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2006.01.05

ロマンスの起源は意外なもの

1月3日の新撰組続編を途中まで見た。この中で、土方歳三が言った「近藤さんは信念の人だった」というセリフが心に残る。「信念の人」・・・なんと曖昧な言葉だろう。
なんとなくカッコいいし、格調高い感じがしないでもない。しかし、もっと分かりやすく言うと、「信念の人」とは「1つの偏見を守り通した人」というだけのことである。このこと自体は、悪くはないが、とりたてて良いことでもない。
土方以下、近藤勇を慕う新撰組は、近藤の偏見に心地よく同調していただけのことである。

アニメ「犬夜叉」の一番最初の主題歌「Change the world」の歌詞に「きみと出逢えた時、本当の居場所見つけた」という部分がある。これも言い換えるなら、「自分と同じ偏見を持つきみに出逢い、これまで誰にも肯定されなかった私の偏見を肯定してもらった」という意味である。

芸術の世界では、ピカソやダ・ヴィンチの評価が高い。しかし、それも単なる偏見かもしれない。そうはいっても、昔、初めて欧米でピカソ展が行われた時でさえ大変な行列ができたではないかという反論もある。しかし、偏見とは集団化するものなのである。
また、日本でピカソ展が人気になるのは、欧米とは事情が違うように思う。日本人がピカソを高く評価する偏見を持っているとは考えにくい。単に、西洋で絶対的評価を持つピカソを分からないながら外面的に認め、自分も、あるいは、日本人もピカソが分かるのだぞと、西洋人に、そして自分自身に思わせたいだけかもしれない。
ピカソが裸の王様でないと誰が言い切れるであろうか?

「本当の自分探し」なんてよく聞くではないか。こんなことを大っぴらに言える国であることは良いことかもしれない。しかし、これも的確な表現を用いるなら「自分の偏見を認識する」という意味である。そして、それは大変に難しい。人間の持つ偏見は他人には気付きやすいが、自分では分からないものである。だからこそ、自分の偏見を肯定された時、相手を女神か何かのように感じるのである。

尚、特にインドや中国で目立つが、聖者や賢者には、偏見を打ち破った先に真の自己があると説く者がいる。釈迦や荘子がそうであるし、近年では南インドの聖者ラマナ・マハリシの本を読んだことがあるが、まさにテーマは「(真の)私とは何か?」である。また西洋人でもヴァーノン・ハワードがそれを実現する(まやかしを打ち破り、真の自己に目覚める)教えを説いている。
もしそれを達成すればどんな良いことがあるのであろうか?我々で言えば、日本の、住んでいる地域の、学校の、会社の支配的な偏見に従う方が(一見)楽に思える。
もしかしたら、キューブリックの名作SF映画「2001年宇宙の旅」のように「素晴らしいこと」(それは何だ?)があるのかもしれないが・・・。

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