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2006.02.14

混んだ道で携帯を使う意外な理由

込んでいる通路で携帯電話を見ながらノロノロ歩く人、歩きながらタバコを吸う人、電車の中など、隣に人がいるのに大股広げて座る人、周りに人がいるところで足を踏み鳴らしたり、ものを突付いたりして不快な音を出し続ける人・・・。
私は、これらの人を最近まで知的欠陥と見なしていたのだが、どうも違うと分かってきた。
なんと、彼らはあまり自覚はないかもしれないが「人に迷惑をかけたい」のである。

試しに、これらの人に注意してみると良い。程度の差はあっても彼らの方が怒るし、怒りを爆発させる人も珍しくはない(やってみたんだけどね^^;)。
この怒りとは何かというと、「家来に注意された王様」と同じと思う。何をしても良いはずの王様が、その行動を家来に批判されると当然怒るであろう。

彼らは王様なのである。どういうことかというと、赤ん坊を「我が家の王子様」「我が家のお姫様」と言うだろう。
王様の手の動きひとつ、あごの動かし方ひとつで家来は王様の指示を解し、すぐに実現させる。赤ん坊も、泣けば乳が与えられ、オムツを替えてもらえる。本質的に赤ん坊は王様である。少し育てば、ベッドからおもちゃを放り投げ、親に拾わせて喜ぶ。このように、ある時期までは王様であるが、やがてまともな親はいくらかの赤ん坊の要求を拒否する。もっと大きくなると、やってはいけないことをしようとすると、手を叩かれたりし、赤ん坊は自分が王様でないことを理解する。

しかし、赤ん坊の頃の王様の身分の記憶は意外に残り、ある程度大きくなった子供が赤ん坊に戻りたいと思ったり言ったりすることもある。
必要以上の要求がかなえられ、甘やかされて自我の確立が遅れている子供ほど、いつまでも王様のように傲慢に振舞う。自我の確立が遅れているというより、赤ん坊の自我が残っているのである。
こんな人は、無自覚であっても、自分は王様のようなものと思っているが、学校や職場に入るようになると、その思い込みと反することが多く、幼稚な自我が満足できない。
その赤ん坊のような自我を満足させるには、人に迷惑をかけ、自分は王様だから当然それが許されるという態度を取るしか方法がないのである。
彼らは人に迷惑をかけることをしながら、平然としたり、「何が悪いんだよ」という態度を取ることが嬉しくて仕方がないほどの快感なのである。それが彼らの王様の証明なのである。
暴走族など最たる例である。夜中に爆音を響かせ、道路に混乱を起こさせて平気でいることが快感なのである。逆に言えば、そういったことでしか満足が得られないのだ。
彼らに暴走行為の理由を聞くと「スピードに命をかけるのが楽しい」とか言うが、全くの嘘である。暴走族の車はなかなかの高級車が多い。当然、親に買ってもらったものであるが、このように甘やかされ、いつまでも赤ん坊でいることが引き起こしたものなのである。

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