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2005.11.17

芸術家と至高体験-芸術は爆発だ-

コリン・ウィルソンの「フランケンシュタインの城」(平河出版社)に

ゴッホの知覚はまるで、緊張と自虐から生じた一種のまぐれ知覚だったように思えてくるのだ

とある。
ところで、ウィルソンは、ここでの「知覚」を「意味知覚」という意味で使っている。
意味知覚とは、単に感覚器官から得られた情報を認識するだけではなく、その存在の本質までをも掴み取ることで、これこそが芸術家のみが持つ感覚である。
つまり、花や鳥を単に認識するのではなく、それらの存在の荘厳さまでも感じることで、詩人はそれを詩に、画家は絵に描く。岡本太郎が「ただ存在するというその荘厳さ」と言ったものである。夏目漱石が「天賓」と呼んだものもこれかもしれない。

そして、ゴッホは意味知覚を自発的ではなく、単に偶然に得ていたとウィルソンは言っている。ウィルソンはゴッホの絵と、有名な彼の「手紙」を見てそう感じたらしい。

意味知覚を得る瞬間とは、エイブラハム・マスローの至高体験(絶頂体験)のことのようである。
そして、マスローは至高体験は偶然に訪れるものであると考えていた。
ではなぜウィルソンはわざわざこのことをゴッホに限って言ったのかというと、ウィルソンは至高体験は自発的に起こすことも可能であり、優れた芸術家であれば、かなり意のままにそれを起こすことも可能と考えていたからと思う。
こう考えてみると、人が芸術家になるという意味がいくらか分かってきたように思う。岡本太郎は「私より自由な精神を持っているなら岡本太郎を超えることは何でもない」と言ったが、これだけだとどんな意味か分からない。また、有名な爆発の意味も「宇宙に向かって生命がぱーっと開く」などと言われても正直分からない。
後は、意味知覚をもたらす至高体験の起こし方さえわかれば良い。これには多くのヒントをすでに集めた。イェイツが、ドストエフスキーが、ロレンスが、エリオットが重要な示唆を与えてくれているのだ。

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