芸術は本当に爆発だ(その2)
芸術が爆発であることは、理屈ではなく、体験として誰でも理解できるはずだと思う。その際、「爆発」と思うか、あるいはその他の全く別の表現の方がピンとくることもあるとは思うが、いずれにせよ「良いもの」である。
ドストエフスキーは、作品の中でではあるが「その5分間のために全人生を引き換えにしても良い」と言ったほどである。
私は、岡本太郎の言う爆発が、心理学者エイブラハム・マスローの言うPeak Experience(至高体験、絶頂体験)であると書いた。今後、とりあえず至高体験と書くが、マスローは「偉大な人間と普通の人間を区別する唯一のことが、至高体験の有無である」とすら言った。
そして、マスローは、至高体験は特別な人間にしか起こらず、それは偶然に起こると考えたようだ。しかし、コリン・ウィルソンは、「至高体験はありふれたものであり、誰でも体験している。また、意図的に起こすことも可能」と考え、これを実証した。
私が以前にも書いたように、芸術の元々の親分である宗教で、これを体験することはよくあると思う。ただ、宗教においては弊害も多い。
創造的な芸術活動を行うことにより、いや、そんな大げさな言い方をしなくても、自由に絵を描くことにより誰でも至高体験は体験できる。いまや、それは科学的にも説明できる時代である。そうなると、過去にあったように、至高体験を意味する意識状態に達するための多くの方法に潜む致命的な弊害を避けることも可能であるのだ。


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