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2005.12.30

ちかんと変質者の違い

普段歩いている道に、ずっと前からあったのだろうが、高さ3m位のところに設置した縦1.3mくらいの看板を初めて注意して見た。

ちかんと変質者に注意

とある。ちょっと首をかしげる。
ちかんは不法行為を実際に行った者であり、たしかに罪人である。しかし、変質者はどうか?というより、変質者とそうでない者との差異は何であろう?
心理学者の岸田秀氏によると、本能の壊れた動物である人間は、基本的に全て変質者なのだそうだ。こう簡単に書くと「え~?」という声も上がりそうだが、彼の著作を読むとある程度納得できると思う。(だからこそ、彼の著作数はすごく、一応は心理学の本でありながら一時的でなく長く一般に売れる)

控えめに言っても、変質者とは一人の人間の中の変質者的要素の保有量の問題である。いずれにしても、実質的に間違いなく変質者であっても、悪いことをしなければ善人であろう。
また、「私は変質者ではない」と言い切る人間が一番危ないような気もする。
少女漫画で、可愛いヒロインに「変態!!」と言われる男の子がしばしば主役の男の子であったりし、その男の子は普通以上に正義感の強い「良い男子」であるが、女の子にいろいろ「みだらな」ことを感じるのはあまりに普通である。では、ここでいう「変態!!」とはなんであろう?女の子の照れや、あるいは逆の嫌悪感である場合もあるが、ちょっとこの言葉の意味を考えてみたい。
「犬夜叉」の登場人物である弥勒(若い男性法師)は、美しい女性や少女に会うたびに「私の子を産んではくれぬか」と言う。この言葉通りに捉えるなら、弥勒は変態ではない。種族の存続は本能である。しかし、健康的な少年が、いわゆるエッチな写真を喜んで見てたり、干してある女性用下着を熱心に見ていて、それを発見した女の子に「変態」呼ばわりされても、ある意味当然である。そういうことも普通であると思う向きもあるかもしれないが、実はこういったことは文化的に作られた人工物である。
つまりには実用性のない趣味的なスケベ心は変態であり、変態である者を変質者であると呼称するのであるが、本能の壊れた動物である人間はこういったものがないと子を作れぬものであるからもしれない。
よって、先にあげた看板を正しく書き直すならこうなる。

男のちかん行為を誘発しないよう皆が注意すべきである

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