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2006.01.06

芸術は何から生まれるか?

今回は、ちょっとヤバい話をするかもしれない(マジですか~)。

芸術に狂気は必要であろうか?
横尾忠則は「絶対に必要」と言うし、池田満寿夫は「自分には狂気はない」という。
しかし、池田満寿夫の子宮回帰願望を狂気と見るかどうかの問題があると思う。
いや、そもそも狂気とは何であろう。それは絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎない。2つの集団があり、それぞれが異なった常識(所詮は偏見なのだが)を持っている場合、片方の集団の構成員がもう一方の集団に行けば狂人とみなされるようなものである。
以上の前提のもとであえて断言すれば、

芸術は性倒錯から始まる

のである。
まず、性倒錯とは何かということであるが、「倒錯」とは「社会規範から外れた行動や嗜好」という意味である。即ち、性に関する狂気である。そして、よくよく考えれば、そもそも性倒錯でない人間なんているのであろうかと思い当たる。
多くの場合、性倒錯は狂気であるという性質上、押さえ込まれざるをえないものである。しかし、押さえ込まれたものは噴出してしまう。そうでないと、狂気の宿主たる人間を苦しませ続けるからである。押さえ込まれた性倒錯の美的表現としての噴出が芸術なのである。
ちなみに、写実画は職人芸であり、芸術ではないので狂気は必要ないし、狂気を表現してはならない。
岡本太郎は「誰でも芸術家になれる」と言い、さらには「あなたも、本日、ただいまより芸術家になれる」と言ったが、その真の意味は言わなかったし、本人も分かってはいなかったかもしれない。しかし、性倒錯のない人間は存在しない以上、確かに誰でも芸術家になれる。ただ、加えてその抑圧が必要であり、芸術家はなかなか楽ではないであろう。

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