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2005.11.18

輝く世界を見せる「内なる画家」

どんな名画も、それ自体で名画であることは絶対にない。見る者とペアになって初めて名画に「なる」のである。
サルトルは「小説を読むということは、その小説をもう一度書くことである」と言った。絵画も同じなのだ。絵画を「鑑賞」するということは、その絵を一瞬に自分で描くことである。

この世のあらゆるものは、絶対的で固定されたものではない。我々は自分の内部にある何かをそれぞれのものに投影して形を作り上げている。我々の内部にあって、世界に何かを投影し形を作っているものを、「内なる画家」とか「内なる魔術師」と呼んだ者もあるが、良い表現だと思う。同じ車が、ある者には「ただの数十年前のポンコツ」に見えるが、別の者には「究極の価値を持つ絶対的な美」と映る。

この世にあるものの真の意味は、普通に思われているよりもはるかに大きなものである。この「存在の真の意味」を感受する度合いは、内なる画家がどれだけ強い投影を行なうかに関係すると思われる。
何かのきっかけで「内なる画家」が強い投影を行なえば、その反映である意味の知覚に我々は圧倒される。その時、我々は世界の美しさや星空の荘厳さを知る。

しかし、それは珍しいことではなく、誰でも無数に体験していることである。「明日から夏休みだ」とか「今日はクリスマスだ」という時、見慣れた景色や家の中のものが輝いて見えるといったものである。そんな時、この世は生きる価値のあるものになる。
また、何かの拍子に、この世の真の意味を垣間見て人生を変えた例は数知れない。

名画を前にした瞬間、我々の内なる画家が何を描くかが問題である。
そして、我々の内なる画家は、我々の意思と無関係ではない。その名画を輝かせるだけのものを投影するかどうかを決定するのは、やはり我々の意思なのである。
もし望むままに、内なる画家に強い投影を起こさせ、意味知覚を感受する能力を得たなら、世界は驚きに満ち溢れたた驚嘆すべきものであり、名画達は自分に荘厳な言葉を語りかけてくるであろう。いや、確かにイェイツが言った。「そんな時は、壁にかけた絵が語りかけてくる」と。

しかし、こう言うと、それがLSD等の覚醒剤を使用した様子と似ていることに気付いた人もいるはずだ。それは事実の場合もある。ビートルズも池田満寿夫もスティーブ・ジョブズもLSDに凝っていたことは確かにある。覚醒剤は確かに内なる画家を「抑えているもの」を眠らせ、その結果、やはり普段は世界の内側に隠されたものを感じることがある。しかし、表の意識との協調が無いので、内なる画家は何を作るか分かったものではない。
サルトルはメスカリンを使ったとき、大ダコと巨大伊勢海老に追い回される幻覚を見たらしい。くれぐれも覚醒剤に頼らずに、内なる画家と協力し、世界に秘められた真の意味を知覚できるようになりたいものである。

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