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2005.12.03

女児連続殺人に思う

小学1年生の女子児童殺害事件が連続して起こり、日本中を震撼させている。
私は、これらの犯人はおそらく罪の意識などはあまり持っていないと思う。
少し前、私は凶悪事件が起こる原因は知性の低下が1つの要因と書いたが、今回もそう思う。知性と言っても、相対論を解するとか、ブレイクの詩を味わうと言うようなものではなく、自分でものを考える能力がなくなっているのである。

煙草を吸いながら道を歩いたり(それも通行量の少なくない道で)、スーパーなどで、駐車エリアでもない通り道に車を止めて平気で買い物をしたり、混雑した駅で携帯でメールしながら歩いたりというのも知性の低下であり、凶悪犯罪者と類似性が高く、犯罪者予備軍が蔓延しているように思えてならない。
考える習慣をなくせば、自分にとって一番気持ち良い方法を安易に選び、ましてや自分を客観視することがないということだ。よって、罪悪感は全くない。
少し前、駅のエスカレータで歩行者用の左側で(前には誰もいない)立ち止まって微笑ながら携帯電話を操作し、自分の後ろに渋滞を作っていた若い女性に注意したら、憎悪の顔で睨み付けられた。信号待ちの集団の中で煙草を吹かしている初老の男に「こら」と言ったら、肩を揺すって威嚇してくる(笑)。つまり、罪の意識が全くないのである。
女子生徒へのセクハラをする教師もほとんど「指導のつもり」「自然の流れ」など言い訳するが、罪の意識は全然ないであろう。そんな教師はこれからもゴキブリのごとく増ることは確実である。
罪の意識を持つだけの知性があれば、指導でなんとかなる可能性もある。しかし、それがないのであるから、歩きタバコ、歩き携帯を法的に罰則を伴った禁止をし、女子生徒には校内でも警察直通の防犯ベルを持たせるなどしか方策はなくなる。犯罪防止の意味もあるが、「それが悪いことである」と納得させる方法が他にない。
建設的には、知性復活の事業を開始する必要がある(公的機関に期待はできないので)。優れた美術教育も知性のバランスのために大切だ。

落書きはいけないが、どうせなら知性のない、単純で幼稚なものではなく、ウィットに富んだ、あるいは、うならせる落書きを見たいものである。

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