2008.11.21

ハルヒの地で滅びを感じた

人気小説・アニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズは、著者の谷川流さんの出身地で、彼が青春時代を過ごした兵庫県西宮市が舞台である。
小説やアニメに、現実の地名や建物の名称等が出てくるわけではないが、ハルヒ達が集合場所によく使う「北口駅」とは「阪急西宮北口駅」であり、アニメでは、この阪急西宮北口駅の駅前の風景、特に駅前公園の様子がかなりそのまま登場する(本当に一目で分る)。
ところで、その駅前公園は、阪急西宮北口駅の北側である。
ところが、その反対側である、駅の南側に、阪急西宮ガーデンズが建設され、この程オープンした。
これは、以前あった阪急西宮スタジアム(旧阪神西宮球場)後に建設された、西日本最大のショッピングセンターである。
入ってみると、さすがに広い。あらゆる種類のショップはもちろん、エステ、ネイルサロン、文化施設もある。英語、バレエのレッスンもしている託児所まである。
5Fにはシネマ館があり、12の劇場にはゆったりとした椅子が設置され、予約が必要で料金もやや高いが、リクライニングシートのものまである。
阪急西宮スタジアム時代には、V6や浜崎あゆみさんもライブを行ったが、4Fには野外ガーデンもあり、イベントも行われるかもしれない。
いや、ハルヒにちなんで、CDや写真集も出しているハルヒ役の声優、平野綾さんや長門有希役の茅原実里さん、朝比奈みくる役の後藤邑子さんのライブをやれば、かなり異様な雰囲気で盛り上がると思う。ゲストに谷川流さんやいとうのいぢさんも来られるなら私も行・・・かないだろうな、やはり(笑)。
さて、阪急西宮ガーデンズをぐるっと見て回ったが、食べ物屋関係も非常に多く、どこのお店も内装がなかなか良く、その効果もあるのかもしれないが、料理も非常に美味しそうだ。まあ、私が一生食べないようなものばかりである。ますます人々の飽食・美食を促進し、不健康で充実感のない人生を作り出すことになるのだと思いながら通り過ぎた。
ここがショッピングセンターとして現代の最先端となると思うが、全ての人間に食欲を起させると共に、物欲を起させる仕組みに満ち溢れている。人々の欲望、必要もない餓鬼のような欲望を掻き立てる存在。経済がこういったものによって支えられ、それをサポートするだけでなく、強力に煽るのが金融なら、そんな経済や金融は潰れてしまえば良い。いや、やがて間違いなく全て潰れるだろう。もし国家がそれらに依存するものであるのなら、国家も間違いなく潰れる。

経済や金融が滅び、国家が滅ぶことが悲惨であろうか?
一面的には確かにその通りである。
しかし、之(これ)なるものが向こうからみれば其(それ)であるように、破壊と見えるものも別の面から見れば完成である。
破壊せずして再生はない。破壊するものはいつも陽気だ。

私は、この巨大なショッピングセンターを見て、はっきりと滅びを感じた。
再生のために破壊するもの。それはGay(陽気)なのだ。
ハルヒは、初めて野球場に行った小学6年生の時に、マイナスの感情は伴ったが啓示のようなものを受け、価値観が完全に変わり、その結果、世界は一変した。
そして、私もまた、世界をいったん終焉させようかとも思っている。もし、守るべきものが何も見つけられなければね。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.20

鈍感力をはるかに超える鏡心力を得て超人になる

私は、小泉元首相の最大の功績は、渡辺淳一さんの著書「鈍感力」を100万部のベストセラーにしたことであると思う。
私は、テレビのニュースで、小泉さんが持ち出した「鈍感力」という本のタイトルを聞いただけで、中味を読まなくても非常に重要な本であると確信した。
読む必要が全くなかった。ごく最近、気紛れに読んでみたら、勿論、私の知らないこともいろいろ書かれていたが、結果として思ったとおりの本であった。「鈍感力」という言葉に、これ以外の内容はあり得ない。
鈍感力こそ、全ての人に有益な力であり、特にひきこもりの人には身に着けて欲しいと思う。
ひきこもりは、心も身体も敏感過ぎるのだ。
「鈍感」こそ、幸福の鍵である。

この本が有名になり、更に、この本を読みながら、「鈍感はやはり駄目だ」という人もいるが、それはそれで良い。他人の不幸など私の知ったことではない。私は他人の不幸に鈍感なのだ(笑)。

では、鈍感力に関する究極のお話を紹介する。
これは、鈍感になり切れない人の役にも立つものだ。

お釈迦様に弟子が尋ねた。
「悟りを開いた人間と、普通の人では、精神作用がどのように違うのでしょうか?」
これは我々も興味あるところである。
悟りを開いた人間の心とは、いかなるものであろうか?
お釈迦様は答えた。
「感受作用において、特に違いはない。ただ、それに執着しないのだ」
少し分りにくいかもしれないので補足する。
現代インドの聖者ラマナ・マハリシはこのように語ったことがある。
「聖人の心は、ある意味、子供に似ている。子供は遊んでいる時は遊びに夢中になるが、終れば忘れてしまう」
つまり、こんなものと思う。
綺麗な花を見て、「綺麗だな」と思うのは、悟りを開いた聖者も凡人も全く同じだ。しかし、しばらく楽しめば、そのまますっと通り過ぎる聖人と違い、我々凡人はそれを摘んで持ち帰るという余計なことをする。
聖人だって、ポカっと殴られたり、嫌がらせをされるとむかっとすることもあろう。しかし、聖人はそれをすぐに忘れるのに比べ、凡人はいつまでも根に持ち、仕返しをしたり、そうでなくてもいつまでも嫌な気分を引きずる。

渡辺淳一さんの「鈍感力」には、嫌がらせをされてもあまり気にしない、感受性の鈍い人の特性を鈍感力としていたように思うが、お釈迦様やマハリシの場合、感受性自体は常人と同じでも、執着しないことが幸せであるとしている。
ヨガ指導者の藤本憲幸さんの古い本で読んだ覚えがあるが、ある自信を失くしてひきこもっていた20歳の青年が、しばらくすると、別人のように堂々として、藤本さんに「やあ」と挨拶し、ヨガの超人として知られる藤本さんに「きみの能力なんて、僕に比べればちっぽけだ」と宣言する。
その20歳の聖者は「精神はただ流すもの」と言っていた。
なるほど、流れずに淀むから執着するのだ。嫌なことも楽しいことも、流してしまえば執着しない。「水に流す」とはよく言ったもので、それでこそ、心の純一性を保てる。そういえば、小泉元首相の名前は純一郎であったな(笑)。

では、以上の要点を見事に表現した至高の言葉を紹介しよう。
「荘子」の内編の中の「応帝王篇」に出てくる、「鏡」という短い文章である(漢文である)。
(「荘子」には、内編、外編、雑編とあり、内編が荘子自らの書であり、他は弟子などが後から付け加えたものとするのが一般的だ)

至人之用心若鏡。不将不迎、応而不蔵。故能勝物而不傷

こんな意味だ。
至人(最高の人。聖者や悟りを開いたような人だろう)の心は鏡のようなものだとある。
終ったことを悔やまず、先の心配をしない。
つまり、来たものだけをそのまま映すが、去ってしまえば何の痕跡も留めない。
だからこそ、無限の力を発揮でき、傷付くこともないのだ。

書き下せば次のようになろうか?

至人の心は鏡のようなものだ。
来るものは、ただあるがままに見るが、過ぎ去れば何の痕跡も留めない。
だから、過去を悔やまないし、未来を思い煩うこともない。
それでこそ自在に働いて全てに打ち勝ち、傷付くことは決してないのだ。

お釈迦様やラマナ・マハリシの言葉も、この通りのことと思う。

執着しないことは難しいので、渡辺淳一さんの言う「鈍感力」である、鈍い身体と心を持てば、結果的に同じなので幸せである。幸いなるは鈍感な人である(これは同意する人も多いだろう)。
鈍感な人がひきこもることは、まあ無い。

ところで、最後に1つだけ書いておく。
渡辺淳一さんの「鈍感力」の百倍優れているのが、ひろさちやさんの「無関心力」である。
「無関心力」とは、世間の常識や価値観を全く評価せず、それに無関心になることだ。
身体や精神の敏感な人にも役に立つ。なぜなら、鈍感にはなれなくても、無関心にはなれるからだ。
『ひろさちやの「無関心」のすすめ』(青春出版社)を読むべし。
実は、上記のお釈迦様のお話も、ひろさちやさんの古い本で読んだものである。
ひろさちやさんは、あのお釈迦様の教えの実践方法をついに発見したのである。
これを読み、修得すれば、荘子の鏡の教えを身に付けることができるだろう。

だが、さらに言うと、もっと確実に鏡の心を手に入れる方法がある。
言うまでもなく、少食である。
食という人間最大の執着を抑えれば、我々は何ものにも執着しなくなる。
鈍感力以上の鏡心力という至高の力を得ることとなる。その威力の凄さは、ほとんどの人が知らない。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.19

誰に責任があるのかを正しく認識せよ

プロ野球で、FA宣言した横浜ベイスターズの三浦大輔選手のチーム残留を願い、ファンが著名活動をしているらしい。

そんなニュースを見ていたら、私は思わず仰天してしまった。
その著名を、なんと三浦選手自身に渡すというのだ。

おかしな話ではないか?
渡すのは、三浦選手にではなく、横浜ベイスターズ球団にするべきではないか?
三浦選手は、そんなもの貰っても、嬉しいかどうかはともかくとして困ってしまうだろう?

ベイスターズが、三浦選手に良い条件(年棒や契約年数)を提示すれば三浦選手は残留するのであり、プロとしてFA宣言した以上、三浦選手は良い条件を提示してくれたところに行くのが当然であり、それが良い条件を出してくれたチームへの誠意でもあろう。

ファンは、著名を持って、ベイスターズに、三浦選手を欲しがっている他の球団以上の条件を出すよう嘆願するしかないのである。
もし三浦選手が阪神に行ったら、ベイスターズファンの要望に応えなかった三浦選手が悪いのであろうか?そんな馬鹿な!良い条件を出さなかったベイスターズの責任である。

どうも日本には、おかしな論理が堂々とまかり通るのであるが、なぜであろう?
1つの考えとして、国家の戦争責任の誤魔化しのために、真の責任者の責任をはぐらかす思想が国民に定着したのではないだろうか。
なぜか、戦争の回想をする時、「我々はあのような過ちを繰り返しません」と言う。我々とは、ごく一般民衆である。そんな馬鹿なことがあるか。戦争は政治家がやったことであり、国民が戦争を望むはずがない。国民には何の責任もないのである。
ところが、戦後、政治家は誰も責任を取らなかった。それどころか、政治家のまま残っているやつがいくらでもいる。
ドイツでは、ナチスを国内で裁いた。しかし、日本は戦争をやった政治家を裁いていない。
戦犯なんてのは、外国から裁かれた者だ。国内で裁かないので、何か戦争の責任が国民にあるように思わせられているのだ。
産地偽装問題でも、社長は従業員がやったとか言い逃れをするが、そのような事件の責任は社長にあるのはあまりに当然だ。マスコミも、そんな社長の言い分をいちいち取上げる必要はないのだ。

日本人は、真の責任者は誰かという感覚にあまりに疎い。
こんな政治センス、ビジネスセンス、あるいは基本的ロジックに欠ける政治家は、どんな場合でも外国に対し、妙に主張が弱く及び腰で、中国、韓国、そして、北朝鮮の言いなりになるのも仕方ないように思う。ましてやアメリカにモノが言えるはずがない。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.18

次期米国大統領は超少食

次期米国大統領バラク・オバマは超少食であるらしい。
私は知らなかったのだが、敬愛すべき芸術家の石彫人さんが教えてくれた。

ちょっと、石彫人さんのサイトとブログを紹介しておく。
私のブログなんか見るよりずっと良いので、こっちを見た方が良い・・・いや、ちょっとまちたまえ!まずは私のブログを見てからだ(汗)。
石彫人さんの公式サイト"Sculptor Ryota Koshika"はこちら
作品制作ブログ。完成した出口王仁三郎像が素晴らしい
開き直りのススメ(ブログ)

ニューズウィーク日本版11/19号の45ページからの記述にある。
オバマは夕食に毎日、サーモン、ライス、ブロッコリーという同じメニューばかり食べていた。
インディアナ州の食堂では、フライドポテトを食べたが、ハンバーガーは持ち帰った。記事にも、オバマがこのハンバーガーを自分で食べたのではないだろうと推測する書き方がされていた。記者にとっては、オバマがほとんど拒食症並に見えていたらしい。
だから、ウエイターがトッピングたっぷりのパンケーキ(日本ではホットケーキの呼び名が一般的)をオバマに薦めたが、オバマが「私は古いタイプだから」と断りバターミルク味のパンケーキを注文したのを見て、記者達は「オバマがあれ(ウエイターが薦めた方だろう)を一口でも食べたら、俺たちは携帯電話を食べてやる」と言ったそうだ。
オバマがスポーツマンタイプのスリムな体形であることはご存知と思うが、彼はバスケットボールが好きで、大変に上手いらしく、このニューズウィークの記者もオバマのプレイを、「大変に機敏」と書いていた。

日本でも肥満が増えてきたが、アメリカはレベルが違う。
メタボ判定基準の腹囲でも、男性では、日本が85cmに対し、米国では102cm(ただし、女性では、日本90cmで、米国は88cm)。
ヘルシーな和食が米国でも人気であるらしいが、平均的にはまだまだアメリカ人の身体はデカく感じる。
そのアメリカで、少食でスリムな大統領が誕生することは大変に良いことと思う。
私の考えでは、日本もアメリカも、経済やましてや金融よりも、一人一人が食を節制し、人間としての慎ましさを備えるようになった方が良いと思う。間違って経済や金融が盛り返し、結果、さらに資源を浪費し、飽食を繰り返すと世界は確実に破滅の道に向かうはずだ。

食に慎ましい金持ちの有名人としては、なんといっても世界最高の富豪ビル・ゲイツがいる。
若い頃から、事務のオバさんに言われないと食事をせず(会社にほとんど住んでいて、本当に食べなかったようだ)、屈指の富豪となってからも、独身時代は持ち帰りピザを夕食にしていた。
世界一の富豪になってからも、大衆食堂で食事し、飛行機はエコノミーに乗る。
彼はベジタリアンではないが、食に慎ましいことが彼に幸運をももたらしているように思う。
おそらく彼以上の少食であった小室哲哉さんが、食と同様にその他の面でも慎ましければ、もっと大きくなっていたに違いない。復帰して、そうなってくれることを願う。
ゲイツと同い年で、彼のライバルともよく言われるスティーブ・ジョブズはベジタリアンだ。いろいろな奇行でも知られるジョブズだが、復帰したアップル社ではほぼ無報酬で働き、ディズニーの役員でもありながら役員報酬を辞退するなど慎ましい部分もある。
美食・飽食の富豪は、若い間は良くても、ある程度の年齢になると健康面はもちろん、家庭や、果ては取り得の経済面でも破綻することが多いと思う。
徳川家康が生涯、庶民並の食事に甘んじたように、成功しても食を節制すれば、栄光は長く、おそらくは死ぬまで続くだろう。
また、我々平凡な人間も、食を節制することで成功し、幸福な人生を送ることができる。
江戸時代の観相家、水野南北がそのことを知り、自ら実践して大長者となり、当時異例の75歳まで健康で幸せに生きただけでなく、このことを人々に知らせようとしたが、彼の教えが現代に広まっているとは全く言えない。尚、彼は観相的には、短命、貧窮の相であり、実際、食を節することを憶えるまでは破滅の人生に向かっていたようである。

ちなみに、私はオバマと違い、サーモンもあらゆるホットケーキも生涯食べないと思う。それで彼との能力の差を少しでも埋められればと思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.17

ひきこもりが駄目な人間のはずがない

昔であれば、ひきこもりの人の意思を知る機会はなかなか無かったが、現在では、ブログやSNSその他があって、いくらかは分るようになってきた。
ひきこもりの人の考えを知る中で、最も残念に思うのが、彼ら(彼女ら)の多くが、自分を駄目な人間であると思っていることだ。これは、極めて重要な大問題である。
いったい、ひきこもりの何が駄目だというのだろう?
お金を稼いでいないからか?
なぜお金を稼がないと悪いのであろう?
自分がお金を稼がないと誰かに迷惑をかけるからだろうか?
それを言うなら、お金を沢山稼いでいる人の方がはるかに多くの人に迷惑をかけているのではないだろうか?
働いて社会に貢献していないからだろうか?
しかし、むしろ、働いて社会を害している人の方が多いのではないだろうか?

以前にも書いたが、コリン・ウィルソンの新しい本「超越意識の探求―自己実現のための意識獲得法」(学習研究社)で、あるひきこもりの男性が「俺はなんて駄目なやつなんだ」と言った時、彼の友人に「きみはちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけさ」と言われたことが啓示となり、彼はたちまち(数日かかったが)偉大な賢者となった。
だが、コリン・ウィルソンは肝心なことを書いてくれなかったので、重要な点が分らず、具体的にどうすれば良いか分らないように思う。
そこで私が補足してみようと思う。

ひきこもりが、なぜ自分が駄目だと思っているのかをもっと真剣に追求しないといけないのである。
コリン・ウィルソンの本のこの男性と、我が国のひきこもりはほぼ同じことを考えているのだ。それが分れば、我々も賢者となり、堂々と生きることも可能になる。

さて、では、ひきこもりに限らず、なぜ我々は自分を駄目な人間だと思ってしまうのだろう?
逆に言えば、どうすれば、我々は自分を駄目ではない、価値ある人間と思えるのであろう?
一流大学に入れば?
オリンピックで金メダルを取れば?
医者や弁護士になれば?
ビジネスで成功すれば?
企業の中で有能と認められ、出世すれば?
売れる作家や画家になれば?
エステで磨き上げ、ナイスバディやイケメンになれば?

いずれもそうだと思えるような気がする。これらの1つもないから、自分は駄目だと思うのかもしれない。
だから、我々は努力して、これらのものの1つ、出来れば複数を成し遂げる必要があるのだろうか?
しかし、よく考えると分かるはずなのだ。
これらのものに価値があると思い込まされているだけではないのかと。
断言するが、上記のものに絶対的な価値なんて一切ない。
なぜこれらに価値があると感じるかというと、そう感じるよう教育(あるいは洗脳)されたからというだけの理由なのだ。
それが心底納得できたら、もはや自分が駄目な人間だと思うことはなくなる。
だが、我々が叩き込まれた教育や洗脳の強力さが半端でないことも確かなのである。
そう簡単に、一流大学や金メダルに価値がないなんて納得できないかもしれない。

では、どうすれば良いのだろうか?
それは、上記を含め、世間で価値あるとされること一切に無関心になることだ。
ひきこもりであれば、学校に行くことや、働くことが良いことなのに、それができない自分は駄目だと感じているかもしれない。では、学校に行くことや働くことが良いことだという価値観に無関心になるのだ。
私などは企業に所属しているが、会社や仕事など知ったことではないと思っている。無論、そんなことを露骨に言ったりはしない。あからさまな反抗はむしろ関心や愛着の裏返しである。ただ、距離を置き、笑いながら見ているのである。
仕事はなりゆきだけ眺めている。仕事に限らず、何事もなりゆきを静かに見ているのが一番良い。そうすれば、案外、熱意を持ってやるよりもうまくいくものだ。私自身、非常に優秀な社員で通っている。クール過ぎて敵は多いが(笑)。
ただ、熱意を込めてやらないとたちまちクビになるような仕事もある。そのような仕事に就いている場合、熱意を入れてやるのが面白ければやれば良いが、そうでないなら辞めれば良い。病気になるよりマシだし、会社にも自分にもお互いにその方が良いのである。私にも経験がある。営業職だった頃だ。相手にとって必要もないものを売りまくるのが優秀な営業社員だ。相手にニーズがなければ、無理矢理にそれを作って売るのだ。テレビCMで見る保険の宣伝なんて全部嘘八百であることは、元々セールスマンだった私には見え見えだ。会社に洗脳されれば、熱血営業マンになれるかもしれないし、それは必ずしも不幸なことではないかもしれない。私も会社の洗脳が効いていた頃は、セールスコンテストで優勝した。しかし、うまく醒めることができると、自分の販売は、誰も幸せにしないことが分った。そうなると、もはや仕事を続けるエネルギーはなくなる。やがてSFドラマの影響でITテクノロジに興味を持ち、コンピュータソフト開発者になったが、自分には営業職より幾分マシだった。

価値は自分で決めれば良い。
ただし、ほとんどの人間には、ちゃんとした価値付けはできない。学校で叩き込まれた教育や、マスコミを通してなされた洗脳の恐ろしさを甘くみてはならない。
そんな中で、勝手に価値判断をしてもいけない。ロクでもないものに価値を置き、馬鹿な人間になる。例えばカッコばかりに価値を置くようになる。せっかく高校をドロップアウトし、ひきこもりにもならなかったのに、ファッションやロックにばかり興味を持つ若者を見るのもまた悲しいものである。
難しいのだ(笑)。
イエスは真理を語ったかもしれないが、キリスト教という宗教が真理を教えてくれるかどうかは別問題だ。そもそも、聖書そのものにも、権力者による改ざんがあるかもしれない。
荘子やニーチェにはかなりの真理が書かれてあるが、理解するのには苦しい経験と時間が必要だ。読んでたちまち真理に到達できるなんてものがあるはずがない。

そこで必殺技になるのが少食である。
おそらく、世間に打ち勝つ唯一にして最強最後の武器が少食だ。
世間で必要と宣伝される食事の量の多くとも半分以下、世間で美味しいから食べろと宣伝される美食やお菓子の一切を食べない。これを貫けば、ウィルソンの本にあった男性のように、我々も賢者となれるのである。

特殊な心理操作の技術を使って、心の持ち方を変えることも可能かもしれない。しかし、ご存知かもしれないが、その方面は偽物が多く、どれが正しいかはあなたには判断できない。私には判断できると思うが、あなたに納得させることができない。
また、インドの聖者の教えに従い、真の自分に目覚めることも興味深いが、成功した人なんて万に1人もいるか?
害のない、そしておそらくは効果も高いものとしては、有名な宗教団体、白光真宏会の「世界平和の祈り」があるので、参考にしても良いと思う(私は信者ではないが)。これは、断食療法で著名な甲田光雄さんも価値を認めていたと思う。彼はこの祈りを自己流に改変していたが、根本的には同じと思うので、オリジナルのままで良いと思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.11.16

真の芸術家は陽気に狂う

午後4時頃に帰宅した母親が、つき立ての餅で作った実に美味しそうな安倍川餅(きな粉とこしあんの2種類)を持って来た。それは私の大好物である上、昨夜の夕食(少量の粗食)から何も食べていない空腹の身には激しい食欲をそそらされる。ここらは、全く平凡な野獣だ。
しかし、1日1食と間食一切禁止の誓いを立てた私は、当然、全く手を付けない。
私は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の呪われた海賊のようなものだ。彼らは、舌も胃もないので、食べたくても食べられずに苦しんでいる。だが、私は完璧で健康な若い身体を持っているが、自らの意志で食べない。
これは、世間的には気狂いと見られるかもしれない。
今回は、それがテーマだ。
まずは、私が愛するナイフの写真からだ。
Buck_110fh
私がなぜナイフが好きかというと、1つには、子供の頃に持つことを禁止されたからだ。
特に、このBUCK社のフォールディングハンター110のように、刃渡り95mmもある立派なナイフを持ったりしたら、気違いだと言われたと思う。
だから良いのである。ナイフは自由の象徴だ。
(別の理由としては、人類の最も古くからの長い知恵が込められているからだ。何といっても、ナイフは火に次ぐ古い道具であり、美しさと機能の両立を教えてくれる人類最古の友なのだ。)

イタリア映画「愛のほほえみ」で、オルガという名の愛らしい10歳くらいの少女が、タバコを手に、ルーカ少年に「火を持ってない?」と言う。
驚くルーカに、オルガは「あたし、やっちゃいけないってことは何でもやりたいの」と言う。
オルガは自由を求めていたのだ。
オルガも、世間から見ると、気がヘンと思われるかもしれない。
だが、自由とは、世間で狂うことなのだ。だって、世間の別名は「狂った場所」なのだ。狂った場所で狂わずして自由はない。

世間に迎合しながら芸術家を名乗る輩はペテン師だろう。
芸術家の仕事とは、世間の中で狂ってみせることに他ならない。
当たり前である。芸術家の使命は、人々に自由を教えることなのだから。
岡本太郎を見ればよく分かるだろう。「世間に言いたいことがないやつが芸術家であるはずがない」と彼は言った。
池田満寿夫は、「私には狂気はない」と言ったが、世間的にはあきらかに狂気を持っていた。彼には、世間的な狂気の世界が普通だったのだろう。
ひきこもりの作家ベケットこそ、本物の芸術家だ。彼は、のこのこノーベル賞の授賞式に出かけていきはしなかった。そこまでやりはしなくても、本物の芸術家はノーベル賞なんてものにさしたる価値は認めないだろう。

イエスは「私は世間に勝ったのだ」と言った。彼には、世間の賞賛も豊かさも興味のないものだったのだ。
ニサルダガッタ・マハラジは、常に「私は世間的には死んでいる」と言った。
よって、彼らは最高の教師と言われるのだ。

世間に反逆することが自由であり、芸術の真髄だ。
だが、反逆すると言っても、普段は別に露骨に攻撃する必要はない。ガンジーが示したように、無抵抗こそ最大の攻撃だ。迎合せず、無関心であれば良い。笑って見ていれば良いのである。あるいは、呆れて、または、哀れんで見ることもあるかもしれないがね。
無差別殺人なんてものをやらかす輩は、狂えなかった者達だ。彼らは世間に関心を持ち過ぎたのだ。それで世間に恨みを持ち、世間の中で劣等感に悩み、心を抑圧し続けた。その結果があのザマだ。
世界を破壊するのはGay(陽気)な者であるとイェイツは言った。
芸術家は、そして自由人は陽気に狂うのだ。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.15

今を大切に

ジェームズ・キャメロン監督の歴史的作品になるであろう映画「タイタニック」で、ジャックが、「今日」の大切さを金持ち連中に語り、喝采を得るシーンがある。
「始まったばかりの今日という1日。それは未知なる1日だ。運命がどんなカードを配ろうと、それも1日なのだ。その今日を大切に生きるべきだ」

我々は、今にしか生きることができない。昨日や明日を生きることはできないのだ。なら、今日が大事であることは明らかだ。

アンデルセン童話に「もみの木」というのがある。
私は、子供の時、一度読んだきりだったが、ぞっとするほどの感慨があったことを憶えている。
このお話は、昔の翻訳も含め、著作権が切れており、青空文庫で無料で読める。
アンデルセンの書いた、見事な賢者の書と思う。

青空文庫 もみの木

ジャックが言ったことと反し、今を大切にしなかった、今を楽しまなかったもみの木の話だ。
もみの子はいつも幸せだったのだ。しかし、未来にあると思うもっと楽しいことにばかりに思いを向けた。そして、いつも今はつまらなく、自分は不幸だと思い続けたのだ。
私が子供の時に読んだ時のように、このお話を読めば、その深い意味は分らなくても、実に大切なことが語られていることを感じると思う。

ここで1つ、非常に重要な人生の真理を書いておく。
いきなり聞くと矛盾しているように感じるかもしれないが、本当のことである。
未来で幸せになるためには、今幸せでないといけないのだ。
過去が不幸だったという人は、現在幸せではない。今幸せな人は、苦しかった過去すら楽しく語るのだ。
自殺を真剣に考えるほどいじめられた相手に対し、岡本太郎は「いやあ、君には随分いじめられたな」と仲良く酒を飲んでいた。
では、幸せとはどういうことであろう。時間とは流れるものであり、今も絶えず過ぎ去って行く。ということは、今が幸せであるとは、今を幸せに過ごすということである。過ぎ去った時間は過去に向かう。今が幸せなら、過去も幸せになる。未来が幸せなら、現在が幸せでないはずがない。
今という時の流れを幸せに感じることが幸せなのだ。
(より深くは、時も幸せも幻想である。しかし、我々はいきなり超人にはなれないので、ここらの問題は今は置いておく)
そして、今を幸せに過ごせば、未来も確実に幸せになる。
幸せは未来に訪れるものでも、将来に勝ち取るものでもない。今この瞬間に幸せでないなら幸せとは縁がない。
歴史的名曲である「ヘイ・ジュード」に、「悲しい歌だって気分次第で楽しくなるさ」とあるように、全ては気持ち次第、いや、自分次第だ。世界を創るのは我々の心なのだ。
そして、我々を不幸にしているのは、世間に押し付けられた価値観だ。それと比較し、自分はダメだと思うと不幸になのだ。世間はいつも狂っているものだと諦めろ。すると真実が見えてくる。

今を大切に。それが自分を、そして宇宙を大切にすることである。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.11.14

1日少食のすすめ

少食を実施するための「1日少食」という考え方をご紹介する。

よく「1日断食」ということを聞くのだが、「1日少食」は、それとは根本的な考え方が異なる。
「1日断食」では、その日1日断食すれば、翌日以降は天下ご免で食べて良いことになる。
しかし、「1日少食」とは、その日1日を少食にしましょうとはいうものの、翌日もまた、「今日も少食にしよう」と誓うのである。

ちょっと分りにくいかもしれない。
それなら、「ずっと少食にしよう」と誓えば良いではないかと言われる方もいよう。
そうではないのである。
昨日や明日のことなど、どうでも良いのである。今日、少食にすることだけが重要なのだ。
昨日は、少食の誓いを破り、食べ過ぎてしまった。おやつもつい食べてしまったとしても、そんなことはどうでも良いのだ。今日、少食を実施すれば良いのである。つまり、「過ぎたことなど、思いわずらうな」である。
明日もまた、食欲に負けてしまうかもしれない。いや、そもそも、明日、生きているかどうかも分らない。そんな明日のことなど考えても仕方がない。明日になった時点で、「さあ、今日は少食にしよう」と思えば良いのだ。

人間は、どうも過去や未来に囚われ、それが不幸の大きな原因になっている。
過去の反省をしても、大概、意気消沈するだけで良いことは何もない。今日、励めば良いのだ。
まだ来ない未来について、あれこれ心配しても時間のムダ、エネルギーのムダである。
イエス様も、「明日のことは明日にまかせておけばよい」「明日を思い煩うな」と言っているではないか。
そして、仏教にも「1日賢者」という教えがあり、今日、しっかり励めと言っているのである。

少食にすれば、良いことだらけである。
身体はスリムになって軽く美しくなる。食費もかからない。病気も治るし体調は良くなる。
着れる服も多くなる。少々大きな服を着るのはむしろお洒落だが、キツキツの服を着るのはみっともないし、服が傷む。
少食を続けていれば、ある日、鏡に映った自分の顔や姿にうっとりする日も来るだろう。それは予告もなくやってくる。
運も良くなる。望まなくても幸運に恵まれる。それはごく当然のことなのだ。
そのために必要なのは、あくまで、「今日、少食にしよう」である。失敗した昨日を悔やんだり、「明日は出来るだろうか?」などと考えると、少食が続かない可能性は高い。
また、「次の健康診断でメタボ判定を免れるため」といった目標を持った場合、それはうまくいったとしても、健康診断が終わったら、反動で以前より沢山食べ、より肥満になり病気になって死んでしまう人も多いと思う。あのメタボ検診とやらは、全く百害あって一利なしである。

人間には、今しかないのである。昨日や明日は幻想である。言ってしまえば、反省も希望も必要ない。反省する暇があれば、励むか楽しめば良い。希望を持つと、同時に不安も起こるものなのだ。
このあたりは、また独立に書く必要もあろう。で、明日書く(笑)。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.13

ひきこもりのままで良いという教え

ひきこもりの方、および、そのご家族にお薦めしたい本に、

ひろさちやの「無関心」のすすめ(ひろさちや著 青春出版社)

という本がある。
特にひきこもりをテーマとした本でもないのだが、著者のひろさちやさんは、ひきこもりに関する相談をよく受けるらしく、本書でもページを割いて、そのことを取上げている。
ひろさちやさんについて説明しておくと、1936年生まれの仏教学者であるが、出家の方ではなく、在家の方だ。東大の印度哲学と同大学院を出て、気象大学校の教授を務め、現在は大正大学の客員教授であるらしい。著作は400冊以上で、仏教を僧侶ではない一般人の立場で分りやすく教えてくれることから、非常に人気がある。

さて、ひろさちやさんが、ひきこもりの相談を受けた時の答えは「もう少しひきこもっていなさい」らしい。
まあ、つまるところ、「ひきこもりのままでいいんだ」ということだ。
いや、ひきこもりだけではない。例えは悪いが、病人なら病人、犯罪者なら犯罪者のままでいいんだというお考えである。
もちろん、これらは仏教的な思想から来ている。
ひきこもりの親としては、仏様から、ひきこもりの子供を預かったのであるから、ちゃんと預かっていなさいということである。そして、仏様がそうしたのにはちゃんと訳があるのだから、心配することも文句を言うこともないということだ。
(子供を「授かる」ではなく、「預かる」であることに注意。預かっているだけであるから、あくまで仏様の子供であり、自分の子供ではない)
また、自分がひきこもりであるのは、仏様にその役割を与えられたのであるから、ちゃんとひきこもりをやっていれば良いと言う。
人生はおしばいに過ぎない。シナリオは仏様が作ったのであるから、役者たる我々が、自分の役について文句を言ったり、勝手に役を変えようとしたりは筋違いと言うのである。
そして、死んで仏様の浄土に戻った時、良い役柄(例えば立派に働いて世間的に幸福だった人等)だった人には、仏様は単に「ごくろうさん」程度のねぎらいだが、極悪人を演じさせられた人には丁重なねぎらいがあるらしい。この世には、善人や成功者と同様、悪人やおちこぼれも必要なのだ。みんなが社長になったら、掃除のおばさんがいなくて困るだろう。
でも、ひきこもりの子供が40歳(あるいはそれ以上)を超え、親も先が長くないとなると心配にもなる。ひろさちやさんは、「自分が死んだ後のことなんか気にしてはいけない。心配しなくても、仏様がひきこもりをやらせているのだから、面倒を見てくれる人なんかすぐに見つかる」と言う。

こう書くと、単なる気休めの本と受け取られかねないが、そうではないと思う。
この本全体を通し、社会の弱者たる我々が、実際的な力を得ることのできる本になっている。
また、ひきこもりだけでなく、深い悩みを持つ人や、生きていく気力を失くしそうな(あるいはなくなった)人にも力を与えるはずだ。
詳しくは本を読んでいただくしかないが、我々が自分を弱めているのは、自分の思い込みなのである。その自分の思い込みが、いかに意味のないものであるかを仏教的に解き明かし、我々をそれから解放しようというものである。

僧侶でもないのに、仏教の思想を語る人に、脳機能学者の苫米地英人さんがいる。
苫米地さんは、人が能力を最大にし、成功したいなら無限に成功する方法を教えるため、最近はすごいペースで本を書き、講演し、教材を作っている。一方、ひろさちやさんは、「成功者なんて軽蔑すればいいのですよ」「能力なんか知ったことではありません」といった立場と思う。ひろさちやさんは、能力開発も成功も、興味もなければノウハウも知らないと言うだろう。
ところが、この2人の本を何冊も読んだが、面白いことによく似ているのだ。特に似ている部分は、「世間に逆らえ」である。諸悪の根源が、世間の価値観、世間の常識であることでお2人は一致しており、これから逃れる、打ち破る方法を異なったアプローチで教えているように思う。

私のように、小難しいことが苦手なら、ひろさちやさんの本を一度読むことをお薦めする。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.12

人気スポーツ選手の引退について

高橋尚子さんの引退を聞いた時は、ひとごとながらほっとした。
彼女の身体はもうボロボロのはずである。おそらく、将来は後遺症に苦しめられることになるだろう。それは、競技生活を続ければ続けるほど深刻になるはずだ。本当は、アテネオリンピックで落選した時にやめれば良かったと思うし、シドニーの、あの一番輝いていた時にやめても良かったと思う。
最近、人気バドミントン選手や、女子レスリングのオリンピックメダリスト達が、一度表明した引退を撤回したニュースをよく見るが、何とも残念だ。気持ちよくやめさせてあげればいいのに、彼女達を使って利益を上げようとする者達がそれを赦さないのだろう。
昨夜も、テレビで人気バドミントンペアの2人の会見を見たが、明らかに彼女達は自分の意思で道を選んでいない。彼女達の発言も報道も、おそらくほとんど嘘だろう。「コンビを解消するのは寂しい」と言いながらの引きつった笑い。それを聞くもう一方はいずれも恐い顔。早く離れたいという雰囲気しか感じられない。相手の発言に対し、一度も頷かない2人。もう憎みあっているとしか感じられない。
引退したい方には、「お疲れ様。よくやったね」で良いではないか?この世には、他にやりがいのあることがゴマンとある。若いうちにそちらに行かせてやればいいのにと思う。

フィギュアスケートの村主章枝さんも、バンクーバー五輪を目指すなど夢のようなことを言わず、競技を引退した方が良い。
現行ルールでは、彼女が今後勝ち残る可能性なんてない。不可能に挑むことも素晴らしいことではあるのだろうが、もっと他に持つべき目標だってあるはずだ。浅田真央さんやキム・ヨナのスケートより村主さんのスケートが好きな人も多いと思う。その雰囲気はプロで十分に見せられると思う。
だが、フィギュアスケートのプロでは、オリンピックの成績でギャラがはっきり違うという。馬鹿げた話である。ロシアのスルツカヤも、ソルトレイクでまさかの逆転負けで銀となり、どうしても必要な金メダルを目指して執念でトリノオリンピックを目指す姿は決して感動的ではなく、ひたすら心が痛かったと思うが如何であろう?

水泳の北島康介や、ハンマー投げの室伏広治も、もう十分以上にやった。早く次の道に進んで欲しい。彼らの引退を利益のために引きとめようとする勢力はあるだろうが、我々がそんな連中にそそのかされずに、彼らの自由を認めれば良い。
スポーツでの栄光など、人生の初期のちょっとしたことに過ぎないのだ。それを多くの人が、物凄く尊いもののように思っているのは、それで金儲けをしようという勢力に価値観を押し付けれているに過ぎないのだ。
アメリカでは、アマチュアスポーツ(と言えるかどうかは疑問だが)のスターが若くしてあっさり引退することがよくある。彼らは別の道に転進し、成功するかどうかはともかく、充実した人生を送っていると思う。彼らだって、引退の時には、いろいろ妨害や摩擦があったと思うが、自分の意思を貫いたのだろう。しかし、それでこそ人間らしい生き方をしていると言えるはずである。

G_sknight
本日もナイフコレクションの紹介です。ガーバー・シルバーナイトです。
デザインはグリーン・ベレー(米国特殊部隊)出身のアル・マーとされています。非常に美しく、また、長い歴史を誇るポケットナイフの名品です。ブレードをオープンする時のスムーズさと、ロックされる時の小気味良い「カチッ」という音に品質の高さを感じます。現在は残念ながら生産されていないと思われます。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.11

本日は健康診断を受けてきました

本日は健康診断でした。
私は、医療なんて全く信じていないのでどうでも良いのですが、今は会社法がいろいろややこしく、すっぽかすと会社に迷惑がかかるようでとりあえず受診しています。
好きな時に、会社の指定する病院で受診すれば良いという方法です。
最近の病院は、警備の方も含め、非常に愛想がいいですね。受付の女性も可愛い方が多いですし、行くのが嫌ではありませんけんどね。

私は、腹囲の測定は40歳以上のみだと勝手に思い込んでいましたが、単にこれが今年から新たに検査項目に加わったというだけで、必須検査項目ではありませんが、医者が省略して良いという判断をしない限り、全員測定するようです。ちょうど、昨年までの検尿と同じです。尚、検尿は今年から必須となったようです。
私は、腹囲なんてものを測ったことがなかったのですが、一般にいうウエストサイズと違い、お臍の位置でお腹回りを測るようです。ウエストサイズよりいくらか大きくなるようです。
私は、自分のウエストサイズもよく知りませんが、洋服屋でウエストサイズを聞かれたら、「70ちょい」と答えていて、それで間違いないようですが、腹囲を測ってもらったら75センチでした。やはりウエストサイズより少し大きいかもしれません。

ある統計によると、30代、40代男性では、約半数が、腹囲がメタボ検診でアウトとされる85センチを超えるらしいです。平均で83.9センチとか。
腹囲だけで決まるのではありませんが、メタボ検診の対象となる40代男性では、4人に1人がメタボにされるらしく、我が国のこの厚生労働省の基準には批判も多いようです(腹囲だけなら、40歳以上なら7割くらいがメタボになるかもしれません)。
だけどね、厚生労働省の基準なんて何とも思いませんが、不健康な人の割合ならもっともっと多いと思いますよ。
メタボの人に医療がどんな指導をするのかは知りませんが、効果があるとは思えません。
健康になりたいなら、間食と朝食をやめ、少食・粗食にすればいいだけのことです。それなのに、3食しっかり食べろとか、栄養バランスを取れとか、肉食も必要とか言うのでしょう?おまけに、最近は病院でも、製薬会社と組んで高価なサプリメントを薦めています。
私は病院に近寄るつもりは毛頭ありませんが、まあ、検診以外で関わることはないでしょう。

ところで私、採血するにも、血管がほとんど見えないのです。無駄な脂肪は全くないのですが、肌の表面が全く滑らか均質で、看護師さん泣かせです。私は「遠慮なく、ブスブス刺しまくって下さい。なんなら手の甲でもいいですよ」と言ってあげます。
今回も、一度だけ刺し直しをされましたが、それでも1回だけでしたので、かなり上手な方と言えます。5~6回刺されても仕方ないと思ってます。あ、痛みに鈍感ではなく、むしろ普通の人より敏感かもしれません、くすぐりには極端に弱いですしね(笑)。

Wengernr
内容とは関係ないですが、ナイフコレクションの紹介です。
スイスのウェンガー社のニューレンジャーです。大変にシンプルなナイフですが、ライナーロックを採用した安全なナイフで、ハンドルの上面のウェンガー社のマークを押すことでブレードのロックが外れます。
ブレード長は90mmと大きく、切れ味良く錆びないイノックス鋼です。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.10

アメリカ国民の問題

さて、再び、次期アメリカ合衆国大統領バラク・オバマにちなみ、アメリカの人種差別問題である。

アメリカの有名な画家ノーマン・ロックウェル(1894~1978)についてはよくご存知の方も多いだろう。
画風は写実であるが、スーパーリアルと言われるその作品は本物以上の臨場感、迫力があると言って良いと思う。
このロックウェルの1964年の作品に「アメリカ国民の問題」(the problem we all live with)がある。
Wikipediaによる画像はこちら
奴隷解放宣言100周年の翌年に描かれたものである。

4人の男性の大人の中央に、小さな黒人の少女が学用品を抱えて歩いている。
一瞬、大人達と少女のポーズがほとんど同じというユーモラスさを感じる。
いったい何が起きているのか、すぐには分らないかもしれない。
少女達の向こうは壁で、少女の後ろの壁に空間が空いている。
その空いた壁をよく見ると、少女の頭よりやや高い位置を中心に、何か赤いものが広がっている。
壁の下の地面を見ると、潰れたトマトが落ちている。
つまり、少女にトマトが投げつけられ、それが壁に激突したのである。
少女は前に歩いているので、トマトは少女の頭上のすぐ近くで炸裂したのかもしれない。
少なくとも、少女からさほど遠くないところで壁に当たったのは間違いないと思う。
しかし、少女は、背筋を伸ばし、怖気づくこともなく凛とした様子で歩いていく。

誰がトマトを投げつけたのかは分らないが、黒人が教育を受けることを認めないような人種差別主義者であることは想像が付く。
だが、この小さな少女は負けないのである。
この絵が描かれた時、バラク・オバマは3つかそこらだったはずだ。
このような志ある黒人のおかげで、オバマが大統領になることができたのであると思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.09

人生を豊かにするアナログ主義のお話

Marino
愛用の懐中時計“capitano MARINO”。日中は太陽、夜は月の顔が現れる。

携帯小説という言葉をかなり以前から聞くが、私はそれを読んだことは1度もない。
携帯電話で文字入力をすることで製作する小説であると思うが、実際、どんなものだろうと考えてみたことがある。
携帯電話の文字入力デバイスとしての性能は、もちろん、パソコンに比べれば相当劣る。
しかし、かなり以前から、携帯電話でメールをすることは一般化しており、その操作に慣れている者が多いので、文字入力にも十分に使えると思われているかもしれない。
だがしかし、一般的に携帯メールで送信する文章というのは比較的単純であろうし、ほとんど決まりきった言葉しか使わない場合も少なくないと思われる。
また、単に文字を入力していくだけなら、それなりに使えるとは思うが、文章を見直して編集するという作業は、いかに携帯電話の画面が昔よりは大きくなったとはいえ、たかが知れていると思う。
それに、全く何もない状態から文章を作る場合、良い品質の文章を作るには、かなりの才能があるか、訓練を重ねる必要があると思われる。

確かに、昔の作家は皆、紙にペンで文章を書いたのであるから、今のパソコンのように自由に編集できるわけではない。しかし、昔の作家の原稿を見れば、ほぼ恒例になっているように、行の隙間に文章を書き加えたり、線を引いただけで削除を表したり、原稿用紙の空いた部分に文章を書いて、削除した部分に矢印を引っ張ることで、文章の差し替えを示したり、手書きゆえの自在さがある。このあたりは、実にパソコン以上と言えるかもしれない。

考えるより実践である。
私も携帯電話でどのくらい文章が作れるか試してみた。
以前から、良い考えが頭に浮かんだ時には、それを書き留めておくことは良いことであると思っていたので、もし携帯電話がその役割をうまく果たしてくれれば有り難いことだと期待しながらである。
全く駄目ということはないと思った。
私は携帯電話のメールは多用はしないが、時々は使うし、手先は器用で、左手一本での入力も平気だし、多分、入力速度はかなり速い。しかし、多くの携帯メール利用者がしているような、パターン通りの文章を書くなどという行為は嫌悪するほど嫌いである。そんなことをするくらいなら死んだ方がマシである。
やはり、結局は実用に耐えないと分った。
文章を書くのに場所や時間は選ばない。夜中に目が覚めて、良いアイディアが思いつけば、すぐに書き込む必要がある。しかし、そもそも、携帯電話のカバーを空け、エディタを起動するのにイライラする。そして、いかに高速入力をしても、思考速度に比べれば実に遅い。これらの理由で思いついたことがすぐに書けず、ましてや書かずに忘れてしまったりもして、かなりのストレスになることが分った。

Moleskine
肌身離さないモレスキンのノートとパーカーのボールペン“ジョッター”

それで、何のことはない。ノートとペンを持ち歩くことにした。
アイディアをいきなり成型する必要はない。貴重なアイディアを忘れないうちに素早く書くことが何より大事なのだ。また、あらゆる書き方が出来るので、思った通りのイメージで書けストレスがない。
どうせなら、良いノートとペンを使えば気分も出る。
ノートは、ピカソやゴッホも愛用したと言われるモレスキンを購入。A5版でハードカバーのこのノートは、さすがに長い歴史を持つだけあり、実に使いやすい。
ボールペンは1954年から発売されているパーカージェッターだ。小さいが実に書き易い。
IT技術者でありながら、ノートPCやPDAに何らの関心もなくなった。アナログ万歳だ(笑)。
いや、こんないいものがあるのに使っていなかったなんて、実にもったいないことをしていた。
見た感じも実にカッコ良く、持ち歩くのが楽しい。今後は、肌身離さずとしたい。人生、これで楽しくなると思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.11.08

不良星人としての挑戦

私などは、食べたい欲求とかなり戦いながら少食を実践しているが、世の中には苦労もなく少食ができる生まれつき食の細い人もいる。
生まれつき食の細い人は、恵まれた人間である。私は、こんな人たちを、高校生の頃からなぜか「優良星人」と呼んでいた。不適当な感はあるのであるが、以下でもこの用語を使う。これに対する用語は「不良星人」である。つまり、私は不良星人である。

生まれつきの美人、生まれつき頭の良い人、生まれつきの才能に恵まれた人といったものは確かにいる。
ニュートンは「私の才能は神から預かったもの」と言ったが、預けてもらえたのはやはり幸運であろう(時には不幸も起こるが)。
では、才能に恵まれることは幸福なことであろうか?
あるいは、いかなる才能が最も幸運なのであろうか?
水野南北は、紆余曲折の求道の中、50日間の断食と水行で、「食が全てである」という啓示を得た。
そして、彼がその道を極めた観相も確かに素晴らしかったが、百発百中ではなかった。しかし、食による運命鑑定では万に1つも外れず、運命向上に関しても同様であった。
これが真実であるとするならば、最も恵まれた才能は少食ということになるが、私はそうであると確信する。

世の中には、「わが子はあまり食べない」と心配し、何とか沢山食べるようにしようと努力し、念願かなって子供が沢山食べるようになると喜ぶ親がいるそうである。確かに、子供に何らかの有害な精神的抑圧があって必要なだけの食事ができなくなっているなら問題があるのかもしれないが、単に食べる量が少ないのであるというだけなら非常に良いことと思う。その子は人々に慕われ、特別な才能を発揮し、幸福になれる可能性があると思う。
それを無理に食べさせるなどもっての外である。

生まれつき食の細い、幸運な著名人として、最近、世間を騒がしている小室哲哉さんがいる。
確かに、良くないことで騒がれるようになったが、それも過去の優れた功績のせいであると思えば、一概に哀れむということもない。
小室さんの全盛期に見たテレビ番組で、小室さんが自ら少食であることを明かし、「せめて喫茶店で、一人前のピラフを食べられるようになりたい」といったことを言っていたのを思い出す。
一人前のピラフを食べきれないなど良いことではないかと思うが、そのようなことを言うとは、小室さんも世間的価値観に毒されている部分もあるのかもしれない。
小室さんは少食ではあるが、いや、超少食であるからこそ、並の人間とは比較にならないエネルギーでもって、長時間のハードな仕事をこなし、天才的才能と意思の強さまで兼ね備えていることから大成功を収めることができた。

通常、食を節制することができれば、全てにおいて慎みを持つものである。
しかし、小室さんはそうではなかった。
彼が派手で豪華な生活をするのは、単なる見栄っ張りなのか、あるいは、我々が知らない原因があるのかは知らないが、あまりに慎みに欠けており、当然ならが転落した。
ここらは、もしかしたら生まれつき食の細い人が陥りやすい不幸であるのかもしれない。
食べたくないから食べないという人は、食を節制しているという感覚がないので、慎みを持ちにくいものであるのだろうか。

私は、小室さんの音楽はあまり真面目に聴いたことがないのだが、多分好きである。
ただ、大衆の支持するものには、本筋から離れた歪みや逸脱があるので、わざと近寄らないようにしていた。特に有名な曲の中には、明らかに嫌悪感を感じるものもあった。しかし、やはり素晴らしい歌が多い。
Yahoo!動画でアニメの「シティーハンター」をよく見たが、そこでTM Network時代の小室さんの曲も聴けるが、これらも実に素晴らしい。当時とか、今の時代の雰囲気といったようなこととは全く関係なく、非常に個性的で独特であると思う。

水野南北も、食を節しさえすれば十分とは言うも、住居や衣服などを飾り立てる人間は衰運に向かうと言っていたようだ。小室さんの場合、普通は最も難しい食の節制が簡単なので、そちらの方で逸脱が起こるのかもしれない。
小室さんには立ち直って欲しいと思う。やり直しの効かない人間なんていないと思うし、彼の場合は、いずれにしても少食でしかも天才だ。事業になどに手を出さず、音楽家に専念すれば良いと思う。
70億ほどの債務が原因で転落していったが、香港でのビジネスで協業したマードックにとっては、そんな額ははした金。所詮、ビジネスマンとしては器が違う。お金ではない価値のあるものを求めて欲しいものである。

ついでに言うが、小室さんと離婚した女性への慰謝料が7億円ほどにしていたと聞く。大物芸能人の離婚話ではよくある話であるが、7億も取ろうとすることが私には信じられない。例え、小室さんが払うと言ったところで、いくら取ってもせいぜいが1億までにしておくものである。
しかも、子供の養育費も毎月200万円としているとも聞く。これでは、何の苦労もなくなってしまうではないか。
その程度は当たり前と言う方も多いとは思うが、それは一部の価値観であり、正しいことではない。
そんな慰謝料を取った女性は、その後の人生はロクなことにならないはずだ。
いっそのこと、慰謝料などいらないと断れば良い。そうしたら、我々は、その女性の高潔さに心打たれるだろう。それはつまり、それが最も良いことであると、我々は心の奥で知っているからだ。
離婚については、いずれか一方が全面的に悪いということはない。
それでも、出来るだけのことをするのが男の誠意という面も確かにあるので、男の方が高い額を申し出ること自体は良いことである。しかし、女性の方は男を思いやり、男にとって余裕のある金額で手を打つべきである。そうすれば、その女性の人生も良いものになるはずだ。

小室さんは、羨むべき優良星人である。
あまり数は多くはないが、巷にも優良星人は存在し、不良星人の私は、明らかな生まれの違いにひがんでいたこともあった。不良星人が努力している頭の上を軽々と飛び越える優良星人達。
生まれながら尊い宝を持つ生まれながら天使に近い人達。
NHK大河ドラマ「北条時宗」で、時宗と違い、正室の子でない兄の北条時輔が言った言葉
「持たざるものがどこまでやれるか」
に強く共感したものだ。時輔は持たざる身で、持てる者に挑むのだ。
不良成人である我々も、意思の力で食を節することで、優良星人に挑戦することもできる。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (7) | TrackBack (0)

2008.11.07

1日1食の少食生活が4ヶ月経過

本日で、1日1食生活は4ヶ月となりました。
今年の7月27日に朝食と間食をやめ、8月7日から1日1食にしました。

朝食、昼食は全く食べずに、夜だけ食べます。
夜も、完全な菜食で、健康で大柄な若い男性の食事としては非常に少量と思われるかもしれません。
米は、小さなおにぎり1個分。おかずは、小さな豆腐と漬物、それに他の野菜が1品あるかないか。
甘いものは好きなのですが、唯一食べて良いものとしているのは金時豆で、これの1パックを1週間に分けて食べます。1回分は5~6粒といったところで、1パックを食べ終わる頃は消費期限すら切れています。
大抵、食後に果物を食べますが、最近旬の柿や梨であれば、半分までです。
間食は一切しません。ただ、夜にお茶(緑茶、ブラックコーヒー等)を飲む際、アーモンド1粒とか、クルミのかけら少量、あるいは、ドライレーズン1粒を食べることはあります。小動物みたいで可愛いですね(笑)。
また、アルコールはスコッチ、ジン、バーボン、コニャック、テネシーウイスキー、カナディアンウイスキーを・・・香りだけ味わいます(笑)。
我が家はお菓子の届け物が多く、高級クッキー、ロールケーキ、高級和菓子、ようかん、饅頭・・・甘いもの大好きな私にはたまりませんが、一切手を付けません。しかし、なぜこんなに来る^^;

水分もあまりとりません。朝にお茶、午後3時頃にコーヒーを飲みます。以前はペットボトルに水道水を入れて飲んでましたが、最近は持ってても飲まなくなりました。

体調は非常に良く、身体はよく動かします。
駅まで2kmありますが、重めの鞄を持ち、非常に速足で歩きます(下手に走っている人なら抜き去ります)。帰りも疲れはなく、身体が軽いです。
平日は、朝と夜に、それぞれ腹筋運動300回。食べ過ぎたと思ったら、さらに300回追加。休日は1000回以上です。
鉄アレイは2kg、4.5kg、8kgと用意しており、使い方も高校時代から研究していて、多様なトレーニングをします。

ダイエットに興味はないのですが、元々が大食で、意図的に逞しい身体にしていたこともあり、この4ヶ月で25kg落ちました。
180cmで94kgだったのが69kgになりました。数字以上に痩せて見えます。
106cmだった胸囲が96cmになったことはやや寂しいですね。しかし、無駄肉もあったのでしょう。

食事を抜くと脂肪が付くということも聞きますが、それは食べる量が多かったり、肉食等、脂肪の多いものを食べる場合と思います。
私はいまだ週1kgずつ減っています。もちろん、脂肪なんか付きません。
また、いわゆる健康の専門家を名乗る人にも、1日1食は薦めながら、夜は何を食べても良いと言う方もいますが、賛成できません。例え1日1食であっても大食したり、肉などの美食をしては意味がありません。ただ、老人であれば、少量であれば消化の良い肉食は悪くないかもしれません。

お腹が空かないかと言われると、当然空腹です。
食べたくはないかと聞かれると、ものすごく食べたいです。
しかし、空腹に耐えることが何より素晴らしいことだと思っています。
空腹に意思の力で耐えていると、自分を信頼するようになります。
また、普通の人が、食物の消化、吸収、排泄に使うエネルギーを脳に回していますので、思考力も上がるのだと思いますが、それよりも、これまで知らなかったような能力が出てくるように思います。ちょっと説明し難いのですが、情報制御能力とかいうもので、この場合の情報とは、現実世界の抽象度を超えたもので、この世を支配する縁起にまで及ぶものかもしれません。だから、このような能力を発展させると、世界を自在に動かせる可能性もあります。いや、おそらくこの世は意のままになると思います。そして、世界が自分の財産であることが分かってきます。

さて、いつまでこのような少食生活を続けるつもりかと言いますと、一生です。
大好きだったカレーライスやスパゲッティ、オムライス、焼肉、ステーキ、ハンバーグなどは一生食べないつもりです。
また、超大好きだった、チョコレート、ケーキ、プリン、シュークリーム、アイスクリームなども生涯食べません。
こう決めると、自分が死んだような気がします。いえ、世間に対しては、私は死にきるつもりです。
ただ、世界平和に大きく貢献した暁には、ラーメンとアンパンを食べたいという希望がいまだあります。未練がましいなあ・・・^^;

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.11.06

オバマ大統領を予感させた黒人の英雄達

バラク・オバマの大統領選挙戦勝利に、アメリカ、ひいては世界はついにここまで進歩したと感慨を深くする方も多いと思う。数十年前であれば、黒人のアメリカ大統領など想像することも不可能であったはずである。

だが、その伏線のように思えた出来事をあげるなら、1997年に、メジャー・リーグ・ベースボールが、ジャッキー・ロビンソンの背番号42を全球団共通の永久欠番としたことがある。
ロビンソンは黒人初のメジャー・リーガーである。ちなみに、ロビンソンをスカウトしたのは、イチロー以前にシーズン最多安打記録を持っていたジョージ・シスラーだ。
ロビンソンは確かに第一級のプレーヤーであったが、その背番号が全球団で共通の欠番となるほどの評価を受けたのには、当然にして、メジャー・リーガーとしてかなりの活躍をしただけでなく、人種差別と戦いながら、人格の高さによるアメリカ、ひいては全世界の進歩に貢献したからであろう。
ロビンソンがドジャースに入団した時、チームメイトすら彼と同じテーブルで食事をしたり、一緒にシャワーを使うのを嫌がったし、一緒にプレイすることを拒否してチームを去った者すらいた。また、地元のファンすらロビンソンに生卵を投げつけ、彼の家の窓ガラスを割るということすら起きた。
しかし、いかなる時もロビンソンは紳士的な態度を持ち続け、報復どころか文句ひとつ言わなかったという。
キング牧師の有名な言葉「私には夢がある。我々が肌の色ではなく、人格で判断される国に住みたい」は、僅かではあるが実現していった。チームメイトもファンも彼を慕いはじめ、評価し、遂には、彼の死後ではあったが、彼の偉大さが完全に認められ、彼の背番号42は全球団で共通の永久欠番とすることで、それを形にしたのだ。
日本でプレーするアメリカ人選手が背番号42を付けることが非常に多いのもうなづけるであろう。アメリカでは付けることができないのだ。
※ただし、ニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラだけは現在も背番号42を付ける。1997年に背番号42を全球団共通永久欠番に決定した際も、その時点でこの背番号を付けている選手から剥奪することはしなかったからだ。

プロレス界にも、「プロレス界のジャッキー・ロビンソン」と呼ばれた選手がいる。「黒い魔神」ボボ・ブラジルである。
彼はアメリカ人で、人種差別のない(と彼が思っていた)国ブラジルに憧れてこのリングネームをつけたという説もある。彼もまた、元野球選手で、黒人リーグでプレイしていた。
2メートル近い長身で、見事にビルドアップされながらも引き締まった素晴らしい肉体を誇り、テクニック、スピード、スタミナを兼ね備えた実力派であった。
プロレスの世界王者というものは、実は民間団体が認定するもので、早い話が、あなたもプロレス団体を立ち上げ、世界王者を認定すればそれが世界王座となる。このあたりは、プロボクシングのように各国の権威あるボクシング協議会が集まって運営される団体で認定される世界王者に比べいまひとつ頼りなく感じはするが、プロレスでも、認定団体が力を持てば自ずと権威も出てくる。そして、プロレス団体が力を持つとは、ファンに認められるということで、その意味、他のスポーツの国際的な権威ある競技団体で賄賂や不正の横行があってもすぐには浄化されないことよりは良い点もあるかもしれない。
ボボ・ブラジルは、1966年、ロサンゼルスの権威ある団体であるWWAの世界ヘビー級王座を獲得し、42歳で黒人初の世界王者となった。
その後も、1968年には、世界で最も権威あるNWAが認定するインターナショナルヘビー級王座をジャイアント馬場から奪取した。この王座は、史上最高のプロレスラーと言われるルー・テーズを讃え、NWAが初代王者に認定し、力道山がこれを奪取。後に空位となった王座の争奪戦が行われ、優勝したジャイアント馬場を王者に認定した。馬場は防衛記録を重ね、さらに、現役のNWA世界王者の挑戦を受けて防衛を果たすことさえ成功し、王座の権威を作ったと言われる。選手が王座の権威を作ることもプロレスの良いところと思う。
あまり語られないかもしれないが、ブラジルは黒人選手の地位向上に貢献したと思われる。彼は70歳を過ぎても現役を続けた。
ニューヨークのWWWFで活躍した彼は、1994年にWWF(WWWFは後にWWFと名称を変えた。更に後にWWEとなる)殿堂入りをした。
プロレス界にはジーン・ビッグ・ダディ・リプスコンプという、黒人レスラー史上最強と言われた選手がいたが、人種差別により事実上殺された(KKKが関わったとされる)。ブラジルにもその危険はあったのではないかと思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

| | Comments (0) |