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2005.12.02

芸術による宗教的体験

芸術は宗教の下僕として始まったという論があるが、これは、宗教の役割の重要な部分を芸術が受け継いだという意味で正しいことと思う。
まず、宗教の役割であるが、宗教とは決して、「あの世での幸福」「道徳を教える方便」「現世利益」といった、一般に思われていることが目的ではない。宗教の目的がこのようなものになっているから、様々な混乱や不幸が起こるのだ。正しい宗教観では、牧師や神父を神格化するようなアホなことは決して起こらない。

では、その宗教の本来の目的であるが、宗教とは次のような理由から生まれたものである。
人間というのは、頭脳の発達により、憂鬱になるという極めて珍しい能力を持つことに至った生物である。これは習慣化した論理思考によるものである。どんなに非論理的な人間でも、決まった時間に出勤したり、手順通りの仕事をしたり、生活部分では意外に筋の通ったことをするものである。
しかし、それによって、毎日の生活は味気なく、自分が無力な存在で、世界は生きるに値しないものであると感じ、すっかり憂鬱になるのである。
そのため、いつの時代でも気晴らしやストレス発散の娯楽があったが、それは一時凌ぎでしかない。
ところが、頭で考えてどうなるわけでもない儀式を荘厳な雰囲気で行うと、なぜか心が充実して力がみなぎり、世界が明るく見えることが発見され、それを神が降りた状態と考えた。
そして、芸術活動にもそのようなことが必ずある。本来、芸術は鑑賞するよりは創造するものであるが、他者の作品を見て、作者の力に溢れた体験を少しでも追体験できることはある。
これは平凡な日常では感じにくい(無いわけではない)感覚であるが、人間にとって非常に重要なものであるらしく、宗教や芸術が本来求めていたものもそこにある。
現在では、科学がこれらに加わり、ある程度は宗教や芸術の意味を理論的に解明でき、本来は、宗教や芸術の意義を増幅できるのであるが、宗教や芸術には困ったものが多くはびこり、うまくいかない場合が多い。

芸術もまた、宗教の欠点を受け継いだ。宗教的な力の充実を求めるあまりにのめり込み、現実世界から逃避することがある。「幼子のごとく」という言葉を誤解して本当に子供になってしまってはどうにもならない。そして、権威がはびこり、利権をむさぼる権威者連中により、宗教も芸術も歪められ、本来の目的を失っていくのである。

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Comments

コメント、情報ありがとうございます。
本当に深夜の件については、困りますね。
PCを開くのが、どうしても夜遅くなりますので。
NIFTYの社長がブログやっているのは初めて知りました。ホリエモンとかは時々覗いていますが、これからの経営者には必須かも。
たのしい情報、ありがとうございました。

Posted by: じゅんのすけ | 2005.12.02 at 08:55 PM

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