「方法序説」の第5部で、デカルトが十分な技術があれば機械で作った動物は本物と区別はできないと書いたことや、心臓の働きに関する誤った理解にあると思える。
あるいは「我思うゆえに我あり」という変な訳をまともに受け取ったかだ。
何が正しいかはよく分からないが、これは「疑っている我は確かに存在する」とするのがデカルトの思想により近いと思う。
確かに、「方法序説」では、一部、生理学的問題を物理学的に婉曲した記述もあるが、その他の批判は、やはりよく読んでいないのではと思う。
「方法序説」をよく読むと、まさに岸田さんの唯幻論の手前かひょっとしたら同等以上の理解に達していたのではないかと思えるくらいだ。
デカルトは、正しく理性を導く方法を探したが、それが見つかるまで理性を野放しにもできないので、暫定の「格率(格律)」を定めたが、その大原則が「単に真らしく思えることは全て虚偽とした」である。
そして、結局、まともな格率は見つからなかった。これは、全て幻想とみる唯幻論と近い立場と思われる。
とはいえ、私は岸田さんの唯幻論は、他の大方の思想よりはるかにマシと思っており、これに従うことでほとんどの苦労はなくなっている。

本日、ある本がアマゾンから届いた。
「ヒトはなぜ戦争をするのか?」(花風社)
である。
国連が、アインシュタインに「最も重要な問題を」「一番意見を交わしたい相手と書簡でやりとりして欲しい」と依頼した。
アインシュタインが選んだ相手はフロイドだった。
こんな面白い本の存在を知らず後悔する。
解説は養老猛司。
翻訳、浅見昇吾。

ちなみに、さっき見ていたアニメ「ツバサ・クロニクル」の中で、浅黄笙悟(あさぎしょうご)という男性キャラがいた。これはユングのシンクロニシティか?(笑)

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