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2006.02.27

なぜバンクーバーを目指すか?

トリノ冬季オリンピックが閉幕したが、ちょっとひっかかることがある。
ジャンプの原田、モーグルの上村、フィギュアの村主の3人が、次のバンクーバーを目指すことを宣言した。
(原田は冗談かもしれないが、冗談と言い切れないのが原田だ)
これって、良いことだろうか?

金メダルを取った経験のある原田はもちろん、上村、村主に、そこまでメダルを目指す必然性があるだろうか?
彼女達は本当によくやったと思うし、次期バンクーバー五輪では、上村30歳、村主29歳。決して不可能とは思わないが、選手としてそこまでやる意味があるだろうか?
現実問題、特に村主は競技の性質上、メダルに必要な現状より数段アップの実力が付くとも思えない。

後1~2年は良いとして、そろそろ別のことを始める準備に入った方が良くはないだろうか?
スター選手でいることをやめた時には確実に大きな喪失感があるが、それはいつかは訪れることであり、むしろ現役選手であること以外に自分の価値を認められないようにはなって欲しくないものである。
確かに、このままでは、上村も村主も歴史に残らないし、人々はこれからの選手に目移りし、彼女達の記憶は薄れるだろう。一方、里谷や荒川は歴史上に光り続ける。とはいえ、金メダルを取った時点からの落差は、むしろ上村や村主以上と思う。
正直、私は、人間の様々な価値の中で、メダルがさほどのものとは思えない。一時的に目指す価値はあっても、全人生の目標とするほどのものだろうか?
いかなる目標だってそうなのだと思う。いかに執着して達成しても、それだけになおさら次の目標が必要になる。達成して満足する目標なんて無いからだ。
どうも彼女達を見ていると、苦しそうに見えて仕方がない。

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