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2006.01.18

宮崎勤の死刑判決に思う

宮崎勤の死刑が確定した。つまり、争点であった宮崎の心神喪失は認定されなかったということである。
この事件と判決で、私は佐川一政氏を思い出さざるをえない。
宮崎勤の犯行の7年ほど前、フランス留学生であった佐川氏は、同じく留学生であったオランダ人の女子大生をピストルで射殺。死体を切断し遺棄するも、心神喪失が認定され無罪となった。佐川氏はその後、作家となり、現在も創作活動を行っているはずだ。
佐川氏の目的は殺人そのものではなかった。彼には人肉を食べたいという強い願望があり、殺した女子大生の遺体も実際に2日に渡って食べていた。つまり、ただ食べたかったので殺したとする説に根拠があると思われる。
佐川氏は、映画でグレイス・ケリーを見て「西洋の女性はあんなに美しいのか!」と感動したようだ。その西洋女性への憧れと彼の人肉食願望が結びつき、犯行に及んだとも言われることがある。
佐川氏は知的な人間である。家庭も裕福であり、フランス留学も希望すれば叶うという恵まれた環境であったが、極めて小柄(150Cm)で本人がいうところ容貌に恵まれなかったようで、精神分析の専門家によると、それにより抑圧された性衝動が人肉食願望という歪んだ形で現れた可能性があるとのことである。
佐川氏は現在では悔いているようであるが、事件当時は罪悪感を感じていなかったようである(詳細は佐川氏の著書「霧の中の真実」鹿砦社)。
宮崎勤も演技ではなく、罪の意識は持っていないと思う。
このような裁判では、よく被告の「責任能力」が問われる。それは、「その行為が悪いことであると認識できた」ということが罪を問う前提であることを意味する。ところが、宮崎勤には、実際のところ、それはないと思う。
で、宮崎は器質的な(例えば脳機能の)欠陥でもあるのかといえば、それはないと思う。心神喪失でもない。完全に正常な人間でありながら、あのような残虐なことができるのである。罪の意識なく。
そして、それはどんな人間にもあり得ることであるかもしれない。私はそう思う。

日本では他人のものを勝手に持っていけば泥棒であるが、そうでない国もある。現実にそんな国で警察に訴えても「自分のものを自分で管理しないあなたが悪い」と言われ、それがその国での常識である。昔の日本では武士による切捨てご免は事実上罪にならなかったし、それは外国でも珍しいことではない。これらは社会通念や教育の問題であるが、精神の抑圧により想像できないような影響をその人間に与えることもある。
宮崎は何も悪いことをしたと思っていないまま死刑になる。それを「責任能力があったから死刑にする」というのも釈然としない。責任能力など関係なく、被告の生活する社会では存在を認められない種類の人間であるから排除すると正直に言った方が納得できる。
そして、どんな人間にだって一般人から見て異常な人間になる可能性はある。認めたくはないが、宮崎は悪魔ではなく普通の人間である。

学習塾の京進で学生講師が女子小学生を殺害した後、TVのインタビューで子供を持つ親が「もう子供をどこにやれば安全か分からない」と言った。安全な場所などどこにもない。そう考えないと、被害者は減らない。私はそう思う。

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