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2005.11.30

私が芸術に求めるもの

私には、美大や芸大に浪人してでも進学し、学生として時間とお金をかけながら美術を志すというのは、あまりに浮世離れしているように感じる。
とはいえ、彼らには彼らの求める世界があるのだろう。それが何かはいまのところ私には全く関心はないのだが。

私が芸術に求め、また、世界に対して芸術が果たして欲しいと思うことは、岡本太郎さんや英国の作家コリン・ウィルソンが考えたことと根本において違いはないように思う。
岡本太郎さんは芸術家としての経験によって、かなり若い時期にそれを掴んだのだと思う。
コリン・ウィルソンは芸術の意義について文学を通して、やはりかなり若い頃にある程度の手ごたえを掴んでいたとは思うが、それを知的に把握し、論理化するために大変な苦労をしたように思う。彼は理屈で納得しないと満足しない性分なのだろう。
ただ、岡本太郎さんは論理化したわけではないが、やり方は十分に伝えてくれたと思う。

で、それが何かということになると、岡本太郎さんの言葉で言うと「生命を開ききること」という、なんともワケの分からない言葉になる。そして、その実践法としての芸術制作の原則が「うまくあってはならない」「きれいであってはならない」「心地良くあってはならない」である。また、行動の一般原理としては、「常に危険な方に自分を賭ける」であった。これを聞くと、ダスキンの社訓である「得な道と損な道があれば迷わず損な方を選ぶ」を思い出す。

そして、理屈化することに(かなり)成功したウィルソンの方を考えると、これを理屈だけで理解しようとしたら、とんでもない労力が必要なばかりか、現実には不可能であると思う。ウィルソンは、工場労働者やレストランの皿洗いといった肉体労働を行いながら図書館で勉強に励み、文学を味わう中で手ごたえを掴み、その成果は若くして彼を世界的作家にした。そして、その後も著名な心理学者エイブラハム・マスローをはじめ、様々な知識人との交流や、買い集めた2万冊の書物の大半を読み、個人的にも有益な経験を積み、思索を深めた。
それらを全て飛ばして結論だけ言うと、「人間性の回復」という、岡本太郎にも負けないワケの分からなさになる(笑)。

ただ、ニュートンは落下するリンゴの喩えで万有引力の法則を、アインシュタインは相対論を美女と過ごす時間とストーブの上に座っている時間の違いとして説明したように、ウィルソンも喩えを使って語っている。それは、「くたくたに疲れている時でも、好みのタイプの美女が全裸で現れると力の充実を実感するようなもの」である。

私が芸術に求めることも同様である・・・って、全然分からないですね(笑)。面白いですから(?)徐々に説明しますが。

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Comments

Kayさんこんばんわ。最近毎晩訪れています。

うーん、文章の意味はよくわからないです。
でも文章を読んで気付いたのですが、もしかしてKayさんの絵って「うまくあってはならない」「きれいであってはならない」「心地良くあってはならない」ことを前提に制作しているのですか?それって実はとても面白い行為だと思います。
描写力をあげるというのはKayさんのおっしゃっているように、美大や芸大を目指す多くの人が実践していることです。逆のことをとことん突き詰めていけばある意味それも芸術なのかも知れないと思いました。
たとえば、Jake and Dinos Chapmanなど目をおおいたくなるような、反社会的な表現ばかりしていますが認知度は高いです。
僕自身は目立つため、有名になるためにはなにをしてもいいという考えには賛成できませんが、芸術表現と倫理というのは多角的に考えていかなければならない問題だと思います。

Posted by: ナイン | 2005.12.01 at 02:44 AM

特に下手に描こうと努力しているわけではありませんが、プロのように上手く描けといわれても無理な相談です。
多くの人が「自分は下手だから」という理由で絵を描きません。
しかし、岡本太郎が「下手でいいんだ。構わないからどんどん下手にやりなさい」と言ってくれたおかげで我々は気楽に絵を描けます。
絵の先生に習いにいくと、いろいろ小難しい描き方の技法を教えられ、ここが長すぎる、ここは短すぎる、あそこは違うと言われているうちに絵を描くのがおっくうになるわけです。
上手い下手、きれいきたないといった価値にとらわれず自由に描くことが絵の本質であるのだと思います。

反社会的、残虐な表現ということでは、私にも何が正しいか分かりませんが、池田満寿夫さんが「想像であればどんなことでも耐えられる。しかし、現実についてはそうではない」と書いておられたのが印象に残っています。
精神病院には、自分がキリストの愛人であると思っている患者や、宇宙の帝王であると思っている患者が沢山いるらしいですが、それさえなければ特に普通の人と変わらない場合がよくあるそうです。彼らが、想像と現実との区別が付けば何の問題もないわけです。
権威者の精神がおかしくなりやすい理由もここらにあるように思います。彼らは自分の想像でしかないことでも肯定される場合が多く、だんだんと現実と想像の区別がつかなくなるのですね。

Posted by: Kay | 2005.12.02 at 12:23 PM

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