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2006.01.31

何かおかしい裁判官と報道

16人の児童に猥褻行為を行った男に裁判官が「卑劣な行為であり・・・」と言い、ホリエモンは「違法との認識はない」と言い、女子大生を泥酔させて集団暴行した京大生は「パーティーとはそんなものだと思っている」と言った。

何かおかしい。裁判官や報道の方がである。
こういった判決文の補足や報道の裏には、犯罪者に罪の意識を持って欲しいという期待が見える。
それが絶対におかしい。彼らに罪の意識は無いのだから。

彼らが非難されるのは、法律違反という点においてであり、倫理や道徳に照らし合わせることは全く場違いである。
そして、彼らの倫理観や道徳観が異常ということもないのである。彼らは自分(達)の道徳観や倫理観を持っているのだが、それが日本での一般の倫理観や道徳観に合わないだけなのである。彼らの世界では、鍋パーティーに来た女の子を集団レイプしても、何ら悪いことではないのである。
彼らに一般的倫理観を持ってもらう必要はないし、それは多分不可能だ。彼らには、自分達の世界の常識と日本社会での常識の違いを理解してもらい、それを逸脱したら犯罪者として扱われることを認識してもらえば良いのである。そして、それが無理なら社会から追放するしかない。

ホリエモンの「法律に触れなければ何をやってもいい」的発言を非難する者もいるが、法に触れなければ何をやっても良いのである。そしてホリエモンは法に触れていたから逮捕されたのである。法に触れていることを見抜くべき立場の者が非難されるべきなのである。
ついでに言うと、ホリエモンを改革者として評価するというのも完全におかしい。彼は何も改革していない。不正で金を儲けただけである。ライブドアと同じ2000年にマザーズに上場し、昨年東証一部に上場したソフトブレーンの宋会長がNewsweek誌に言った通りである。
『改革は彼のおかげだというのは、泥棒のおかげで警察がよくなったというのと同じだ』

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2006.01.29

人間は結婚しない方が自然

人間は結婚するようにはできていないように思います。
世間では、
「結婚してこそ一人前」
「結婚していないと軽く見られる」
「家庭を持たない者は、人生の半分しか知らないのだ」
「子供を育てないと分からないことが人生にある」
と言われます。

全部大嘘です

実は、これらほとんど脅迫的な主張こそが、本当は人間は結婚すべきでないことを示しています。
なぜなら、人間が自然に結婚すべきものなら、こんな決まりきった押し付けが出てくることは無いはずです。自然なことなら、誰もそれを行うことを敢えて主張はしないはずです。

それに、結婚しているロクデナシが大勢いるなら、結婚してない立派な人物もいくらでもいます。
本当は結婚しない方が豊かな人生を送れる可能性は確実に高い。しかし、結婚以外に子孫を残す良いシステムはなかなか難しく、文化的洗脳として結婚を強制しているに過ぎないわけです。
子供を作っても老後が安心ということは絶対にないです。むしろ、子供に使うお金を貯めておいた方が確実です。
子供の成長が最大の喜びというのも大嘘です。自分を最大に成長させることに勝るものはありません。

日本でも江戸時代あたりにはあったらしいですが、どこの子か分からなくても食事を与えていましたし、そもそも、どれが自分の子供か分からないことも珍しくありませんでした。
子供なんかにそんなに構っていられなかったこともありますが、自分の子供以外はどうなっても良いという考えもありませんでしたし、自分は自分、子供は子供と区別し、大人も子供も自立していました。今後のヒントになる生き方ではないかと思います。

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2006.01.28

天使が存在する訳

天使の存在について語るような本もいろいろありますが、論理思考ガチガチのシステムエンジニアの私でも、「天使は存在する」なんてごく自然に認めます。
横尾忠則さんのアートワーク集である「天使の愛」(講談社)の序文に、武蔵丘短期大学教授の鎌田東ニさんが、進学塾で講師をしていた時、教室にいた小学5年生の少女を天使と確信した話がありますが、あの体験がまさに天使を確認する時の状況を的確に描いていました。私にも同じ経験は何度もあります。
アニメ「ぴたテン」で、天使である早紗が「天使も悪魔も人の想いの中でしか存在できないの」と言ったとおりと思います。極端にいえば「人の心が天使を創る」わけです。もっと適切には、人の想いが世界を作るというのも神秘思想ではなく真実と思います。
20060128

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若い時の冒険的活動は本当に良いか?

若い頃の冒険(並外れた行動の意)は良いと聞きますが、それをやった典型ともいえる宮本武蔵は、やたら自信があるため融通の利かない独断家になり、晩年、安楽な生活を希望し士官を求めるも、その人間性の欠陥でうまくいかずでした。今ならなおさらですが、転職を繰り返して実力をつけた人にもそんなタイプは多いように思います。
武蔵は、息子(養子)に武芸を教えず、バランスの取れた人間になるよう導いたように、本来は優秀な人で、彼の書いた「五輪書」は日本は勿論、海外でも読まれていますね。
20060128

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2006.01.27

現在のNHKに公共性など期待していない

NHKが「公共放送の役割」をスローガンに、その存在意義を主張している。
しかし、言うまでもなく、国内のTV放送は全て公共性を有している。NHKが言う「公共放送ならではの公平性、客観性、お客様本位」などは、別にNHKに限らず当たり前のことである。

ところで、真実は、

公共放送が最も公共性がない

のである。
いかに国民本位のポーズを取っても、本当のスポンサーである国家の思想、すなわち文化的偏見を色濃く反映せざるをえない。それを公共性と言うなら思想コントロール、即ち洗脳と言わざるを得ない。
ただ、安定した国家の建設には文化的洗脳が必要ということは否定できないかもしれない。その意味では、戦後、NHKの果たしてきた役割にも意味は無いとは言えない。
しかし、それもいまやあまりに歪んでしまったことは周知の通り体質が示している。相変わらず世界との温度差が縮まらないのも、NHKみたいなものが依然、放送の王様に君臨している影響もないとは言えない。
NHKはあっても良いが、規模を現在の3割程度に縮小し、民放では視聴率が取れないために製作できない番組であっても重要なものを、(NHKの判断ではなく)民放の依頼や国民の希望により製作すれば良い。それこそが国家放送としての公共性である。

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2006.01.26

孫はなぜ可愛いか?

6年以上前だが大泉逸郎さんの「孫」が大ヒットした。
歌いだしの歌詞は「なんでこんなにかわいいのかよ」だったと思う。
質問形なら返事すべきと思うが、答えは、

単にそう(孫を可愛いと思い込むよう)条件付けられているからである。
洗脳と言っても差し支えないかもしれない。

である。
こんなことを言うと、「アンタ、間違ってる」という自分の感情を塵ほども疑わず、人でなしを見るような顔で攻撃してくる者も多いかもしれない。
しかし、私は、かなりの確信を持って、「孫は可愛いものだと思い込まされている」に過ぎないと思っている。

孫を少しも可愛いと思わない老人というのはかなりいるが、これらの人が人格上の欠陥があるとか、もうろくしていると言えるわけではない。
可愛くないとはいっても、必要ならちゃんと面倒を見るし、孫を楽しませるよう努力したり、お土産を買ってあげる場合も珍しくはない。それで孫が喜べば、やはりそれなりに嬉しいのである。また、いるはずの孫が見当たらないとちゃんと心配する。
しかし、孫に会わないなら会わないで別に構わないし、一緒にいて心躍るわけでもない。むしろ、あまり世話する時間が長いと、素直に嫌がる(無論、孫や両親への気遣いはする場合が多い)。
間違っても、孫の写真やビデオ映像を他人に見せて自慢することもない。
よく考えると、こちらが正常かもしれない。

親、特に母親は一生子供を気遣うのが普通で、それこそが海よりも深い母の愛と思っている人も多いと思う。
しかし、これも本人は無自覚だろうが、母親が後天的に思い込まされたものだと思う。

こんな親はむしろ弊害がある場合が多い。子供をいつまでも束縛し、子供の方もなかなか家を出ず精神的(あるいは経済的に)自立できない場合が多い。
むしろ、子供がある程度の年齢になればごく普通に全く束縛や口出しをせず、15・6にもなれば家を出ても別段不思議ではなく、取り立てて心配しない。親がそう思っているから子供も早く自立する。
それでいて、たまに会えば結構仲が良いのである。

なぜ子や孫に非常な愛情(執着)を持つよう条件付けるような精神のプログラミングが行われるのかはよく分からないが、やはり人間の子供はあらゆる動物の中で著しく自活能力がないため、長きに渡り親にその面倒を見させ、万一親に不都合がある場合には祖父・祖母が代理を務めることができるよう、このような条件付けが必要であり、それが様々な文化で多少の違いはあるにせよ、子や孫に強い愛着が存在するかのように思い込ませてきたのかもしれない。

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2006.01.25

女の子を天使に譬える訳

恋愛は本能的なものであると思われているだろう。しかし、実は宗教的感情という説もいくらかある。
神やイエスやマリアの代わりに、一人の異性を神のように崇め敬うことにより心の安らぎを得るというもので、それでいえば、好きな女性を天使、女神に譬える習性も理解できる。
これは理想の美少女アニメキャラに萌える男の子にも似ているが、自分が女神であるという心得のない女の子と初めて付き合うと、あまりに人間であることに驚き、失望するかもしれない。

20060124

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2006.01.24

風説の流布

ライブドア事件で「風説の流布」なんて面白い言葉が知られるようになった。
虚偽の情報や未確認の噂を流布する(世間に広める)ことを言い、証券取引法によって禁止されている行為である。

で、ライブドアや証券とは全く関係ないところでも、「風説の流布」なんてあまりにありふれている。「占い」なんてその典型であると思うが、むしろ風説の流布でないことを探す方が難しいかもしれない。別の言い方では「洗脳」であろう。

で、今回は、変わった「風説の流布」にスポットを当てよう。それは、

若い男性の部屋にはエッチな本やDVDが必ずある

というものである。
古くは、漫画「めぞん一刻」で五代君の部屋にいっぱいあったのが暴露され、シティーハンターの冴羽獠(さえば・りょう。難しい字だ)の部屋にもエッチビデオ(当時はDVDはなかった)が大量保管されていた。福山雅治が若い頃(今も若いが)出演したドラマでも、彼の演ずる若者はエッチビデオを愛用していた。

こういったストーリーを組み入れることで、世間に「そんなもんだろ」「やっぱりな」という風説が流布されると共に、エッチな本やビデオが好きだが気弱な青年が「あんないい男(五代君もある意味いい男だ)でもやはりそうなんだ」と安心することで、漫画やドラマの好感度も上がる(これらの読者、視聴者も無視できないのだ)。

しかし、これらはやはり風説であり、真実ではない。
まあ、ずいぶん前から、青年誌と言われる漫画雑誌や週刊雑誌等にもかなりエッチなグラビアが普通に載っているが、限度以上に猥褻な(私も詳しいわけではないが(笑))ものを集めている青少年はそんなにいない。モテる男ほど、やはりそうである。

ただ、エッチなグッズの収集が悪いという話をしているのではない。
それら風説による、1つの大きな効果として、青少年の「自己嫌悪感の緩和」がある。
イエスのように「邪な目をもって女性を見れば姦淫したも同じ」なんて戒めを気弱な青年が聞けば自己嫌悪に陥る。しかし、「いい男、健康な男もみんなそうなんだ」という風説が流布すると気楽になるというものだ。
ところが、この自己嫌悪なんて奇妙なものだ。なぜこんな感情が起こるのかというと、

自分は高尚な人間だと誤解している

からなのだ。その高尚なはずの自分と、エッチな本やDVDを集める自分との差に悩んで自己嫌悪するのである。
妙な話である、エッチな本を集める自分が本当の自分であり、そんなことをするはずのない高尚な自分は作り物の幻想なのだ。
世間でよく「自分探し」とかいうが、こういった本当の自分を認識することが自分探しであるはずなのだが・・・。

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ライブドア崩壊に寄せて

ライブドアも終わりである。
町の声で、ホリエモンに期待していたというのがよくあるそうだが、しかし、ホリエモンに何を期待するというのだろう?
実際、ホリエモンは何ができるかというと、何にもできない人なのだ。
ライブドアもホリエモンも、ITの実力なんか絶対に無いのである。

ホリエモン逮捕を聞き、私は不意にヘンリー・フォード自伝「藁のハンドル」を読みたくなった。フォード自動車創業者のフォードの自伝である。
フォードは「ものを作る、販売する、サービスを提供するといったことを行わず、金融や投機的手段に走ると必ず破滅する」と言った。米国でも日本でも、バブル崩壊後はこの本が見直された。
しかし、同じことを繰り返す馬鹿がやはりいたというだけのことだ。

今、株取引やアフェリエイトが人気がある。もちろん、これらも企業や人々に貢献する一面もあり、決して悪いものではない。しかし、これらは二次的に行うべきものである。
何十億儲けたって充実感なんかない。いつまでも抜けられなくなり、やはりいつかは破滅するだけかもしれない。

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2006.01.22

ITスペシャリストが語るライブドア事件の本質

皆さんは、ライブドアや楽天、あるいは、サイバーエージェントといった会社がIT企業であると思っておられるだろうか?
それは、佐川急便がトラックの会社であると言うのと同じくらい的外れなことです。
ライブドア自体に特別なITテクノロジやノウハウなんて全然無いですよ。
ライブドアがフジテレビに「ITと放送の融合」なんて企画を持って行っても、フジテレビはそのあまりの稚拙な内容に呆れたはずです。それが証拠に、フジテレビは今、全然慌てていない。むしろ、アホな提携を解消できると喜んでいるはずです。ライブドアとの提携に何の興味も無かったというのはフジテレビの本音なわけです。
ソフトバンクはオーナーがテクノロジを愛する本当のIT企業です。楽天はIT企業とは言えませんが、インターネットで社会貢献しているとは言えます。これらの企業は磐石です。ただ、楽天は今後次第では危ないような気はします。
楽天市場がなくなったら困りますが、ライブドアポータルやライブドアブログが無くなったところで誰か困るでしょうか?迷惑はかかるでしょうが、無いなら無いで良く、ライブドアの主張する社会の公共物として必要不可欠なんてことはありません。

他にも偽者の「IT企業」はすごく多いです。
マニアに毛の生えた程度の自称コンサルタントが、やたら横文字並べて、中味のないノウハウで儲かるような幻想を押し付け、法外なお金を取ってたりするんです。
200万もあれば出来ることに5000万取るなんてザラですよ。
彼らは顧客の利益なんか全然考えていません。テクノロジにも興味がありません。儲けることしか考えていないのですよ。
特に企業オーナーの方は十分注意して下さい。

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2006.01.21

プラトニックラブ

意外な話だが、日本では明治以前は清純可憐な乙女というものは全く人気がなかった。
当然、プラトニックラブのようなものもなく、恋愛という言葉が出来たのも明治以降である。これらは西洋からの輸入であり、キリスト教に起源を持ち、最初は日本人には不可思議な概念だったに違いない。
20060121

で、その江戸時代に人気のなかった清純可憐な乙女の艶姿(?)を描いてみました。
絵をクリックすると大きな絵が出ます。

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2006.01.20

人類は鳥類以下、昆虫並?

人類以外の動物の世界に、もしグラビアなんてものがあれば、登場するのはほとんどが男でしょう。孔雀でもオットセイでも、ボディの立派さや美しさをアッピールするのはオスですので・・・。
アリやミツバチのような昆虫、あるいは深海魚ではメスが立派ですね。人類は昆虫並?(笑)
ただ、人類でも、男が化粧して踊り、それを女が美しさで選ぶ民族もあるらしい。

20060119

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2006.01.19

アメリカは今後も戦争を繰り返す訳

イラク侵攻の結果、米国内においてもブッシュの支持率が低下し、暴露映画まで制作されるなど、一見、ブッシュ政権には散々な結果をもたらしたかに見えた。しかし、なんということもなくブッシュ政権は人気を回復してきたように思える。
これだけ痛い目をみたアメリカはもう戦争を繰り返さないか、少なくともその可能性は減ると思われるだろうか?

全く逆である

アメリカはもともとが戦争を繰り返してきた国であるが、戦争をせざるをえない国である。そして、今回のイラク侵攻による国内外の批判が激しいほど、アメリカは戦争をせざるをえない。
なぜか?
イラク侵攻の批判をどれだけ受けても、米国政府は戦争の正当性を主張する。なぜならアメリカは自由と正義の国である。スーパーマンは「真実と正義とアメリカンウェイ」のために戦うのだ(このキャッチコピーは有名なスーパーマンの大義)。自らの間違いは絶対認めない。
つまり・・・アメリカは今後も正義のためを謳った戦争をして、イラク侵攻を含めた一連の戦争の正当性を主張し続けざるをえないのだ。
アメリカはその昔、アメリカ大陸の原住民を大量虐殺した直後に「自由と民主主義と平和」をスローガンに独立した。この大矛盾を正当化するためには、正義の戦争を繰り返し、アメリカの行為が正しかったことを国外に、そしてアメリカ自身に納得させる必要があるのだ。
紅白で抜けた顔で「くりかえさないで」と歌ったり(誰だ?)、「戦争反対」と言うだけで戦争がなくなるはずがない。
ムーア監督の映画も恐ろしいことに逆効果なのだ。それも破壊的な・・・

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2006.01.18

宮崎勤の死刑判決に思う

宮崎勤の死刑が確定した。つまり、争点であった宮崎の心神喪失は認定されなかったということである。
この事件と判決で、私は佐川一政氏を思い出さざるをえない。
宮崎勤の犯行の7年ほど前、フランス留学生であった佐川氏は、同じく留学生であったオランダ人の女子大生をピストルで射殺。死体を切断し遺棄するも、心神喪失が認定され無罪となった。佐川氏はその後、作家となり、現在も創作活動を行っているはずだ。
佐川氏の目的は殺人そのものではなかった。彼には人肉を食べたいという強い願望があり、殺した女子大生の遺体も実際に2日に渡って食べていた。つまり、ただ食べたかったので殺したとする説に根拠があると思われる。
佐川氏は、映画でグレイス・ケリーを見て「西洋の女性はあんなに美しいのか!」と感動したようだ。その西洋女性への憧れと彼の人肉食願望が結びつき、犯行に及んだとも言われることがある。
佐川氏は知的な人間である。家庭も裕福であり、フランス留学も希望すれば叶うという恵まれた環境であったが、極めて小柄(150Cm)で本人がいうところ容貌に恵まれなかったようで、精神分析の専門家によると、それにより抑圧された性衝動が人肉食願望という歪んだ形で現れた可能性があるとのことである。
佐川氏は現在では悔いているようであるが、事件当時は罪悪感を感じていなかったようである(詳細は佐川氏の著書「霧の中の真実」鹿砦社)。
宮崎勤も演技ではなく、罪の意識は持っていないと思う。
このような裁判では、よく被告の「責任能力」が問われる。それは、「その行為が悪いことであると認識できた」ということが罪を問う前提であることを意味する。ところが、宮崎勤には、実際のところ、それはないと思う。
で、宮崎は器質的な(例えば脳機能の)欠陥でもあるのかといえば、それはないと思う。心神喪失でもない。完全に正常な人間でありながら、あのような残虐なことができるのである。罪の意識なく。
そして、それはどんな人間にもあり得ることであるかもしれない。私はそう思う。

日本では他人のものを勝手に持っていけば泥棒であるが、そうでない国もある。現実にそんな国で警察に訴えても「自分のものを自分で管理しないあなたが悪い」と言われ、それがその国での常識である。昔の日本では武士による切捨てご免は事実上罪にならなかったし、それは外国でも珍しいことではない。これらは社会通念や教育の問題であるが、精神の抑圧により想像できないような影響をその人間に与えることもある。
宮崎は何も悪いことをしたと思っていないまま死刑になる。それを「責任能力があったから死刑にする」というのも釈然としない。責任能力など関係なく、被告の生活する社会では存在を認められない種類の人間であるから排除すると正直に言った方が納得できる。
そして、どんな人間にだって一般人から見て異常な人間になる可能性はある。認めたくはないが、宮崎は悪魔ではなく普通の人間である。

学習塾の京進で学生講師が女子小学生を殺害した後、TVのインタビューで子供を持つ親が「もう子供をどこにやれば安全か分からない」と言った。安全な場所などどこにもない。そう考えないと、被害者は減らない。私はそう思う。

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2006.01.17

天使が飛べる訳

何で読んだのか忘れてしまいましたが、

天使が飛べるのは自分を軽く考えているからだ

と書いてあったのを見て、妙に感心したことがあります。
たまたま天使が飛んでましたので、デッサンしてみました(笑)。最近の天使はミニで美脚・・・

20060117

追記

天使が飛べるのは、気を楽に持っているからだ
天使が飛べるのは、自分にこだわりがないからである
天使が飛べるのは彼らの心が軽いから
天使が飛べるのは自分たちのことを軽く考えているからだ

G.K.チェスタトン(英国の作家)の言葉らしい。

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2006.01.16

「成功法則」が商売になる訳

日本でも米国でも「成功法則」の本は人気があるようだ。
「成功法則」とは、夢を実現するとかお金持ちになるためのノウハウ書で、誰にでも効果的というものである。
大雑把に言って、成功法則には以下のような2パターンがある(純粋な実務書や、それに近いものはとりあえず省く)。

(1)仕事の心構え、習慣を指導する実践系
(2)「イメージすれば叶う」という神秘系

実際には、この2つが入り混じったパターンも多く、いずれにせよ(2)の神秘傾向が強いものが人気がある。
昔から、「マーフィーの成功法則」や「成功哲学(ナポレオン・ヒル)」などが人気がある。最近では斉藤一人さんや神田昌典さんらの本や成功教材がすごい数であるし、田中孝顕さんの速聴教材の入門書も書店の広い一角を占めていたりする。
この他にもよく出ている本は沢山あると思う。

ただ、結論から言って、これらの本や教材のおかげで成功し、お金持ちになったという人はまずいないと思う。この件については、やはり成功法則書である「成功の扉」(マイク・ハーナッキー著)に、成功法則の本で成功した人はほぼ皆無であるという統計調査が書かれていた(そして、この本もその統計結果に従うことになったはずだ)。
私の確信するところでは、これらの本で成功するどころか、人生をみじめなものにする可能性の方が絶対高い。
しかし、これらの成功法則を信じる人がアホでは決してない。人間とは根本的に神秘的な成功法則を信じやすい性質があることは間違いなく、現在では認知心理学者の統計的証言も多く(もっとも、彼らの理論の方はいまひとつ納得いかないが)、精神分析学的にも説明がつくと思う。よって、成功法則は商売になるのである。

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2006.01.15

芸術家は公認の嘘つき

誰かが「芸術家は公認の嘘つき」と言ったが、うまいことを言うと思った。
宗教家も同じである。
今でも米国では、裁判や政治の重要な宣誓や何かで聖書を本当に持ってきて「聖書に誓って」とか言うのでしょう?
で、その聖書って、海が割れたとか、大量のパンが空中から出てきたとか、死人が蘇ったとかの与太話が載ってるものでしょう?
芸術家も、羽の生えた天使とか、天界の神々を荘厳に描き、宗教の片棒を担いだわけだ。
こんな大嘘を語り、描き、非難されない者達を「公認の大嘘つき」と言わずしてなんと言えるだろう?

だが、ただの嘘つきではなく、「公認の」嘘つきであるということが大事なのだ。
なぜなら、人類は確かに宗教や芸術を必要としたのだ。
宗教や芸術がなければ、民衆は無力感で自殺していたはずだ。しかし、「神に愛される自己」「天国を約束された自己」という虚構のセルフイメージを作り上げることで自殺を免れたのだ。

例えば、肖像画といっても、必ずしも完全な写実ではない。実物より荘厳に輝かしくノーブルに描くものだ。これにより、モデルのセルフイメージを高めるところに肖像画の1つの価値がある。
シューレリスム(超現実主義)絵画は人々の幻想を抱く想像力を高め、やはり偽りの自己の構築に役立ってきた。

だがいまや、宗教や芸術の嘘臭さを知的な部類の人類は気付いてしまっている。新しいセルフイメージ向上の方法をそれぞれが見つけないと、人類は生きる気力を失くす可能性がある。
ロックやスポーツのスターは現役時代は良いが、人々の注目を集められなくなった時はより危なく、宗教に走る者が多いこともうなずける。

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2006.01.14

自殺の本当の原因

昔、子供とのチャンネル争いに負けて自殺した父親がいた。みんな馬鹿にしたが、実はあれこそが自殺の原因を明確に表した例なのだ。正義のため、天下国家のため、愛する人のための一見荘厳な割腹自殺や殉死も、実は全く同じなのだ。
自殺の原因は人生への絶望と言われることが多いが、これは嘘だ。人間は無力感から自殺するのである。
無力感と言っても、無力を決定するのは自分である。結構な難関大学に受かりながら東大に落ちた自分を無力と思う者もいるようなものである。
実は、人間は自殺するようには出来ていない。よって、自殺とは「自らの命を絶つ」というよりは「無力な自分を殺す」ことなのである。
アイドルの後追い自殺も同じである。理想的な人間であるアイドルと比べたつまらない自分を殺したのである。アイドルが自殺した時にその偶像性が輝き、自分もあのようでありたいと思うのだ。

なぜそうなるのかというと、みんな思い当たるはずなのだ。人間は心の奥では自分を神のようなものと思っている。そこまでの自覚はなくても、誰でも「自分は特別だ」と思っているはずだ。どんなつまらない人間でも(つまらない人間とはという定義も難しいが)全く変わらない。
ところが、自分の無力を徹底的に思い知らされた時、この神である自分と現実の自分の違いに耐えられず心は分裂する。ここで、現実を無視して自分を高く高く持ち上げる誇大妄想になるくらいで済めば良いが、なまじ知的であるためにそれができない場合、神である自分を選択するには、現実の自分を殺すしかないのである。
自殺を考えたことがある者が、誇大妄想癖に陥り易いのはそのためである。みなさん、くれぐれも自殺を考えたことがある話はしないように・・・

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2006.01.13

韓国・中国がしつこい訳の考察

日本人は「心機一転」「初心に帰って」という言葉が好きだ。
新年には「新たな気持ちで」となる。
ただ、欧米にはそんな考え方はないらしい。もちろん、欧米人にも「今年の目標」とかはあるが、あくまでこれまで通りの時間経過の中のことでであり、新年に最初からスタートするという感覚はない。よって、欧米人には忘年会が理解できない。

日本には年号があり、現在は平成だが、欧米人にはそんな制度は不可思議だ。彼らは、人類最大のスーパースターが誕生した年を起点とした暦を執拗に保持する。そして、イエス以上のスーパースターは登場しない。なぜなら、イエスの実際がどうという問題ではないので、どんなに凄い人物が誕生してもイエスには適わないことになってしまうからだ。
そして、過去の日本では、年号はもっと「コロコロ」と変わった。悪いことが続いても「心機一転」とばかりに年号を変えた。

日本人はしょっちゅう「心機一転」するのであっさりしている。受けた被害は比較的長く憶えているが、与えた被害については「何をいまさら」と「時効」を強調する。
3年前に貸した3万円を請求したら「セコいヤツ」と思われる。これは、貸した方も意外と「もういいや」となることが多い。
最近ではもう稀かもしれないが、戦後長く、米国は「真珠湾を忘れない」と言い続けたが、日本人が「何を!原爆を忘れないぞ」と言い返すことはあまりなかったと思う。被害についてそうなら、加害についてはなおさらそうで、戦争責任と言われてピンとこない性質が日本人にはあり、これが国際的に非難を受けることもある。
中国や韓国にも年号はあるが、中国のものは純粋に国名が定まった年が起点であり(現在、中華人民共和国58年)、実際は常に現在の年号が未来永劫続くと思っている。韓国のは、なんと西暦以上に長い4千年以上のものである(現在、檀紀4339年)。
よって、中国や韓国がしつこいのは当然かもしれず、日本による戦争被害もまだまだ鮮明である。靖国問題など、日本と諸外国との意見の相違には、このような感覚の相違も影響していると思う。

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2006.01.12

線画の良さとは

「池田満寿夫の人物デッサン(河出書房新社)」という素晴らしいテキストがある。
この中で、池田満寿夫さんは「石膏デッサンは弊害多し」と書いている。
その理由であるが、数行の短いものといったものではなく、また、深い意味が込められているように思うし、極めて重要なことが書かれていると思った。

20060112

デッサンといえば基本的に線画であるが、線画というものをよく考えると、石膏デッサンをやたらに採用するのはいかがなものであろうかという趣旨に思えた。
つまり、線画は絵画の原点のようなものであり、本来、その表現方法も目的も多様多彩なものである。確かに、覚え書き、習作、訓練としてのデッサンもあるいが、それ自体で作品であるデッサンもある。池田満寿夫さんは他の本でも度々、作品としてのデッサンに触れ、その中には極めて優れたものがあることを語っている。
壁画も線画であるが、本物以上のリアリティを表現したものもある。岡本太郎さんもよくそんなことを書かれていたように思う。
よって、線画の表現方法というものが一様であるはずがなく、こうでないといけないという描き方は絶対ないとする。

このテキストで池田満寿夫さんは自分で描いた多数のデッサンを披露し、さらにその制作過程を晒している。決してこういうふうにやれというのではなく、本来、見せるべきものでない(見せたくない)ものを見せるのは、これをヒントにして読者は自分の方法を見つけて欲しいとあった。
決して上手いデッサンではなかったと思うし、モデルを前に「どうしても似てこないので、似せようとするのをやめた」とか、なかなか親しみやすい。これを見て、「自分にもできるという自信や勇気を持っていただきたい」とある。
やはり池田満寿夫はホットなナイスガイと思った。
で、線画を描きましたが、ついでに簡易に色を塗ってみました。

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人類の大半が悟りを開くと何が起こるか?

「悟り」を開くとは何であろう?
英語で“be spiritually awakened”となり、日本語でも「正覚」などというが、精神が真に目覚めた状態ということらしい。
米国の光明思想家ヴァーノン・ハワードの言う「この世の幻想を打ち破り、真の自己に目覚めた状態」であるし、南インドの聖者ラマナ・マハリシの言った「心が作り出した幻(マーヤ)を消滅させ真の自己(アートマン)の内に住むこと」らしく、なんとなく雰囲気が分かるような気はする。
要は、人間というものは、本当の自分の状態ではなく、幻想のようなものに縛られて苦しみながら生きているものらしいが、そのような幻想を捨てれば、仏陀やキリストのような状態になれるものらしい。

ところで、もし人類の大部分が「悟り」の状態になったらどうなるであろうか?天国のような素晴らしい世界が出現するのであろうか?
そうかもしれない。しかし、1つ予想されることは、もしそうなったら、

人類は絶滅する

ということである。
なぜそういえるかであるが、釈迦、イエス、そして上にあげたラマナ・マハリシを見ても、本物の聖者というのは子供を作らない。考えてみて欲しい。人間は他の動物のように定期的な発情期があって子供を作るわけではない。男女が互いに惹きつけられる原因は、なんと悟りが消し去ろうとする「幻想」であるのだ。女性に触れることを禁止する男性の宗教的修行者はなんとも大変であるように思う人も多いであろうが、実をいうと、もともとが女に対する幻想を持たないような者に関していえば、別に苦行でも何でもないのだ。
また、俗人の男性であっても精神操作により女性に関する幻想を消し去れば、女性に全く興味がなくなる。
現在では、生身の女性に全く興味のない「萌え男」や(全ての「萌え男」が女に興味がないわけでは当然ない)、いわゆる性的倒錯者とされる同性愛者やフェチなども、特に異常な人間ではない。単に一般人とは持っている幻想の種類が違うだけであるし、歴史的にも同性愛者が多数を占めるという場所はよく存在するものらしい。その地域では、そういった幻想を持ちやすい条件が整っているだけである。

釈迦やイエスは、平和のうちに人類が滅ぶことを願ったのであろうか?

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2006.01.10

アニメが子供を別世界の人にする

現在、9歳以下の女の子に絶対的人気を誇るアニメは「ふたりはプリキュア Max Heart」だが、少し以前では「カードキャプターさくら」であった(その前は「セーラームーン」と思う)。
ところが、この「カードキャプターさくら」は普通の人が見たら「ぎょっ」とする部分が多々あるかもしれない。しかし、それを「ぎょっ」とさせない新常識を子供達に与えた可能性がある。これは日本文化への大きな影響かもしれない。

「一番大切な人」といったら、普通は恋人を思い浮かべる場合が多いと思うし、それも結婚対象に十分なるものであると思う。「カードキャプターさくら」では、この「一番大切な人」というものを大きなテーマとしている。
主人公さくらは、小学4年生(TVシリーズ途中で5年生になり、番組終了後の映画では6年生になった)の活発で超絶可愛い女の子である。そのさくらの「一番大切な人」は同じ学年の香港から来た少年、李小狼(りー・しゃおらん)である。さくらは最初は、高校2年生の好青年、月城雪兎(つきしろ・ゆきと)に憧れており、二人はうまくいきかけていた。小学4年生の女子児童と高校2年生の男子ではいさかか無理も感じたが、それならそれでまだ良かった(?)。実は、その雪兎の「一番大切な人」は、なんと、その親友でさくらの兄である桃矢(とうや)だったのだ。即ち男同士である。しかし、それを知っても、さくらはすんなりと自然に受け入れる(!)。よって、見ている子供達も何の疑いも持たなかったに違いない・・・。
ただ、桃矢も雪兎もゲイっぽいところは全くない。特に桃矢は、さくらの担任の美人教師である観月歌帆(みずき・かほ)が女子大生時代に、中学生でありながら彼女と交際していたというなかなかのものであった。
さらに、その美人教師の歌帆は、さくらのクラスメイトの柊沢(ひいらぎざわ)エリオルという少年と相思相愛、即ち、お互いを「一番大切な人」と認める・・・。

ここまでついてこれたであろうか?(笑)
では続ける^^;

さくらのクラスには、佐々木利佳(ささき・りか)という美少女がいた。彼女は男性教師の寺田先生に憧れていた。ここまではよくある話である。TVアニメではさすがに二人の恋愛は表現されなかったが、原作の漫画では寺田先生は利佳に婚約指輪を贈り(!)、親密なデートも実施していた。そして、そのデートシーンも極めて自然に描写されている。
尚、さくらの両親は、もともとは同じ高校の男性教師と女生徒だったが、出逢ってからすぐに同棲を始め、学校には手をつないで登校したらしい。そのさくらの母親の撫子(なでしこ)は、ちょっと天然ボケなところはあるが、清純さに輝く美少女だった。

断っておくが「カードキャプターさくら」は極めて真面目な雰囲気の漫画で、絵もストーリーもレベルの高い人気作品である。
ただ、作者のCLAMPさん(女性ばかりの4人組)はあらゆる作品で意図的に一般常識を消し去ろうとした雰囲気はある。
「ちょびっツ」では、外見は超美少女である人型パソコン(アンドロイドと同じ)のちぃと、18歳の純朴な青年秀樹が結ばれるハッピーエンド(?)で終わる・・・。
また、その作品で、39歳のケーキ店店長の男性は、以前、人型パソコンの女性と結婚していた。その妻(?)は故障により不調となるが、彼は見捨てず、最後まで大切にするが、ついには交通事故で完全に壊れてしまう。心に深い傷を負った彼にできた新しい恋人は16歳の超健康的な美少女であった。二人はシリアスな展開の末、強く結ばれるが、何の不自然さも感じさせないカップルであった。

以上であるが、私はこれらの作品が特に批判されたということを聞いたことはなく、漫画もアニメも海外に輸出されていると聞く。
人によっては、モラルも常識もあったものではないと感じるかもしれない。私も少しそう思う。しかし、そう感じるモラルや常識と、こういった作品を自然に感じるモラルと常識で、どっちが優れていると果たして言えるか疑問である。
どちらも、単に1つのローカルなモラルや常識かもしれない。

いずれにせよ、あれから数年、いくらか大きくなったさくらファンは、旧世代の日本人と異なる常識を持ったか興味深いものである。

余談である(笑)。
「カードキャプターさくら」の前は「セーラームーン」と書いたが、漫画の「美少女戦士セーラームーン」(武内直子作)の中で、小学6年生の土萠(ともえ)ほたるが、小学1年生のちびうさ(本名は月野うさぎだが、母親であるセーラームーンと同姓同名であることもあり、普段はちびうさと呼ばれる)に「女のコどうしでヘンかもしれないけど、運命の出逢いだと思った」と言い、ちびうさも「あたしもそう思ったよ」と応える。告白成功というわけだが、ほたるはまだ「女のコどうしでヘンかもしれない」と感じている。
しかし、CLAMP作品では何もヘンでないのである。時代は進歩している(?)

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2006.01.09

動物は死を恐れるか?

犬や猫が死ぬことを恐がるだろうか?
それはまずありえない。
しかし、「そうはいっても、死ぬ前の犬や猫は悲しそうだったり、恐がっているように見えた」と言われる方もいるだろう。だが、それはあくまで、人間の側でそう感じるだけである。飼い犬や飼い猫が死ぬのは事故の場合を除き、老衰か病死と思われるが、体力がなくなった弱々しい様子に、人間の感情が重なり、犬や猫も悲しんでいたり、恐がっているように見えるということなのだ。
また、子供を育てている動物の母親が、適うはずのない強敵に勇敢に向かっていくこともあるが、その際にも母親は特に悲壮な決意で立ち向かうわけではない。本能がアドレナリンの分泌を増大させて興奮状態となり、敵と認識したものを攻撃するだけである。
そもそも、なぜ人が死を恐れるのかを考えれば、動物に死の恐怖がないことが分かる。
人間が死を恐がるのは、未来がなくなるからである。そして、未来が分かるのは過去を認識するからである。動物は過去を意識しない。常に現在しかない。

そして、人間でも「勇者」といわれる者には死を恐れない者がいる。そして、意図的に死を恐れない兵士を作ることも行われる。どうやるか?それは、動物と同じで「過去」を意識させないようにするのである。
人間の過去とはなんであろう?所詮は想像でしかないのである。そして、それは圧倒的にマイナスの想像である。うれしい思い出は色褪せる。よって、その喜びや興奮を保つためには、嬉しい出来事の想像を拡張し続ける必要がある。若い頃に決めたサッカーのシュートの距離が自慢するたびに長くなるようなものだ。しかし、悪い思い出は、鮮明でしつこい。そして、ご存知のように、悪い思い出は消そうとすればするほど鮮明になる。
「彼の過去を知る者はいない」といった言葉を聞くと、マイナスの出来事を思い浮かべる人が多いはずだ。
つまり、死を恐れない兵士を作るには、巧妙な手段で過去の悪い思い出を消せば良い。実際には、悪い方だけでなく、記憶そのものを消してしまう。記憶は想像であると上に述べたが、すなわち、想像力を消せば記憶も消えるのである。
宮本武蔵は「我、事において後悔せず」という名言を残したらしいが、これが死を恐れない精神を作ることも納得できる。「後悔」するような悪い思い出を想像上に上らせない秘訣を見つけたらしい。彼の強さは想像に難くない。

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2006.01.08

少子化現象の本当の原因

文化というものは、いかにして男女に子供を作らせるかというところが起源なわけです。
少子化となり、人口減少に向かう日本は、文化の企てが失敗してきつつあります。
昔は、女性は25歳くらいで結婚していないとあせりを感じたり、処女や童貞が馬鹿にされるというのも、子孫を繁栄させるための文化の企てであり、子作りに励ませる一種の洗脳なわけです。で、現在の日本人はそんな洗脳が少なくなってしまった。それで結婚もしないし、現実の女より美少女アニメキャラに夢中になったり、あるいは同性愛がそんなにアブノーマルに感じなくなったりしてきています。良いか悪いかはともかく、古い文化にしがみつく限り、少子化の傾向は間違いなく続きそうですね。

20060108

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2006.01.07

冬来たりなば当分冬

「冬来たりなば春遠からじ」という言葉がありますが、私は子供の頃からこの言葉に強い違和感を感じていました。
正しくは、「冬来たりなば当分冬」だと思うのですが。
冬が来たという現実を見ず、ただ春を待つなんて現実逃避みたいで、どこかおかしいと思っていました。
ただ、類似のニュアンスが感じられる「夜明け前が一番暗い」という言葉は納得できました。そして、何かの目標に到達する少し前は確かに厳しい状況になり勝ちです。しかし、この場合も、この「最も暗い時期」を嫌がらず大事にしたいものですね。

schoolgirl

と言いつつ、春っぽい絵を描いてみる(笑)。
クリックすると大きな絵が出ます。

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2006.01.06

芸術は何から生まれるか?

今回は、ちょっとヤバい話をするかもしれない(マジですか~)。

芸術に狂気は必要であろうか?
横尾忠則は「絶対に必要」と言うし、池田満寿夫は「自分には狂気はない」という。
しかし、池田満寿夫の子宮回帰願望を狂気と見るかどうかの問題があると思う。
いや、そもそも狂気とは何であろう。それは絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎない。2つの集団があり、それぞれが異なった常識(所詮は偏見なのだが)を持っている場合、片方の集団の構成員がもう一方の集団に行けば狂人とみなされるようなものである。
以上の前提のもとであえて断言すれば、

芸術は性倒錯から始まる

のである。
まず、性倒錯とは何かということであるが、「倒錯」とは「社会規範から外れた行動や嗜好」という意味である。即ち、性に関する狂気である。そして、よくよく考えれば、そもそも性倒錯でない人間なんているのであろうかと思い当たる。
多くの場合、性倒錯は狂気であるという性質上、押さえ込まれざるをえないものである。しかし、押さえ込まれたものは噴出してしまう。そうでないと、狂気の宿主たる人間を苦しませ続けるからである。押さえ込まれた性倒錯の美的表現としての噴出が芸術なのである。
ちなみに、写実画は職人芸であり、芸術ではないので狂気は必要ないし、狂気を表現してはならない。
岡本太郎は「誰でも芸術家になれる」と言い、さらには「あなたも、本日、ただいまより芸術家になれる」と言ったが、その真の意味は言わなかったし、本人も分かってはいなかったかもしれない。しかし、性倒錯のない人間は存在しない以上、確かに誰でも芸術家になれる。ただ、加えてその抑圧が必要であり、芸術家はなかなか楽ではないであろう。

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2006.01.05

ロマンスの起源は意外なもの

1月3日の新撰組続編を途中まで見た。この中で、土方歳三が言った「近藤さんは信念の人だった」というセリフが心に残る。「信念の人」・・・なんと曖昧な言葉だろう。
なんとなくカッコいいし、格調高い感じがしないでもない。しかし、もっと分かりやすく言うと、「信念の人」とは「1つの偏見を守り通した人」というだけのことである。このこと自体は、悪くはないが、とりたてて良いことでもない。
土方以下、近藤勇を慕う新撰組は、近藤の偏見に心地よく同調していただけのことである。

アニメ「犬夜叉」の一番最初の主題歌「Change the world」の歌詞に「きみと出逢えた時、本当の居場所見つけた」という部分がある。これも言い換えるなら、「自分と同じ偏見を持つきみに出逢い、これまで誰にも肯定されなかった私の偏見を肯定してもらった」という意味である。

芸術の世界では、ピカソやダ・ヴィンチの評価が高い。しかし、それも単なる偏見かもしれない。そうはいっても、昔、初めて欧米でピカソ展が行われた時でさえ大変な行列ができたではないかという反論もある。しかし、偏見とは集団化するものなのである。
また、日本でピカソ展が人気になるのは、欧米とは事情が違うように思う。日本人がピカソを高く評価する偏見を持っているとは考えにくい。単に、西洋で絶対的評価を持つピカソを分からないながら外面的に認め、自分も、あるいは、日本人もピカソが分かるのだぞと、西洋人に、そして自分自身に思わせたいだけかもしれない。
ピカソが裸の王様でないと誰が言い切れるであろうか?

「本当の自分探し」なんてよく聞くではないか。こんなことを大っぴらに言える国であることは良いことかもしれない。しかし、これも的確な表現を用いるなら「自分の偏見を認識する」という意味である。そして、それは大変に難しい。人間の持つ偏見は他人には気付きやすいが、自分では分からないものである。だからこそ、自分の偏見を肯定された時、相手を女神か何かのように感じるのである。

尚、特にインドや中国で目立つが、聖者や賢者には、偏見を打ち破った先に真の自己があると説く者がいる。釈迦や荘子がそうであるし、近年では南インドの聖者ラマナ・マハリシの本を読んだことがあるが、まさにテーマは「(真の)私とは何か?」である。また西洋人でもヴァーノン・ハワードがそれを実現する(まやかしを打ち破り、真の自己に目覚める)教えを説いている。
もしそれを達成すればどんな良いことがあるのであろうか?我々で言えば、日本の、住んでいる地域の、学校の、会社の支配的な偏見に従う方が(一見)楽に思える。
もしかしたら、キューブリックの名作SF映画「2001年宇宙の旅」のように「素晴らしいこと」(それは何だ?)があるのかもしれないが・・・。

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2006.01.04

トム・クルーズの謎

英国エンパイア誌で、トム・クルーズが最も不愉快な俳優に選ばれたらしい。
なぜそうなるかといえば、彼が熱心に信仰する宗教であるサイエントロジーの教義を遠慮なく主張するからである。
私はサイエントロジーに関しては全く知らないが、その根本理念に「ダイアネティックス」があることは間違いないと思う。
この「ダイアネティックス」がなかなか興味深い。
「ダイアネティックス」はその完全な内容の書籍が販売されており、和訳はニューエラパブリケーションズジャパンから出版されている。600ページ以上もある分厚い本で、余程興味がなければ読み通せるものではないと思う。
尚、「ダイアネティックス」は宗教とは何の関係もない本で、人間の脳機能に関する科学的なものである。全世界で2000万部(!)が出版されており、この著者であるL.ロン.ハバートの著作は1億冊(!!)以上が出版されているらしい。教育に関する彼の著作はアマゾンジャパンの教育部門2位を記録したこともあり、教育界の権威方からも絶賛の評価が寄せられているなど、なかなかただものではない。

「ダイアネティックス」は上にも書いたように、大変に興味深いもので、私は何度も読んでみた。非常に好印象を持ったことは確かだが、その内容が正しいかどうかは私には確認のしようがなかった。
さて、トム・クルーズがバッシングされる理由の1つに、精神医学への露骨な批判がある。彼によれば精神医学は全くデタラメであるということだが、それを聞いて「ダイアネティックス」に詳しい私は、彼がそう思うのはうなづけるだけにおかしい。
確かに、「ダイアネティックス」の立場からは精神医学は全く下等なものとなるかもしれない。いや、精神医学なんて、その専門家どうしでも意見が全く異なったり、お互いを激しく批判することも珍しくはないので、このことそのものはさしたることはないと思うのだが・・・。
問題はやはり、精神医学の専門家でもないトムが、あまりに自信たっぷりに精神医学を否定し、自分が正しいことを知っていると断言することだろう。
ただ、いくらバッシングを受けても、彼の映画俳優としての仕事には何の支障もなく、同時に「至上最高の俳優」に選出されてもいる。「ダイアネティックス」は精神病を含む医療のかなりの範囲で極めて効果的であるとされ、それだけでなく、人間の能力を最大にするもので、知能指数などは打ち上げ花火のように向上させると保証されている。トム・クルーズや、サイエントロジー入信後のジョン・トラボルタの復活振りを見ても信憑性がないとは言えないが、私は入信するつもりはない。
入信し、人間としての最高の状態(「クリアー」と呼ばれる)になるには、相当な金額(数百万とも聞く)が必要と何かの本で読んだこともある。「ダイアネティックス」には、この本1冊と1人のパートナーがいれば他に何もいらないと書かれているのだが・・・(笑)。
試しに、「ダイアネティックス」を読んでみてはいかが?

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2006.01.03

今年は巨人が優勝する理由

私は、野球は全く分からない。それでもこれははっきりと感じる。
今年は原ジャイアンツが優勝しそうだ。あの原辰則という男はリーダーシップのコツを心得ている。もっと的確に言えば、洗脳のコツを心得ているのだ。
洗脳といえば聞こえは悪いが、あらゆる場所で優秀なリーダーの持つ必須能力である。

そして、洗脳とは、心地よい偏見を植え付けるというだけのことなのだ。

世界的ベストセラー「ピーターの法則」の著者ローレンス・ピーターは、「教育とはもろもろの偏見にいっそうの磨きをかけるための機関である」(※)という名言を残した。彼自身、教育学教授であり、現場体験に裏付けされた本音であろう。
偏見のない人間はいない。もっと正しく言うなら、人間は偏見が無いと生きていけない。そして、教育で磨かれた偏見は結構な力を学生に与えるのだ。ピーターも、この言葉を悪い意味で使ったかどうかは不明だ。
※「すごい言葉」(晴山陽一著 文藝春秋)109Pより引用

チームの勝利には、構成員が一体である、即ち、一枚岩であることが必要だ。なんのことはない。全員が同じ偏見を持てば良いのである。それには、アホでも分かるスローガンが必要だ。「ジャイアンツ愛」なんてまさにピッタリだ。そして、一方向の流れを乱すヤツは徹底的に押さえるか、隔離する。今年も仁志は冷遇される。彼は反骨精神が強すぎる。野球選手には向いていない。情の男である清原はまだコントロールできた。清原にヘソを曲げさせた堀内は馬鹿であった。
読売ジャイアンツは巨大な偏見の集団である。しかし、最近の巨人の偏見は心地よくない。だから弱い。原がそれを変える。どっしりとしたリーダーは、本来、巨人が好きなものなのである。

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2006.01.02

乙女の恐れ

恐怖小説の挿絵のような気分で描きました。
単に可愛い女の子の下着姿のようなものを描きたかったという説もあります(笑)。
恐怖小説といえば、L.ロン.ハバートの「フィアー」が最高でした。「リング」などとは全く違う、ある意味、あまりに身近な恐さがあります。誰の人生にも48時間が奪われることがあるという・・・。ブラッド・ベリが、スティーブン・キングがアシモフが絶賛するだけのことはあります。
作者のハバートは、トム・クルーズやジョン・トラボルタが熱心に信仰する宗教団体「サイエントロージー」の教祖としても有名ですが、個人的な考えでは、後から教祖に祭り上げられたという感じもします。人間離れしたあまりに優秀な人でした。

fear

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2006.01.01

弓と巫女さん

アニメの中で、弓の得意な美しい巫女さんを3名程知ってますので、巫女さんは弓が得意という偏見ができてしまいました(笑)。
皆様、お正月いかがお過ごしでしょうか?
年賀状を全く書いてないに関わらず、思いのほか沢山来てしまい、「明日くらいに書こうかな・・・」と思案中。
「お正月は年賀状を出すもの」なんて日本人を洗脳したのは誰だ?(笑)

hama

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